完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

初老男が思いつめる。     ~寂聴さんの「死刑制度廃止」の発言~

2016年10月07日 | 時事ネタ



私は初老男である。


人間が50年以上も生きていると、究極的な疑問に「答え」を出すようになる。



といっても、自分の中で「なんとなく『正解』じゃないかな」って言う程度の答えだが。



瀬戸内寂聴という人には、私はほとんど興味が無かった。



作家であり出家であることや、説法がおもしろいらしい。



その年齢における「人生経験」は、調べてみると「壮絶」ともいえるのだろう。





しかし、日本弁護士連合会のシンポジウムで死刑制度を批判し、





         「殺したがるばかどもと戦ってください」




                         と発言したらしい。




まあ、これだけの騒ぎになっているのなら、まず間違いはないだろう。





話の趣旨として、彼女が言っている「殺したがるばかども」というのは、死刑制度を制定している人達を意味している。って言ってる。



基本的なことであるが・・・・。



「死刑廃止論」自体を、私はどうも受け入れがたい。



極論的に言えば100,000,000,000,000人殺しても、犯人は生き続けることになる。




まあ「死刑廃止」してもいいけれど・・・・・。




「死なない程度の長期間の強制労働」みたいな刑罰を作るべきと思う。



なぜなら、昔あった小学校へ乱入し子供たちを次々に殺害した「付属池田小事件」の犯人宅間がこう発言したからだ。


「どうも死刑にしてくれてありがとう!、裁判長さん。 感謝するわ!わし、もうはよう、死にたい思うてたから、ほんま助かる。やっと死ねるんやなーと思うとほっとしたわ」



こうした意識の人間を死刑にしたのでは、犯人の「思うつぼ」なのではないかと思うからだ。



こういう話をすると、加害者の「人権」みたいなことを言う人がいる。



じゃあ、殺された人の「人権」はどこに行ったの?





日本には昔「仇討ち」という制度があった。




これはある意味、苛烈な制度だ。




自分で「恨みを晴らす」チャンスがあるが、逆に「返り討ち」ってことも多々あるからだ。




そして、ごく最近まで日本人はこの返り討ちのリスクのない「仇討ち」の代わりが「死刑制度」だと思っていたのではないだろうか。




しかし「刑法」というものは単純に「法律」であり、そこに「被害者の意識」を反映するようにできていない。




そして、最近は弁護士団体が「虚言を弄して」死刑廃止を主張している。




「光市母子殺人事件」をご存じだろうか?




この事件の弁護団の言っていることは、少なくとも私には「虚言を弄している」としか思えない。



そこには「死刑廃止」を勝ち取るなら「虚言を弄してもいい」と思っているところに、逆に「死刑廃止を絶対してはいけない」と私は思ってしまう。





こうした重大な問題は「徹底した討論」で「死刑続行論者」を、納得させてこそ「弁護士」というものだろう。




寂聴氏の言いたいことも分からなくもないが、先ほどの宅間被告や光市事件の犯人を「死刑にしない理由」を発せず「殺したがるばかども」は無いだろう。




・・・・・個々事件の遺族を納得させられる「言葉」があるとは思えないけどね。




今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、人が殺されることとその罪を犯した者の処遇について考えますように。




           May




本当のところ簡単に「死刑」を執行していいとなんて、もちろん思っていないです。しかし「死刑」を「こんな簡単に」無くしてもらっても困るのである。










コメント
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