いつも自宅の前の路上にあったブルーのロクマルが景色から消えた事はやはり寂しい事である。この心境は人間にも当てはまり、誰か親しい人が身の廻りからいなくなった時に、いなくなったその時よりも少し時間が経過してからの方が心にぽっかりと穴が開いて寂しさに襲われる。ブルーのロクマルは機械であったが愛馬や愛犬の様に捕らえていたので、残念だが代わりの存在はない。将来的には今後の時間の経過がブルーのロクマルとの生活をよき思い出として語ってゆけるのではないかと思う。振り返ると、実用で使用していた旧車であるロクマルは沢山の痛い経験を僕にさせてくれたが、結果としてそれが善かった。おもしろかったと言える。
今の時代は物で溢れ人々は物に埋もれて生活しているように見える。そういった中で物の価値を決める一つのものさしが存在する。そのものさしとは、その物が愛情を込める対象であるかどうか、同地に、どれだけ愛情を込めたかである。世の常識的な価値観では金銭的な価値が主張されるが、それは一つの目安であり主要ではない。物を得る事や物を活用する事によって幸せになれるとする定義があるとすれば、ブルーのロクマルを駆る時にいつもボディを叩いて声を掛けていたささいな行為こそが最高のよい思い出となっている。