今日は久しぶりに漫画を読んで過ごそうかと、
まず、文庫版『究極超人あ~る』の4巻を読みました。
ゆうきまさみさんが描く女の子のかわいさって好きなんだよなぁ。
もう27年も前の漫画になってしまった。
最終巻の5巻はまだ透明な保護フィルムに覆われていて、
開封されてもいない。
今日、読んでしまおうか、迷いどころです。
そして次に、
西原理恵子さんの新潮文庫版『パーマネント野ばら』を読む。
ある一線の、その瀬戸際付近で生きている、田舎の女性たちの物語。
性にたいしての品の無さが、逆にこういった境遇にある人たちを
生きやすくさせているように見えた。
メインストリートというかハイカルチャーというか、
そういうのからかなりはみ出した人たちの生きざまにだって魅力はある。
魅力のない人間はいない、というように読めました。
切り捨てられるような人たちも、生きているんだよ、ってことでもある。
『鉄コン筋クリート』や、
3巻までしか読んでいない全10巻の『ハチミツとクローバー』も
本棚で読まれるのを待っている。
ツイッターでちらほら評判を見受けた『逢沢りく』っていうのも待機中です。
ハタチくらいのときに、漫画やある種の小説などのフィクションに、
現実が圧倒されてしまうことを危ぶんでいました。
たとえば、文章を書いても、漫画的だったり、
空想をしても、どこかで触れた物語的だったり。
現実を、今でいうような「リア充」ってくらいまで濃く生きているのならば
まだ負けない気はするのかもしれないですが、
ちょっと希薄かもしれないというくらいの現実生活で、
自分のキャンパスも白のままみたいな状態だったので、
そのキャンパスに漫画やフィクションの色がつくのを恐れたんでしょうね。
「書を捨てよ、街に出よう」っていう寺山修司さんのフレーズがありましたが、
その言葉に感化されたわけじゃなく、
僕なりに自分の言葉を持とう、
経験や現実の会話だとかから自分の言葉や感性を作っていきたい、
そう考えて、漫画は敬遠してきたところもあるんです。
そうはいっても、『MONSTER』の豪華本や『ドラゴンボール』の愛蔵版などは
買って読んでるんですけどね。
どっぷり浸かるのはよそうと思っていたフシがあります。
ちなみに、中学・高校のときは、『YAWARA!』が大好きでした。
小学校のときは、藤子不二雄や手塚治虫という、レジェンドを好みました。
コミック誌は、コロコロコミックから週刊少年ジャンプへ移行していきました。
『三国志』も漫画で読んで、何人にも貸したんだよなぁ。
まあ、そんなわけで、漫画の持つ影響力に、怖いな、と感じたのは、
その当時から自分の「表現」ってものに興味があったからなんだと思っています。
現実を見失ってはフィクションも味が薄まるのではないか。
現実あってこそだという態度は、またしばらく続いていきます。
割り切れる人だったらいいのですが、子どもみたいに、
フィクションや夢の世界を現実にフィルターとして持ちこんじゃう
タイプなんでしょうね。
すぐにガンダムの名言を言う人っていますけれど、そういうのって
実はあんまり好きじゃないんです。
まず、文庫版『究極超人あ~る』の4巻を読みました。
ゆうきまさみさんが描く女の子のかわいさって好きなんだよなぁ。
もう27年も前の漫画になってしまった。
最終巻の5巻はまだ透明な保護フィルムに覆われていて、
開封されてもいない。
今日、読んでしまおうか、迷いどころです。
そして次に、
西原理恵子さんの新潮文庫版『パーマネント野ばら』を読む。
ある一線の、その瀬戸際付近で生きている、田舎の女性たちの物語。
性にたいしての品の無さが、逆にこういった境遇にある人たちを
生きやすくさせているように見えた。
メインストリートというかハイカルチャーというか、
そういうのからかなりはみ出した人たちの生きざまにだって魅力はある。
魅力のない人間はいない、というように読めました。
切り捨てられるような人たちも、生きているんだよ、ってことでもある。
『鉄コン筋クリート』や、
3巻までしか読んでいない全10巻の『ハチミツとクローバー』も
本棚で読まれるのを待っている。
ツイッターでちらほら評判を見受けた『逢沢りく』っていうのも待機中です。
ハタチくらいのときに、漫画やある種の小説などのフィクションに、
現実が圧倒されてしまうことを危ぶんでいました。
たとえば、文章を書いても、漫画的だったり、
空想をしても、どこかで触れた物語的だったり。
現実を、今でいうような「リア充」ってくらいまで濃く生きているのならば
まだ負けない気はするのかもしれないですが、
ちょっと希薄かもしれないというくらいの現実生活で、
自分のキャンパスも白のままみたいな状態だったので、
そのキャンパスに漫画やフィクションの色がつくのを恐れたんでしょうね。
「書を捨てよ、街に出よう」っていう寺山修司さんのフレーズがありましたが、
その言葉に感化されたわけじゃなく、
僕なりに自分の言葉を持とう、
経験や現実の会話だとかから自分の言葉や感性を作っていきたい、
そう考えて、漫画は敬遠してきたところもあるんです。
そうはいっても、『MONSTER』の豪華本や『ドラゴンボール』の愛蔵版などは
買って読んでるんですけどね。
どっぷり浸かるのはよそうと思っていたフシがあります。
ちなみに、中学・高校のときは、『YAWARA!』が大好きでした。
小学校のときは、藤子不二雄や手塚治虫という、レジェンドを好みました。
コミック誌は、コロコロコミックから週刊少年ジャンプへ移行していきました。
『三国志』も漫画で読んで、何人にも貸したんだよなぁ。
まあ、そんなわけで、漫画の持つ影響力に、怖いな、と感じたのは、
その当時から自分の「表現」ってものに興味があったからなんだと思っています。
現実を見失ってはフィクションも味が薄まるのではないか。
現実あってこそだという態度は、またしばらく続いていきます。
割り切れる人だったらいいのですが、子どもみたいに、
フィクションや夢の世界を現実にフィルターとして持ちこんじゃう
タイプなんでしょうね。
すぐにガンダムの名言を言う人っていますけれど、そういうのって
実はあんまり好きじゃないんです。