マッドタレーンタイヤを履いて初めての遠出はドシャブリの雨の中であった。ホワイトレターの上に塗られた保護剤が荒く洗われて、水色のムラになっていたのを思い出す。生活の足としては勿論だが、2度北米大陸を回り、共に問題なく使命をまっとうした。当初は鋭く深かった溝も浅く平たくなり、このゴムの消耗と共に思い出は蓄積された。
ショップの隅で回収業者を待つ使い古したタイヤ達。手前のラジアルタイヤは生産当初からランドクルーザー60のスペアタイヤとして装着されていたものだ。タイヤとしての使命を終えたタイヤ達は廃棄物となってしまった。このタイヤ達を見ると、'ありがとう’ の一言しか言葉が出てこない。しかしこの感情は自分だけのもの、他人から見ればただのゴミ(感情の無い物)でしかないのだが...。
クルマの部品に限らず、使い込んだ物への感謝。あるいは生活の中で出るゴミへの感謝。変な感覚だと思うかも知れないが、忘れていないだろうか?それは他人には出来ない自分だけの特権かも。今週から、ゴミ出しの日にゴミ袋に "ありがとう“ と一言伝える事にしょう。