完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

人間の「顔」

2006年04月20日 | 
私は中年である。
私の住んでいる地方は「豪雪」地帯だ。
自他共に認めている。

しかし、4月の下旬に差し掛かろうとしている今頃、
「みぞれ」が降るのを見たのは記憶が無い。
何かに一抹の不安を抱かずには居られない「中年」である。

さて世の中には凄い話が、後から後から出てくるものだ。
元日本兵の上野石之助さん(83)が63年ぶりに
帰国したと聞く。

日本名の「石之助」という名前から「イシノスキー」
と呼ばれていたとか・・・。

60年以上ウクライナで生活していたという。
まずその「長さ」に驚き、そしてその「若さ」に驚いた。
とても83歳には見えない。

帰国した彼に兄弟姉妹たちが、抱き合って涙を流していたが、
すでに日本語を話さなくなって「60年」以上を過していた彼は、
兄弟達に日本語で語りかけることが出来なくなっていた。

「運命です。・・・運命なのです。」その記者会見での言葉は
本当に重みがあった。「中年」を自負する私でさえ、彼が
ウクライナに暮らした年月の3/4しか生きていないのだから。

ウクライナといえばソ連から独立し、「例の」チェルノブイリ
原発があるところではないか。公用語はロシア語であろう。

石之助さんはやはり日本人だが、どこかにある種の違和感を
私は感じていた。

よくそう思うのだが、日本人が日本人の「顔」を
しているのは「日本語」を喋っているからではないかと。

20歳で日本語を話さなくなって「ロシア語」を話すことに
なった石之助さん。
彼は日本語の発音をしなくなることで、日本語に使う顔の
筋肉が削げ落ち、ロシア語で使う筋肉が発達していく。
つまり、それがその「ロシア人・ウクライナ人」らしい
顔を作っていった気がするのだ。

そして、石之助からイシノスキーへ人格も変わって行った。
悲しくも、純然たる「事実」しかし「死」よりも
ずっと素晴らしいことのように思う。

中国残留孤児の人たちは、やはり中国人の顔をしているし
日本に長く居るデーブ・スペクターやクリス・ぺプラー
パックンなどの顔が日本人に近くなり、彼らは本国に
帰ると周りの人から「英語がヘタになった」と、何度も
言われるという。

極細かいことを言えば、日本の中でも、その地域の方言を
使っていると、その地方の「顔」になっていくのだろう。

だから「秋田美人」や「新潟美人」なんて女性が、
できるのだろうか・・・。

ただ、石之助さんは話さねばならなかったロシア語以上に
「運命」に翻弄され「運命」に殉じた「苦悩と潔さ」が
その顔・風貌を創り出したに違いない。

しかし、その顔、表情には「悲愴感」は微塵も見当たらない。
男たるもの、そうした「顔」でありたいものだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
                             may





コメント (3)
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