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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



緒方洪庵の主宰する適塾には外から通学する外塾生と、適塾に起居する内塾生がいたというが、内塾生はこの部屋で寝食を共にしていたらしい。



内塾生は会読での成績順で好みの場所を占有できたらしいが、一人の占有スペースは畳1畳程度というので相当窮屈だったようである。


塾生の部屋の真中の柱は血気盛んな塾生が、刀で切りつけために、傷だらけであったのが印象的である。



この傷の一部は福沢諭吉がつけたものかも知れない。

天井の無い部屋の屋根裏を見ると丸太の梁があり、今から210年以上前に建てられた建造物とは思えないくらいしっかりしている。



福沢諭吉、大村益次郎、佐野常民、橋本左内等もこの屋根裏の梁を見ながら日本の将来を考えていたのである。

この部屋にある窓から外の屋根の眺めは、恐らく当時のままではないかと思うが、今は屋根の向こうに巨大なビルが聳え立っている。



さらに奥が塾頭の部屋で、適塾出身の偉人の写真が展示してあった。



歴代の塾頭の一覧表があったが、それによれば大村益次郎は福沢諭吉よりも7年先輩の塾頭であることが判る。

部屋の東にある急な階段を踏み外さないように気をつけて1階に下りると、最初に上がった玄関部屋であった。



塾生はこの階段を使って、1階の教室と2階にある塾生部屋を行き来していたのである。

外に出て適塾の西の筋を南に歩くと、明治34年(1901年)に建てられた愛珠幼稚園があり、この辺りは奇跡的に戦災を免れた貴重な地域であることが良くわかる。



現在でも、他に数軒の江戸時代、 明治初期に建てられた商家がそのまま残り、医院などに利用されているらしい。 

この日は亜熱帯気候の広州と同じような暑さになり、かなり汗をかいたので、1時前には涼しい地下鉄に乗って本町へ戻る。

次ぎは緒方洪庵と適塾の歴史について調べたことを書いてみたい。


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