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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



永い梅雨が明けきらない暑い日、京都駅前のC1乗り場からバスに乗り、世界文化遺産「古都京都の文化財」17寺社の一つに指定されている東寺を訪ねてみた。



この208系統バスは、京都駅から七条通りをまっすぐ西に西大路通りに向い、西大路七条で南に折れ、九条まで下って東に引き返し、東寺の南門到着というかなりの迂回ルートを通っていた。

東寺の南大門と堀




結局、京都駅から40分もかかったが、これなら京都駅から歩いたほうがずっと早い。

実は、帰りに東寺の拝観券売り場で聞くと、やはり歩くのが一番早いですとのこと。



帰りに東寺の東門から京都駅までの時間を計ると、徒歩15分という近い距離であったので、バスよりも歩いたほうがずっと早いことが良く判った。

バスに乗ったお陰で、京都駅から遠い南大門から東寺に入ることになったが、この門は東寺にある門の中では最も大きい門で重要文化財、1895年に三十三間堂の西門を移築したものという。

さて、南大門から中に入ると、広い境内と巨大な木造の建造物、金堂が見えてくる。



金堂は国宝に指定されており、現存の建物は1603年、豊臣秀頼の寄進によって再建したものである。



秀頼は当時10歳であったので徳川家康の勧めに従って、恐らく淀君が豊臣秀頼の名前で寄進したものであろう。



この時期、家康は秀吉の蓄えた豊臣家の莫大な財産を何とか減らそうとして様々な理由をつけて寺社に寄進するよう仕向けている。

この寄進では免れたが、11年後には有名な方広寺の鐘銘事件が起こり、1915年大阪夏の陣で秀頼と淀君は自害して果てている。



金堂の内部は広大な木造空間があり、その中に本尊の薬師三尊像が安置されている。



中尊の像高は2,9メートルに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。



金堂の北には、金堂と同じくらいに巨大な建造物である講堂がある。



講堂は重要文化財に指定され、今から515年も前の室町時代、1491年に再建された建物である。



講堂には大日如来をはじめとする日本最古の本格的な密教彫像が置かれているが、これらの諸仏は空海没後の839年に完成しており全体の構想は空海によるものである。



堂内中央には五仏(五智如来)、堂内向かって右(東方)には五大菩薩、向かって左(西方)には五大明王を安置するほか、堂内の東西端には梵天・帝釈天像、壇上四隅には四天王像を安置する。



これら21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は後世の補作に代わっており、残りの15体がすべて国宝に指定されている。

さすがに世界文化遺産に指定された寺院の面目か、15体もの国宝を一度に見ることの出来る寺院は京都でも多くないのでなかろうか。

東寺は真言宗総本山である



つづく


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