MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

冬の川

2009年01月23日 | 写真俳句
冬の川は水量が減り、しかも澄んでいるので川底が良く見える。この写真の川底は砂地であるので黒いところはおそらく砂鉄であろう。そんな黒さの中に白い貝殻が見える。やや大きいところから察するに烏貝のものであろう。
烏貝は淡水の貝であるが、内側は真珠のような光沢があって美しい。淡水の真珠がこの貝を媒体にして作られたこともあったが、最近はその話題も余り聞かなくなった。

「冬の川」「片し貝(古語)」「真珠色」などから最終的にこの句になったが、どうしても入れたかった『片し貝』ではなかなか完成しなかった。冬ざれ、片し貝、冬の川、枯野、枯薄、寒月、薄氷(うすらい)など、冬の風物詩はなぜか物悲しい。
コメント

大寒(写真俳句)

2009年01月22日 | 写真俳句
大寒に入りいよいよ寒さのピークを迎えているようだ。しかし、元旦に一輪から咲き始めた桜草は、次々と花芽を出し20本近く立ち上がってきた。寒さ厳しき折遅々として成長するものと思っていたが、その速さには驚きである。春というにはまだ早すぎるが、すぐそこに春の到来があることを感じることが出来た。

「桜草」といえば春の季語であるが、すでにあちこちの家の玄関などで咲いているのを見かける。それゆえ大寒であっても「桜草」は咲いているのだが、栽培種ゆえの開花の早さなので句に詠む場合は注意しなければならない。また、花期も長く厳冬期から盛春まで咲き続ける。

浦和市秋ヶ瀬にある「田島が原」には、野生種の桜草が見られ天然記念物にもなっている(下の写真参照、2005年4月22日撮影)。この野生の花が咲くのは4月中旬から5月の連休にかけてであるから、自然のものを見ることによってのみ「桜草」が春の季語であることが実感できよう。

コメント

冬の川(写真俳句)

2009年01月21日 | 写真俳句
冬の川は水量が減り水草や藻などが消え水が澄んでいることが多い。とくに上流の小川と呼べるような川はそのようなことが多い。

私の散歩コースの一つにある川は、晴れた日には白い鉄柵と青空が川面に映り、流れや風によって様々な模様が生まれるので、撮影ポイントの一つになっている。
初冬には鴨や白鷺や翡翠が飛んできていた場所だが、今は全く来なくなってしまった。川岸に一人のホームレスが住むようになったからである。橋の上や土手の上に人が居るぶんには逃げないのだが、余りにも岸に近いところに住み着いてしまったので鳥たちは寄ってこなくなってしまったのである。

そんな中に一羽の白鶺鴒が現れた。白鶺鴒は万葉集には道先案内人と歌われているように、なぜか人の行く前に良く現れる鳥で人馴れしている。
最初のうちは岸辺の砂地に居たが、やがて流れの中にある岩まで飛んで行き止まった。そして白と青の模様の中に消えた。実際は消えたわけではないが肉眼では判別が不能だったのである。
コメント

風花(かざはな・写真俳句)

2009年01月20日 | 写真俳句
田舎に帰り母の13回忌を済ましてきた。命日に合わせての13回忌でもあった。

その日は会社に出勤するとまもなく電話が入った。
田舎に帰るためすぐに会社を出た。
会社から駅に向かう途中で風花が舞いだした。
今日もそんな寒い一日となった。
コメント

春近し(組写真俳句)

2009年01月19日 | 写真俳句
公園の烏瓜が色づき始めた頃から、同じものを時々撮っていたが、霜に焼けて白くなったり、鳥たちに食われたりしていよいよ終期を迎えているようだ。
葉が枯れ落ち、幹までも枯れたのになおも赤々とした実が残っているのは何気に寂しいものだ。
鳥たちも厳寒の中で食べ物が少なくなってきている。昨年の暮れぐらいまでは熟柿も多くあり、日当たりの良いところではイナゴなどの昆虫も居た。しかしこの時期になって烏瓜までも食べているようだ。たぶん余り美味しくないのだろう一部分が食べられているだけで他の烏瓜は8割方食べられずに残っていた。
名前は烏瓜だが食べ痕の様子からするとカラスの食べ方ではないようだ。
ちなみに巻頭の写真の青い烏瓜が、下の2枚にあるやや黄色がかったものです。








今回の句も季重ねのような句になったが、物の事象の移ろいを17文字に表すためには仕方がないと思っている。

詠山
春者毛要 夏者緑丹 紅之 綵色尓所見 秋山可聞(山を詠む・春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも)
万葉集巻10、国歌大観番号2177の作者不詳の歌であるが、このように春夏秋を一句に表現できないだろうかなどと考えても見たが・・・・・

コメント