
以前私のブログでも紹介したが、グアム島のタモンビーチにある(現在は「あった」と過去形表現が正しい)フジタ・グアム・タモンビーチ・ホテルは、別棟のフロントでチェックインしてしまうと後は申し込まない限りルームサービスも入らないので、24時間何をしていようと勝手気まま自由だった。
ホテルから日本へ掛けた電話は、市内電話よりも感度が良いほどで「いまグアムに居る」と友人に話をしても(一人旅なので夜は暇なのである)信じてもらえないほどだった。のんびりと自由に行動するには都合の良いところで、ある旅行雑誌では「大人の隠れ家」として紹介されていた。
再び利用してみたいと思って調べたが、2002年12月の台風で立ち直れないほどの被害を受け結局閉鎖されてしまっていた。残念だが建物も殆ど撤去されていて、宿泊当時の西欧風の建物やプールがあった場所は、再利用されることもなく自然の中に埋没しようとしている(上の写真参照・グーグルの地図検索による航空写真を撮影)
下の写真が私の宿泊した棟。
一階部分に泊まったので表口とプール口の二箇所にドアがあって重宝したのを覚えている。
ブーゲンビリアの咲いている下の写真(下)の左側には、旧日本軍が使ったという高射砲がモニュメントのように据え付けられていた。ここから10m左にビーチがあった。一週間ほど投宿していたが、毎朝、毎夕ビーチを散策するのが日課になっていた。

下の写真がホテル近くからの光景と夕景。夕景といっても毎日のように色が変わっていて、茜色になったのはたった一日だけだった。6月下旬に行ったためかもしれない。2枚の写真に共通して写っている椰子の木は同じものである。



変わってしまったと言えば、下の写真のホテルも名前が変わってしまった。私が宿泊した当時は「パレスホテルグアム」で、スキューバーダイビングの講習会ができる深いプールなどを備えていた。
2007年から「シェラトン・ラグーナ・グアムリゾート」になった。

虹の左下の白い柵のところを降りていくと岩場の海岸に出られ、引き潮時には20cm程度まで浅くなり波も全く来ない(沖の珊瑚礁付近で消えてしまう)ので散策が出来る。綺麗な貝殻なども落ちていて、拾って持ち帰りたい衝動に駆られたが、この浜にあってこそ美しいのだと、思いとどまった記憶が残っている。
ホテルから日本へ掛けた電話は、市内電話よりも感度が良いほどで「いまグアムに居る」と友人に話をしても(一人旅なので夜は暇なのである)信じてもらえないほどだった。のんびりと自由に行動するには都合の良いところで、ある旅行雑誌では「大人の隠れ家」として紹介されていた。
再び利用してみたいと思って調べたが、2002年12月の台風で立ち直れないほどの被害を受け結局閉鎖されてしまっていた。残念だが建物も殆ど撤去されていて、宿泊当時の西欧風の建物やプールがあった場所は、再利用されることもなく自然の中に埋没しようとしている(上の写真参照・グーグルの地図検索による航空写真を撮影)
下の写真が私の宿泊した棟。
一階部分に泊まったので表口とプール口の二箇所にドアがあって重宝したのを覚えている。
ブーゲンビリアの咲いている下の写真(下)の左側には、旧日本軍が使ったという高射砲がモニュメントのように据え付けられていた。ここから10m左にビーチがあった。一週間ほど投宿していたが、毎朝、毎夕ビーチを散策するのが日課になっていた。

下の写真がホテル近くからの光景と夕景。夕景といっても毎日のように色が変わっていて、茜色になったのはたった一日だけだった。6月下旬に行ったためかもしれない。2枚の写真に共通して写っている椰子の木は同じものである。



変わってしまったと言えば、下の写真のホテルも名前が変わってしまった。私が宿泊した当時は「パレスホテルグアム」で、スキューバーダイビングの講習会ができる深いプールなどを備えていた。
2007年から「シェラトン・ラグーナ・グアムリゾート」になった。

虹の左下の白い柵のところを降りていくと岩場の海岸に出られ、引き潮時には20cm程度まで浅くなり波も全く来ない(沖の珊瑚礁付近で消えてしまう)ので散策が出来る。綺麗な貝殻なども落ちていて、拾って持ち帰りたい衝動に駆られたが、この浜にあってこそ美しいのだと、思いとどまった記憶が残っている。
