いや~~寒いですね~。今年の立春寒波は強烈で、冷蔵庫の中に居るみたい。デブ夫婦も寒さに震えております。おかげで外に出るのも勢いが必要。1号旦那は初めて、この間買ったB-3の有難さをしみじみ感じている模様。この極寒の中、下がTシャツ1枚なのにあったかいんだってさ。
さて、寒くてあまり外出していないせいで、テレビをぼへーっと観ることが多かったここ数日。そんな中、今大騒ぎになっております。
現代のベートーベン・佐村河内守氏のゴーストライター疑惑。
2号嫁は、佐村河内氏についてはテレビでちらっと観たくらいでCDを聴いたり買ったりはしていない。あとは新聞広告(CDの宣伝)で見たことはあるが、イマイチ買う気は起きなかった。
デブ夫婦の中では、『さむらごうち』の『ごう』で、すっかり『ゴーちゃん』と呼ばれちゃっているので、この後『ゴーちゃん』でいくことにするw
さてワタシたちは、どうしても『ハンディキャップがある』『女である』『難病である』というようなバイアスをかけて、物事を捉える部分があると思う。だから『障害があるのにスゴイ』『女なのにスゴイ』『病気なのにすごい』と自然に思ってしまうところがある。今回のゴーちゃんの件も、それに似たバイアスがかからなかっただろうか?
ここで思うのは、先日『STAP細胞』を開発することに成功した小保方晴子さん。おばあちゃんからもらった割烹着を着て、巻き髪で、カワイイ実験室で実験を行うイマドキの『リケジョ』だそうで、数日メディアも小保方さんの話題で持ちきりだった。
が、小保方さんがもし、60歳の男性で大学教授だったらここまで連日騒がれただろうか? 報道はされたとしても、こういう騒がれ方をしただろうか?
30歳、女性、しかもそこそこ可愛い(今までの理系の女子学生のイメージと違う)から、そこに取材の重きがおかれてしまった気がする。
『えっ、こんなカワイイ子が!?』というギャップで、みんな『すごいなー女の子なのに』と感じるんだろう。研究の成果そのものは、30歳だろうと60歳だろうと価値は同じはずなんだが、どうしても下世話なワタシらは、その人のパーソナリティに興味がいきがちなのも事実。
それはゴーちゃんも同じで『聴覚障害があるのにすごいなー』と、みんな思いたいんだろう。
何年か前に、辻井伸行さんが、ヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝した時に思ったのは、彼が目が見えないということは評価に関係ないよな、と。ハンディキャップがあるから評価が甘くなるという、それこそ甘い世界ではないと思うので、純粋にその曲と演奏とが評価されたんだろうと思う。さらにどーでもいいことだが、辻井くんの場合はあのお母さんの完璧な内巻きにもヤラレてしまったデブ夫婦(* ̄m ̄)プッ
さて話を戻してゴーちゃん。ゴーストライターが書いていたというところよりも、個人的にはむしろ、彼の作品として評価を受けていた曲たちの評価が今後どうなるのか? というところも気になる。
最初、このゴーストライター云々の話を聞いた時は、別に曲を書いたのが本人じゃなかろうと、それを聴いて感動した人がいるなら、ゴーちゃんの総合プロデュースと考えれば『アリかも』と思ったのだが・・・日にちが経つにつれて事情が変わってきたぞ。
もし本当に彼が書いたのではなかったとしたら、楽曲の価値も否定されちゃうのか?
同じ曲、同じ譜面なのに価値は下がるのか?
それはゴーちゃんの名前があったから?
じゃあそもそもゴーちゃんが世に出てきたのは、曲云々ではなく彼が『聴覚障害者』だからだったのか?
さらにゴーちゃんの場合、演出だったのかどうなのか、あの風貌も苦悩する芸術家っぽく見えちゃったもんなあ。
まだ真相はわからないけれど、もし聴覚障害がなかったとしたら、障害を持っている人たちをバカにした話だし、障害者手帳を本当に持っていたとなると、これまた別の問題になってくるわなあ。
で、もしもゴーちゃんと、この実際に曲を書いたという音楽家の方の関係性(自分の代わりに曲を書くという契約というか)が良好なままであれば、暴露するということがあっただろうか、とも考えてしまう。何か、その関係を続けられなくなる決定的な亀裂ができたんじゃないかと勘ぐってしまう。
さらに、障害があるふりをさせて話題作りをするためのコーディネイトをするようなプロモーターが居るとしたら・・・というところまで疑ってしまいたくなる。イヤな世の中ですね。
テレビやメディアは、とかく『ちょっといい話』『ちょっと感動できる話』が大好きだ。それは、私たち視聴者がそれを求めていると思っているからなんだとも思う。障害を持っている人が努力を重ねて障害を乗り越え、成功していくというストーリーは、きっと誰もが感動できる。そして同じハンディキャップを持っている人も、そうでない人も『自分も頑張ろう』という気持ちにさせられる。
もちろん、それは否定しない。実際に、障害があっても努力をして認められている人もたくさん居る。が、メディアが必要以上に『全盲の○○』『奇跡の○○』それこそ『現代のベートーベン』みたいにキャッチフレーズをつけて、すばらしいすばらしいと持ち上げすぎちゃうのも問題なのかもしれない。
デブ夫婦の周りには、ハンディキャップがある人が結構居る。先天的に耳が不自由だったり、病気で右手が動かなくなったり、ダウン症だったり。でも彼ら自身にしてみれば、障害があるという自分のパーソナリティを『売り』にする気なんて無いはずなんだよな。少なくともワタシらの周りのハンディキャップを持った人たちは、好きだから絵を描き、楽しいからピアノを弾き、障害が後天的であっても生きがいを得るために絵を描き、書を書き、という人が多い。『障害があるのに』という余計なバイアスをかけたがるのは、周りの障害が無い人の勝手なんだよね。
とかく『芸術』ってのは、科学と違って結果や数字で評価できるものではないので、そこもややこしい。でも芸術家ってのは作品が認められるべきものだし、作者にハンディキャップがあるかどうかなんてのは関係ない。障害がある芸術家もたくさん居るけれど、障害が無い芸術家だって当然もっと居るわけで。
芸術といわれる音楽、絵画や書、文学、映像などなどは、製作した人のストーリーはあくまで『サブ』。
その作品そのものを感じる感性を持たなければいけないんだなあ。
評価できるほどの教養や知識はないんだけど、少なくとも『サブ』であるサイドストーリーに流される人ばかりでは、今回のようなことはまた起きないとも限らない。
そんなことを考えさせられた。自戒もこめて。
でもテレビ見てて、ゴーストライターに同情しようとも思いませんでした。
なぜこのタイミング?って!
オリンピック利用したかった?とかって勘繰る悪い大人は私ですw
沖縄暑いです。
会社が暑いだけなのか、クーラーつけてますw
何となく気が弱そうで、まさか自分の曲がオリンピックで使われるなんて思って無くて、このままだと東京オリンピックとかでも使われるんじゃないかと不安になったのかなあ…なんて思いました。
まあこの感想も「何となく見た目が気弱そう」と言うイメージ先行で、更に比べてみるとゴーちゃんが胡散臭そうに見えちゃうからなのかも…
でも私もスペシャル番組をちょっと見てて、感動しちゃった一般人です。
今改めて見ると胡散臭く見えるけど、それはこの騒動を知ったからで、あのままだったら感動したままだったはずです。
やはり人間は耳で聴くよりも、心で感じる?方が先行するのかなあ…
私は番組でさらっと聞いただけなので、わかりませんが…きっと良い曲だったんだろうとは思います。
幾らドラマチックな物語があったとしても、本当に駄目な作品だったらここまで称賛はされなかったと思うのです。
ただ若干甘い評価だった可能性は否定できないけど…
ふと思ったのですが、所詮人間は感動したいと言う潜在意識があるのではないか?
作為的である、無いに拘わらず、スポーツでも芸術でもノンフィクションでも…探さなくても良い「これを知ったら貴方はきっと号泣です」みたいなポイントを見つけたくなる生き物なのか?
しかも、それを意識した途端にその感動が妙に薄っぺらく感じてしまう天の邪鬼な生き物なのか?
でも…それでもパラリンピックを見て泣いてしまう私は…やはり薄い人間なのか?
なんて…思ってるわけじゃないけど…笑
まあ、普通に考えると18年間やってきて今・・・ってのは、
なんかでもめたんだろうな~と想像するわけで。
別にゴーストライターが居たっていいとは思うんだけど、
こういうのは・・・誰も幸せにはならんのだけどねー。
ニュースで見たかもしれないけど、
先週末は記録的な大雪!
MAKIちゃんが住んでいたあのへんだったら、
もう絶対に外に出られないくらいの雪でした。
まだ雪があちこちに残っています。
沖縄の『最高気温18℃』がうらやましいよ~。
こうなってみると、すべてが胡散臭く見えちゃうのもまた、
ワタシらのいけないところなんですかねえ。
何でも、クラシックってのはやはり『売れない』らしく、
何かアピールポイントやセンセーショナルなデビュー! とか、
そういうのが必要という話も・・・。
となると、ゴーちゃんはそのプロモーションを(自分でかどうかはわからんけど)仕掛けて、
まんまと売ることに成功したってことなんですかね・・・。
別に、CDを買った人たちに『カネ返せ!』とまでは思いませんが、
これからどうなっちゃうのかなあ。
単純に、いや~ゴーちゃん、マズイよなあ・・・と勝手に思っているデブ夫婦w
『人間は感動したい生き物』そういう部分もあるかと思います♪
なんというか、感動している自分が好き♪ とか
こういう物語に涙してしまう繊細な感性の持ち主なのワタシ♪ というのを
感じたいのかも?(笑)。
でも、あまりにも感動を推しつけられると、( `д´) ケッ! となってしまうのもまた人間・・・。勝手なもんです。
パラはデブ夫婦も大好きですよ~。
障害があるとか無いという以前に、デブ夫婦はあんなに滑れないし走れないし跳べないし・・・(*^^*ゞ
ゆえに『障害があるのに』というよりも単純に『すげー!』と思って毎回観ております~。