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" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

人間界と自然界

2020年09月16日 | 日記

 我々が生きるこの世の事を3次元世界と呼ぶが、更に一歩踏み込むと人間の住む世界と天然な自然の世界が存在しており、そこには曖昧な住み分けが成され、2つの異なる世界が同時に存在している。人間は生存と繁栄の為に自然界のアセット(財)を自分が主人の様に思い扱ってきた。自然界との共存を無視して人間の貪欲な行程が過ぎると必ず自然界からのしっぺ返しがやってくる。大きな視点から観るとその現象が自然災害であったりコロナの蔓延であるのかも知れないが、それは自然界と人間界が共存する為のバランス調整でもある。しかし、自然界は人間界が存在しなくとも(むしろその方が)繁栄するが、人間界は自然界がなければ存在不可なのである。そういった現実を改めて理解すると、人間界と自然界は平等な存在ではなく自然界の忍耐と犠牲の上で生かされているのが人間界の現実である。そういった基本的理解は学校では教えてはくれないが、古代人や非文明的と呼ばれる人々にとっては常識的な理解である。現在に生きる我々がアウトドアアクティビティで自然界と接触を持つ機会において、まず最初に理解しなければならないのが自然界>人間界に対する存在理解なのである。

 人間が自然界に足を踏み入れる時に遭遇するのが妖怪の存在である。妖怪は怖いバケモノのイメージがあるが人間が自然界に接触する時に現れる事が多い様なので、その正体は自然界の精霊なのではないだろうか。日本列島が昭和の工業化時代を向かえた時、空気や水の汚染、環境破壊や公害が問題になった時代には自然界に沈住していた妖怪が驚いて跋扈した時代であった様に感じる。

 森の中をトレイルランニングをしていると時々妖怪に遭遇し悪戯をされる。妖怪が現れるとどの様な事が起こるかといえば、道に迷う。昼間の明るい時間に、曲がるべき所が過ぎたのか、まだなのか分らなくなり引き返す事になる。口に何かが放り込まれる。虫か種か土か分らないがその味は正露丸の味そのものだ。上から砂の様な黒い小さな粒が一瞬ぱっと降ってくる。上を見上げると木もない、そこには空があるだけ、風に運ばれた木の種子か人工衛星の炭か、或いは砂かけばばあか?そういった現象は妖怪の存在が無ければ気のせい、或いは何かの自然現象で終わってしまうのであろうが、妖怪のせいにした方が楽しく感じる。ランドクルーザーの後ろのハッチを開けると、人間世界から自然界への入り口が開く。今日もまた2つの世界を行き来するのだ。

コメント
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