Fish On The Boat

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『恋愛論』

2010-08-25 21:54:52 | 読書。
読書。
『恋愛論』 スタンダール 大岡昇平 訳
を読んだ。

18世紀の遊び人ぽい作家さんのスタンダールが書いた『恋愛論』を読んでみました。
スタンダールは、名前を知っている人がけっこういると思うのですが、
存命中は不評を受けた人だったらしいです。この『恋愛論』を読んだ後にそれを知ると、
なんかおっかしいです。

さてさて、この恋愛論は前回の記事で触れた競馬場バイトでの仲間、Y君にオススメ頂いた本でした。
それも何年も前に…。やっと読んだよ!けっこう頭に入ってきずらい文章と内容でございました。
ところどころ面白くはあるのですが。

「恋愛には4つの種類がある。
情熱恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛。」
というのは、なかなか面白くないですか。
あんな、どぎまぎしてしまって、理性が働かなくなる恋愛を
理性的に捉えることができることが面白く感じます。

さらに、「雷の一撃」ですとか
「結晶作用」なんていう、独特なのですが、
多くの人が経験している心理を言葉で表現してくれています。

とはいえ、繰り返し言いますが、難解、晦渋な感じの本ではあります。

そんな本を読みながら、さらに140文字という制約に収めようとし、
さらにさらに思いつくままの言葉を使い、さらにさらにさらに相手に伝えるということをちょいと怠ると、
以下のようなツイートをツイッターでしてしまうことになります!

書いているときは全然感じませんでしたが、
このブログに貼り付けようと読みなおしてみたら、ひっくり返りそうになりました。
つたわんねーよ、こりゃ…。自分にしかわからない、というか、
時間がたてば自分でも相当わかりにくい…。

いきまぁす!
ツイートのまとめです。
空白の行までが一つのツイートです。

____


虚栄心は夏の恋愛にも見られる。かっこいい女の子を彼女にすること。
その逆もしかり。そこには燃え上がるような情熱的恋愛の姿はない。
ただ彼氏彼女の契約を交わした男女がいるだけで契約以前にあるだろう
不安めいた憧れやまぶしい夢のようなものは存在しない。あるのは肉体恋愛のヴィジョンだけ。

初体験の年齢うんぬんを一様に取り立てて記事していたりしますが、
彼女たちは肉体恋愛にのみおぼれたのか、情熱恋愛の末のものなのか、
趣味恋愛の中での間違いなのか、虚栄恋愛が虚栄的に進行したものなのかを
考えた方がいいような気がする。

援助交際は恋愛の要素はないのかもしれない。
階級社会的な言い方だけれど、女子高生なんだっていう一種のブランド感、それを売る。
それを売るのには自分も売らなければならない。好きでやる子もいれば、
金のために息を止めるようにして事を済ます子もいるだろう。

援助交際を止めるには…。これだけ性の情報がはいってくる情報社会の中で、
貞操感を養えるのか。不特定な人間に身体を売ることをしないためにはどうしたらいい。
僕はこう思う。もっと早い段階で、それも女子だけが性教育を受ける時期から恋愛を教えていくべきだと。

実例をまじえて恋愛を教えることで、情熱恋愛、趣味恋愛、虚栄恋愛、肉体恋愛というものを認識して、
自己分析に役立てることができる。ただ、この恋愛教育には恋愛を抑制するという
難しい装置がついていないとなりたたないような気がする。


昂ぶる恋愛への気持ち。まだ十分にわかっていないのに行動へ移さずにはいられない子も大勢いるだろう。
それだけ、恋愛というものは心を高揚させて興奮させて平常でいられなくする類のものなのでしょう。
となると、中学は女子校にして、ずっと厳しい寮生活なんかを送らせなければいけない。

『後宮小説』の後宮での学問の仕方を思い出す。教授がいて、講義をする。
恋愛というよりは、もう房事を中心に技術や論理を女に教えていく。
これはりっぱなお妃を育てると言う意味だから、そうなるのだけれど、
現代の女子だって、お嫁さんになるという意味で勉強するならば、後宮の講義方法でも良いかも。

つまるところ、今は大学機関でも、恋愛に関しては研究ばかりがさかんで教育面のインフラが皆無に等しいらしいのです。
そこを、恋愛教育というものに力を入れて生み出していくことが重要なんじゃないだろうか。
中学の科目に「恋愛」を作る。すごく自然で良い。『ローマの休日』とか見せればいいしさ。

援助交際をしている女の子に好きな男ができたときに、こんな自分が相手を好いていいだろうか、
と自己を省みる心的作業が生まれる。そして、金のためなんかに自分の身体を売って、
擬似的な恋愛を売って、そんなものに使った、自分の唇で好きな子とキスができるだろうかと悩むだろう。

もしも恋愛の教育を受けていて、接吻の軽くて重い意味合いを知っていたなら、
自分を汚してしまう行為を進んで行うようにはならないんじゃないかと思う。
好きな男に捧げるもの…なんて言うと前時代的ですけれど、性交渉するときだって、
心身ともに清潔な状態でありたいと思うものなんじゃないかな。

というのも、ノーマルな状態では、好きな相手を汚したくはないものです。
それに、あの人はあんなに輝いているのに私はそれに見合う清純さを持っていないと嘆く場合があるでしょう。
その汚れというものが、自分の意思でついてしまっているものならば、なかなか拭えないし、
自分が一つ落ちる他なくなる。

とはいえ、お互いにまるで傷が無くて汚れてもいない二人が恋愛していたら、
それはそれで無味乾燥なイメージを持ってしまいます。
本当ならば、挫折とか過ちを許しあえる仲であったらいいのでしょうか。
援助交際は、その後悔いても消せない事実が残ります。恋愛の観点からみてそれは恥だと知るべき。

____


はい、ありがとうございました。

なになに、mask555さん、言葉の意味わかってしゃべってる?って感じがしますね。
自分でびっくりだもん!
難解な本を読むことで、僕の頭のミラーニューロンがその雰囲気をコピーして頭を難解モードに
してしまった感覚もありますね。そのとき読んでいる本に影響されるもんです、書き言葉も思考も。
書き手が乗り移ってくる感覚といってもそうは間違いではないでしょう。
ま、いいです、僕のツイートの話は。
そのうちまたこういうツイートをしてしまうんだろうなぁ、おっかないなぁ。自分がわからんです。

それで、いじわるにも、この晦渋ツイートを前述のY君にメールで送りつけようと思っています。
返事来るだろうか…。

最後に。恋愛論の本論よりも、挿話であるエルネスチーヌの章なんかのほうが
読み物としては面白いです。僕はこういう話が好きなほうです。
スタンダールは小説も残していますから、この調子だとけっこう面白いんじゃないかなぁと
推察するところなので、そのうち読んでみようと思っています。
村上龍さんのデビュー作『限りなく透明に近いブルー』にもスタンダールの『パルムの僧院』が出てきたもんなぁ。

そうそう、村上龍さんといえば、僕のツイートの援助交際うんぬんのところでの基盤となる考え方が
彼から得たものだったりします。

そんな感じで、今日はこのへんで。

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