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ウインターコンサート

2016年12月18日 | 日記

 

 クラッシックピアノのクリスマスコンサートに行って来た。ピアノに近い席で腕を組んで目を閉じてゆっくりと呼吸をしながら音に集中して自分の中に広がる風景を楽しんだ(居眠りしている様にみえたかも知れぬ)。ピアノの音の世界に没頭していると自分が何処にいるのかが分らなくなった。その時の僕は近い過去に経験した幾つかのシーンと音が重なっていた。その光景は秋の落ち葉が舞う晴れた朝の森の中をロードレーサーを駆って力走している自分である。木々の隙間から照らされる眩しい朝日、そしてその朝日は横を流れるハドソン河の水面にも反射して眩しく照らし返している。その自然の恵みの中を息を切らせながら無になって(ランニングハイというのかも)走る自分、それは快悦な世界である。風や落ち葉や眩しい光はそれぞれの音を放ちながら調和している。そういった世界がピアノのガラスの欠片の様な音と重なった。音には景色があるのだと感じた。

 

 演奏された曲の名前は殆ど覚えてはいない。クリスマスソングだけは覚えている。ヨーロッパで生まれたクラッシックと呼ばれる類の音楽は四季の変化の中で生まれた。そこには森があり木々が茂り太陽が照らし、そして水があった。我々は音楽(曲)は誰か才能のある人物(作曲家)が創り出すものだと認識している。しかし、それは間違っている理解かも知れない。音楽はもともと自然の中(自然界)にあるものなのだ。音楽はこの宇宙の隅々に秘められているのだ。偉大な音楽家達は自然の中にある音楽を訊いていたはずだ。そして、それを取り出して音符を用いて楽譜に残した。その技には脱帽しかない...。

 僕はロードレーサーで森の中を力走しなら、実は五感を通じて音楽を訊いていたのだった。

 


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