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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



江戸時代の北御堂(津村別院)は、昭和20年3月の大阪大空襲で消失したが、昭和39年にはコンクリートの建物として復興している。



北御堂は境内の敷地が周りの土地よりも建物一階分くらい高くなっていて、そこを登る石段の上に巨大な山門がある。

この境内の高さは1796年に出版された摂津名所図会にも描かれている。



その山門に立って振り返ると丁度御堂筋を見下ろす格好となり、江戸時代には相当辺りを威圧した建物であったろうと思う。



山門を入ると広い境内の左右に親鸞の銅像があり、古い方は昭和47年に建立されたもので笠を被り、平成9年建立の新しい像はスキンヘッドのままである。



境内には南御堂の梵鐘や金灯篭のような古い歴史のあるものは無かったので、戦災で失われてしまったのかもしれない。



境内正面にはまたしても巨大な石段があり、それを登りつめるとやっと本堂に辿り着く。



後で判ったのであるが、本堂には石段を迂回した横の入り口からエレベーターで登る事もできるようになっていた。

昭和39年にできた本堂は南御堂の本堂よりも少し広く、厳かにお昼のお勤めをしていた。



1階には売店があり、御堂さんという雑誌まで売っているのには吃驚したが、冷房の効いたロビーには近くのサラリーマンやOLが大勢寛いでいた。



ロビーの1階と2階の吹き抜け部分には杉本哲郎画伯の巨大な仏画が描かれている。



その仏画の中の仏様は、薄い衣を纏っているが、りっぱな乳房を持った女性として描かれ、又左右には全裸の侍女が描かれているので、本願寺の中にある宗教画としてはかなり異様である。



NETで調べてみると、杉本氏は滋賀県生れの日本画家で京都絵専卒、印度国立中央大学教授、京都市文化功労者となり1985年、85才没。

仏教美術に傾倒、印度・蒙古等の壁画を模写し、カンボジア・ジャワ等でも仏教美術調査を行うほか、宗教発生の世界各地を巡り、力感溢れる宗教画を描いたとある。

壁画の中に本願寺宗主の令嬢と寄贈者夫婦、杉本画伯夫婦の顔がさりげなく入っているのが面白い。




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