完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

乱世の人々

2006年04月24日 | Weblog
私は中年である。
千葉の補選の結果に、少なからず
千葉7区有権者の「良識」に、本当に
鳥肌の立つ思いの「中年」である。

政治のことは、あまりUpしたくなかったのだが、
私の興味の中に「政治」は、かなり大きな位置を
占めている。今回の千葉補選で自民党の敗北を
記念してUpすることにした。

大体、私の好きな「歴史」とは、その時々の「政治」の
積み重ねの別名なのだ。

歴史の中で一番面白いのは、やはり「戦国時代」であろう。
「群雄割拠」日本中に様々な小大将(?)が並び立ち、
「天下統一」を目指してしのぎを削る・・・。
壮大な浪漫といえる。

それから見れば、「天下泰平」における「小さな反乱」は
あまりにせせこましい。それが、時に「屋台骨を揺るがす」
などと言いたがるが、完成させれシステムの中では、「夢」
でしかない。

しかし、そうした「天下泰平」が少しずつシステムの硬直化を
引き起こし、幻に近かった「夢」が時として「群雄割拠」の
時代への引き金になったりする。

つまり

     「混沌」→「群雄割拠」→「下克上」
      ↑               ↓
     「爛熟」←「天下泰平」←「天下統一」

という図式が繰り返されて、歴史が成り立ってきたのだ。
ただ、「混沌」の部分が現代においては「無秩序」まで
には、なかなかなっていかない。

そこが「無秩序」までいけば、それは「革命」にまで
突き進むことになる。

話が回りくどくなったが、何が言いたいかというと・・・。

上の段の「混沌」「群雄割拠」「下克上」の時点で
必要とされる人物、乱世で力を発揮する人物と、
下の段「爛熟」「天下泰平」「天下統一」で必要と
される人物、平時に力を発揮する人物と、
おのずと人間はこの二種類に分類される、ということだ。

「55年体制」というものが、確立していた時代に
存在していた政治家達は、いかにコワモテであって
大声を出していたにせよ「平時の人」でしかなかった。

わずかに田中角栄なる人物が、そうでなかったかも
しれない。(そうした意味で彼は早過ぎた)

そして「55年体制」が爛熟を迎え、バブル経済が
はじけた時、日本は「混沌」の時代となった。

そして、今は「群雄割拠」時代目前の時。
私はそう分析している。

私の記憶にある総理大臣の中の誰からが「平時の人」
であり、誰からが「乱世の人」か・・・・。

そのラインは、やはり「森喜朗」と「小泉純一郎」の
間に引かれるだろう。

そして、その「乱世の人・小泉純一郎」が呼び込んだ
「混沌」を「群雄割拠」に進めるのは、もう一人の
「乱世の人・小沢一郎」だ。

平時の人が100万に対して乱世の人は1人いるか
どうかだと私は思う。

まして、そうした人物が複数現れて「天下統一」を
争うのは「時代がそれを求めた」からとしか
いいようが・・・ない。

様々な「矛盾」と「欲望・野望」が絡み合う中で
今回の千葉補選が、その決戦の第1ラウンドだったと
私は見ている。

小泉氏の任期は、あと5ヶ月その間にあと何ラウンドの
決戦が見られるだろう。

ここ1~2年は、間違いなく
  
     「歴史のターニングポイント」
                 
                     になる。

これを読んでいる皆が、いかに政治に興味がなくても、
ぜひ、その「歴史の体現者」であることを「自覚」して
注目していて欲しい。「中年」のお願いである。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。   may


コメント
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