アラスカ物語は明治生まれの小説家新田次郎氏の手により資料調査、現地踏査、そしてそれらに基づく創造(想像)力を交えた編文によって1980年に世に出た作品である。物語の中心人物は1868年生まれの日系アメリカ人でフランク安田と呼ばれ別名“ジャパニーズモーゼ"と称された男で作品は彼の北部アラスカにおける波乱な人生を描いている。この本を再読したのは2017年の夏の終わりだった。旅の準備にもいろいろあるが、アラスカ物語をじっくりと再読したのはフランク安田が愛したアラスカの大地を敬謙な気持ちで詣す心の準備であった。
ニューヨークを発った国際線は進路を西にとって広大なカナダの冬の凍て付いた大地の上空を横断する。機内から機下の光景を愉しむ訳だがその為には幾つかの条件を要する。まずは座席の位置が飛行機の羽の位置ではなく機下が見下ろせる窓側のシートである事。そして、航路が目的地の上空近くを飛ぶ事。更に重要な一つが運である。雲が遮って機下の大地が見えない事も有る。ニューヨークを飛び立ってから暫くは機下の大地は厚い雲に覆われていた。
カナダの中央北部に広がるノースウェストテリトリーという無人の原生の大地が暫く続く。辺りは薄暗くなったがこれから夜に向かうのか、それとも、白夜なのか、考えると億劫になる。幸い雲一つ無い乾燥した凍て付いた台地で機下の眺めはとてもクリアーである。
機内に映しだされるルートマップを確認しながら飛行機が現在アラスカ上空を飛んでいる事を確認。光が見える方向は南。大地は恐ろしい程に無人で原始的で美しく輝いている。
ユーコンテリトリーを抜けて山脈が続いている。この南の先にあるのがアラスカ中央にあるフェアバンクスという小さな町だ。目下の河はなんであろうか?ユーコン河かポーキュパイン河か?曖昧な地理感覚では判断は難しい所だ。同時に一本の道が見えたが、あれがPrudhoe Bay に続くDalton Highway かも知れないと思うと興奮する。
目下に広がる山脈がフランク安田がエスキモーの衆を率いて北極海のポイントバローから新たな生存の為の糧を求めて民族移動を成す時に越えたブルックス山脈の南端である。谷の渓谷を観ながら彼が築いたビーバー村を探した。正確に何処かは断定出来ないので、その場所は観たが断定出来なかったという事にしておこう。
ブルック山脈を越えてアラスカ西のノームの港町に近付く頃には再び雲が目下を覆い、その後明確な大地の景色を観る事は無かった。アラスカの上空を通過する数時間はフランク安田が生涯を送った大地アラスカの自然の造形や厳しさ、そしてゴールドラッシュから太平洋戦争。エスキモー、ネイティブアメリカン、白人、日本人、それらをひっくるめた大きな感情の世界に心は浸っていた。
ベーリング悔を南下すると太平洋に出る。太平洋は明るく輝いていた。この飛行機の右側の向こうにはフランク安田の生誕の地宮城県石巻市がある。彼は晩年においてユーコン河を北上川に例えるなど故郷石巻の話をよく家族に対して話していたという。彼は北米の地に渡ってからその生涯で故郷の土を踏む事は無かった。今年の師走と来年の正月は故郷日本でお過ごし下さい、Happy New Year Mr. Frank. と心の中で伝えてこの太平洋の上空で彼と別れたのであった。
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