京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

祗園祭鉾立は匠の技やね

2007年07月16日 05時47分54秒 | 風景・和菓子


いよいよ、京都は祗園祭のクライマックス。
祗園祭は京都三大祭のひとつ。
さて、問題です。以下の祭のうち三大祭でないのがあります。
わかりますか?
・京男祭(節分祭)
・葵祭
・祗園祭
・時代祭



7月12日~各鉾町で鉾立をしたはりました。
山鉾は釘とか接着剤を使わずに組み立てはります。
この作業がなかなか面白いですよ。
匠の技としかいいようがない。





きっとこれは飾りというよりバンパー的な役割をするんだと思います。



どっしりとした車輪。







13日は小雨やったけど、懸命に作業をしてはりました。
何回みてもいいもんやね。



↑長久堂「遠囃し(とおはやし)」





↑外郎、備中餡、山芋、卵白
備中餡は、備中特産の白小豆を使用したものをいいます。白い小豆は結構珍しく高級品なんです。色をつけたりして使います。
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祗園祭の山鉾準備したはった

2007年07月15日 06時17分41秒 | 風景・和菓子


これは長刀鉾の先端。
長刀(なぎなた)が先についています。
謡曲「小鍛冶」で有名な三条小鍛冶宗近作の刀を飾っていましたが、現在は模製に替えてあるんですって。
疾病が流行した折、この長刀を病人に拝戴させたところ平癒したのが由来らしい。
長刀の正面(刃面)が八坂神社や御所に向かんように南向きにつけられてるんです。
写真で刃が南に向いているでしょ。(写真は長刀鉾の正面から撮りました)



この長刀鉾は、昔からフォロントローを制しています。
といっても予選レースはないんです。
昔から長刀鉾は「くじとらず」なんです。他の鉾や山はくじ取り式なんです。
でもほんまに談合せんと純粋にくじなんかな・・・。
このくじとらずは全部で8基あるんだそうです。
当然ある程度、決めとかんと収拾がつかんしね。



この長刀鉾だけ、生稚児が二人の禿(かむろ)と共に乗るんです。
こうやって建物の二階から山鉾にのることができます。
まだ、私はしたことないな。
知った人に見られたらかなんしね。



山鉾はこうやって駐禁にもならんと道路で待機しています。



このヒモに提灯がつくんです。



菊水鉾のところで、神主さんが山鉾巡行の無事を祈っておられました。
大事な神事なのに写真を撮ってすんません。



祭壇部分も次いでに撮りました。



↑本家玉寿軒「祭」外郎、紅餡↓

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天得院の桔梗は見ていてあきひんな~

2007年07月14日 05時30分06秒 | 社寺


天得院ができたのは、南北朝時代の正平年間(1346~70)なんだそうです。
歴史に登場する有名な事件は、慶長19年(1614)文英清韓長老が住持になった。清韓は、豊富秀吉、秀頼の学僧として寵遇され、秀頼の請に応じて方広寺の鐘銘を撰文した。
しかし銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家を呪詛するものとして徳川家康の怒りを招き、豊臣家が最終的には滅んだ。「しゃあない」事件やね。





ここは夜にはライトアップもしていて楽しめるようです。



また、奥のお座敷で「桔梗前」という精進料理がいただけます。
なかなかの商売上手。



八重の桔梗ってちょっと珍しいかも。





いいお庭です。
あまり広くないのですが、これぐらいがちょうどいい。



この木かわったカットしてもろたはる。
天得院地図



↑塩芳軒「ききょう」外郎、白あん↓

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もう2年経ちました!

2007年07月13日 04時34分05秒 | 風景


このgooブログを始めたのが2005年7月13日。
「オコシヤス」という記事からスタートしています。
それから2年、少しは向上しているかな・・・。
それは自分ではようわかりません。
少なくとも写真はよくなったかも。
ものぐさがよく続いたと思う。
色んな方々との出会いと応援のおかげかな。
みなさん、ほんとうにありがとうございます。



世阿弥の『花鏡』に
「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。
是非とも初心忘るべからず
(是非によらず、修行を始めたころの初心の芸を忘るべからず )
時々の初心忘るべからず
(修行の各段階ごとに、各々の時期の初心の芸を忘るべからず ) 
老後の初心忘るべからず
(老後に及んだ後も、老境に入った時の初心の芸を忘るべからず )
この三、よくよく口伝すべし」
というのがあります。
初心とは、「段階ごとに経験する芸の未熟さ」のことです。
初心を忘れたら初心に戻る。未熟な時代の経験、ブザマな失敗やその時の屈辱感を忘れないように、常に自らを戒めれば、上達しようとする姿を保ち続けることができると説いている。
修行を始めて数年たった若い時は、何をしても「花がある」と誉められる。しかしこれは「真の花」ではない。若さが醸し出す言わばルックスの美しさが、欠点を見えなくしている「時分の花」に過ぎない。「真の花」となるには、「初心」を忘れてはならない。
などと感じる今日この頃。



どのぐらい続くのかようわかりませんが、ぞうぞご贔屓に。



三室戸寺の蓮、写真を撮ってきました。
お楽しみに。
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天得院の桔梗はとっても美人さん

2007年07月12日 05時26分08秒 | 社寺


天得院は、東福寺の五塔頭(ごたっちゅう)の一つ。
※塔頭(たっちゅう)とは、もともと禅寺において祖師や大寺・名刹の高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとりの意味)、またはその敷地内に建てた小院のことをいう。それから転じて、寺院の敷地内にある、高僧が隠退後に住した子院のことも塔頭あるいは塔院と呼ぶようになった。





まあ由来は、このぐらいにして桔梗(ききょう)の花ね。
この天得院は、桔梗で有名。
桔梗は7月と9月と二度咲くらしい。



300円の拝観料で、団扇もついてきます。
普通の冷たいお茶はセルフで飲み放題です。



のんびりお庭の桔梗を楽しめます。



この窓には「花頭窓」という名前がついています。
こんな窓がほしいな~。



ずっと見ていても飽きません。
凛とした桔梗はすばらしいですね。



白の桔梗もいい。
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深緑の通天橋

2007年07月11日 04時46分19秒 | 社寺・和菓子


向こうに見えるのは、東福寺の通天橋。
東福寺の通天橋といえば、紅葉の名所として有名。





でもね。いまぐらいの通天橋もいいですよ。
緑がなんともいえないくらい美しい。
しかも観光客が少ない!ゆっくりと境内を散策できます。
といってもこの日は、東福寺塔頭の天得院に桔梗を見にいったのです。



ここは、臥雲橋。
ここは、重要文化財。でも自転車やバイクで押してですが移動できます。もちろん無料で。



臥雲橋から見た景色。
紅葉時はここからの眺めは最高だろうな。
通天橋にいっても通天橋そのものは見れなものね。当たり前だけど。
秋が楽しみ。



さて、天得院につきました。



紋も桔梗だ。
続きをお楽しみに。



↑二條若狭屋「松の蔭」葛、こし餡↓

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まりの神様

2007年07月10日 05時12分01秒 | 社寺


といってもブラジルのペレの話ではないです。
京都の上京区の白峯神宮(しらみねじんぐう)の話。







7月7日に「精大明神祭」がありました。
それにS画伯さんが行ってきました。で、写真をもらいました。
いつもありがとうございます。
ここは、サッカー上達にご利益があり、有名な選手も参拝するそうです。




↑雅楽の譜面

「精大明神祭」は、七夕の日にありました。
蹴鞠や七夕小町踊、織姫舞などが奉納される。
白峯神宮の由来は、明治元年(1868)に明治天皇が讃岐の白峯(しらみね)から崇徳(すとく)天皇の神霊を、のちには淡路の天王森(てんのうのもり)から淳仁(じゅんにん)天皇の神霊を皇室鎮護の神として当地に移して創建された。この地には蹴鞠(けまり)・和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅があり、境内末社に蹴鞠道の神である精大明神(せいだいみょうじん)を祀る。







蹴鞠は、およそ一四〇〇年前、日本国史上で有名な「大化の改新」(645年)は、中大兄皇子が藤原鎌足と蹴鞠を機縁に非常に親密な仲になり、以後、その大業成就へとつながったことは広く知られているところであります。
このように大和朝廷時代に,中国から伝えられたといわれる球戯の一種ですが、日本に入ったときから、相手に受け取りやすく打ち返しやすい配球をする、リフティングとアシストの上手さを競う勝敗のない至って平和な球技です。





私はこの勝敗がないというのが好きですね。
とかく勝ち負けばかり気にする昨今ですが、こんな球技もあっていいのかも。
きっと神様は勝ち負けとかはあまり好まれないのかな。
動画はこちらへ
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お化粧したくなりません?

2007年07月09日 05時52分12秒 | 風景


女房がベランダから咲いているピンクの花を見つけました。
とってもかわいいでしょ。



化粧用の刷毛(はけ)のような花ね。
女房はオジギソウだと言っていました。
近くで撮りにいきました。
桜の時期から比べるとすごい雑草をかき分け近づく。



結構大きな木です。
これがオジギソウ?
調べると確かに葉は同じね。もっと調べると合歓木(ねむのき)と判明。
どうりで葉っぱを触っても閉じないはずだ。
でも合歓木も夜になると葉っぱを閉じるんだそうです。
それが眠るようなので「眠りの木」→「ねむの木」となったらしい。
またひとつ発見した。うれしいな。
「昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る  合歓木(ねぶ)の花
  君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ」(紀女郎(きのいらつめ) 万葉集)



見に行く途中に蝶々が気持ちよさそうにとまっていました。
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二星を聴きながら

2007年07月08日 06時13分29秒 | 和菓子

↑白鳥座付近の天の川

「二星(じせい)」は朗詠です。

「二星適逢 未叙別緒依依之恨
   五夜将明 頻驚涼風颯颯之声」

にせいたまたまあひて、いまだべつしよのいいたるうらみをのべず、
ごやまさにあけなんとして、しきりにりやうふうのさつさつたるこゑにおどろく

二星(にせい)たまたま逢(あ)ひて、いまだ別緒(べつしよ)の依々(いい)たる恨(うら)みを叙(の)べず、
五夜(ごや)まさに明(あ)けなんとして、頻(しきり)に涼風(りやうふう)の颯々(さつさつ)たる声(こゑ)に驚(おどろ)く
高校時代の漢文を思い出すでしょ。あの頃はよさがわからんかった。
あの頃はわからんかったけど、いまは少しわかってきた。



↑二條若狭屋「天の川」葛製、白こしあん↓



これは、『和漢朗詠集』小野美材(おののよしき)
東儀秀樹氏「雅楽 天・地・空~千年の悠雅」(平12・TOCT-24293・東芝EMI)で「二星」が演奏されています。

雅楽〈天・地・空~千年の悠雅~
東儀秀樹
EMIミュージック・ジャパン

このアイテムの詳細を見る


私は、この朗詠がとても好きなんです。

東儀氏の解説は次の通りです。引用させていただきます。
平安時代の中頃に歌曲として完成された朗詠は、中国やわが国で作られた漢詩に曲をつけ、一管ずつの笙、篳篥、龍笛の伴奏で歌われるものです。内侍所(宮中の神殿のある所。賢所)の御神楽の儀に奉仕していた殿上人たちが神楽歌(御神楽の儀で使う歌曲)のような旋律を宴席などで歌いたいと思い、それを漢詩につけて歌い始めたのがきっかけだとされています。古くは数百首近くあったといわれますが今では15首くらいしか残っていません。                    
ひとつの詩を一の句、二の句、三の句と三つに分け、それぞれの句のはじめを独唱し、途中から斉唱(合唱)となります。二の句の独唱部は特に高音(通常より1オクターブ高い)なのが特徴的で男性にはとても苦しい音域となります。一の句が終り、いきなり高音をとるのが大変むずかしいことから、声につまる、つまり「二の句が告げない」という言葉はこの朗詠に語源があるのです。それでも私は二の句が好きで今回も二の句の独唱部を担当しました。                 
「二星」というのは彦星と織姫のふたつの星のことで七夕にちなんだものです。年に一度の出逢いの喜びを語り合ううちに夜が明け始め、別れが近づく。出逢いの喜びと別れの悲しさの間の短い逢瀬のせつなさを描いた詩です。         
 現在残っている朗詠のほとんどが祝賀の内容を表わしたり自然描写で哲学的な表現をするものが多いなか、この「二星」はとてもロマンティックな内容をテーマにしている点が個人的に興味深いところなので収録しました。



↑京都鶴屋鶴壽庵「星の光」葛製、黄あん↓



これを聴いているととてもやさしい気持ちになりますよ。
いつか草原に寝転がりながら星空をジッと見ていたことがあります。
あの時、宇宙の音が聴こえた感じになりました。
昔の人は、きっと宇宙の音が聴こえたんでしょうね。
現代人は、天(そら)を観る機会が少ないですね。
天はわれわれを見守ってくれているのに。
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七夕・・・星空がみえるといいね

2007年07月07日 06時29分46秒 | 風景・和菓子


今日は、七夕。
保育園とか幼稚園や百貨店ではお飾りがしてありますね。
かわいい願い事がたくさん。
七夕は、本来七月七日に行われていた神迎えの儀式に、中国の行事が結びつき、彦星と織り姫の物語とあいまって民間に広がりました。



神迎えの儀式とは、水辺に棚(祭壇)を設え、その棚に神の衣を織って奉上する儀式です。この衣を織る機織を棚機(たなばた)というのです。で衣を織る乙女(おとめ)を乙棚機(おとたなばた)といった。
その乙女が神さんを迎えるのです。
穢(けが)れを祓ってもらいたい人たちが川で禊(みそぎ)を行い、神さんにその人たちの穢れをテイクアウトしてもらうというものなんです。
この儀式が七夕の元なんです。
※禊/神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前に、自分自身の身を川や海で洗い清めること。
そやけど「七夕」を「たなばた」とは読めへんね。
棚機(たなばた)がもともとの語源みたい。それと7月7日の夕べの行事であったため、平安時代から「七夕」と書いて「たなばた」と呼び慣わしているんですって。

さて、七夕に題材にした上生菓子をご紹介。



長久堂「願ひの糸」



黒糖、琥珀で出来ています。黒い箱に5色の糸が巻いてある。
とても上品なデザイン。金箔がきっと彦星と織り姫さんをあらわしているのかな。
結構しっかりした上生菓子でした。



千本玉寿軒「星月夜」



葛製、黒こしあん。
宇宙を望遠鏡でみたような景色がありますね。
不思議なデザイン。
これも金箔で彦星と織り姫さんをあらわしている。
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智積院の景色

2007年07月06日 05時55分51秒 | 社寺


智積院は、東大路七条の国立博物館の向側にあります。
真言宗智山派総本山智積院。



紋は、「桔梗紋」ね。
「利休好みの庭」はこの間、紹介しましたので、その他の施設を紹介。



「利休好みの庭」を見て、廊下を歩くます。
この廊下は、うぐいす張りになっています。
歩く度に音がします。曲者じゃないのに・・・・。





ちょっとした広さの石庭が見えます。
面白い中庭になっています。
緑一杯の利休好みの庭とは違うのが面白い。



これが玄関かな?
向こうに見える門が写真の二枚目の門です。



これはトイレの表示。
烏枢沙摩明王(ウスサマミョウオウ )の真言が書いてある。
「おん・くろだのう・うん・じゃく(そわか)」
がなぜ「便所の真言」なのか?
トイレは古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったことから、現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあったトイレを、烏枢沙摩明王の炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰に基づいているんです。
トイレ掃除の時もこの真言を唱えながらお掃除をするとウン(運)がつくといわれています。
※「おん」は、神仏に呼びかける言葉。「そわか」は、「付き従います」という意味。
例/「オン・キョヨウオトコ・ソワカ」などと唱えます。そういわれても困るけど(笑)
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祇園祭月

2007年07月05日 05時25分52秒 | 風景・和菓子

↑船鉾の組立(去年の写真)

1日は、祇園祭の安全を祈願する儀式「お千度の儀」が八坂神社であった。市内の各山鉾町でも神事始めの「吉符入り」が行われ、京都は祇園祭一色になります。
鱧を食べて、胡瓜は食べない・・・胡瓜の切り口が八坂神社の紋に似ているからなんです。
なんて書くと京都の観光案内みたいやね。(笑)
普通の京都人にとってはヨソの町内のお祭という感じがせんでもないけど。


↑神幸祭(去年の写真)

1~5日/吉符入り。各山鉾町で神事の打ち合わせ。長刀鉾町のお千度の儀。
2日/くじ取式
10~13日/鉾建て。神輿洗式
12~13日/鉾曳き初め
11~14日/山建て。鉾ではなく山を組み立てる
13~14日/舁初め
14~16日/宵山
17日/山鉾巡行、夕方から神幸祭(いわゆる後の祭)
24日/花傘巡行
28日/神用水清祓式、神輿洗式。
29日/神事済奉告祭、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する
31日/疫神社夏越祭
書き出すと長いお祭でしょ。もっと細かく書けるけど、きりがない。


↑本家玉寿軒「神衣」
祗園祭に因んでいるかどうかわかりません(牛車は祇園祭に関係ないかも)がお菓子をどうぞ。


↑クレープでみそあんを包んであるようなお菓子。


↑麩焼、みそあん。みそあんは好き。
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三室戸寺の紫陽花

2007年07月04日 05時45分17秒 | 社寺・和菓子


先月の晴れた日に三室戸寺に行く。
やっぱり京男は晴れ男。雨には縁がない。
それはそれでありがたいんだけど、紫陽花を見に行くにはちょっと問題。







その週にテレビで紹介された影響なのかとても人が多かった。
正直言ってこんなに人が多いのは初めて。
いつもの牛さんにも行列が・・・。



三室戸寺の紫陽花は見頃の少し手前かな。
でもいっぱい咲いていました。
見事でしょ。
夜間はライトアップもしているようです。
ライトがいっぱい立っていました。
人もいっぱい。(人もライトのポールも写真から消しましたが)
ここの紫陽花さんは、ちょっと元気がないかな。
天気もあるだろうけど、葉っぱがちょっとお疲れ気味。
ライトアップというのも人間にとってはいいけど植物にはストレスなんだろうな。



これはガクアジサイの花のアップ。
これが花なんです。


↑鶴屋吉信「京・季のこよみ(あじさい)」


↑千本玉寿軒「紫陽花」


↑きんとん、黒こし餡。
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色白な紫陽花

2007年07月03日 05時03分29秒 | 風景・和菓子


いまは、紫陽花にちなんだ上生菓子がいっぱい。
雨に濡れた紫陽花の姿なんでしょうね。
きれいな色合いです。




今日の紫陽花さんたちは、とても色白なんです。
梅宮大社(うめのみやたいしゃ)の神苑で見つけました。
なんともかわいい八重の額紫陽花。
ほとんど白に近いベビーブルーがきれい。







こちらは、パウダーピンクね。



これなんかは白いソフトクリームみたいな紫陽花。
思わず持ってみました。(舐めはしませんが)
面白い形です。



これは派手な赤の紫陽花。
これほど赤いのは始めてみたかも。



今日のお菓子は、二條若狭屋「紫陽花」。
色の組み合わせがとても上品。透明の寒天が涼しげ。



きんとん(山芋)粒餡。
山芋入りなので、ねばりのある美味しさが好印象でした。
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平安神宮と新熊野神社の茅の輪

2007年07月02日 04時50分50秒 | 行事


6月30日、平安神宮の応天門に茅の輪がとりつけられて、夏越祓の茅の輪くぐりをしていました。



土曜日ということもあってたくさんの観光の方々が穢れを祓っておられますね。
おそらく、意味はご存知ない人が多いだろうな・・・。



朱色の応天門や鳥居と茅の輪のコントラストがいいかも。



ここは、新熊野神社。
29日にオープンカーで前を通ったら氏子の方々が茅の輪をつくっていました。
なんで名前に「新」がつくんだろう?
しかも新熊野神社と書いて、「いまくまのじんじゃ」と読むんです。
地名的には「今熊野」と書くんです。読めないからだと思うけど。
平安時代、後白河上皇は平清盛に命じて紀州の熊野から土砂や材木をこの地に運び込み、
新たな熊野との意味を込め、新熊野神社を創建したと伝わっています。
そういえば、近くにも新日吉神宮(いまひえじんぐう)というのもあります。
平安時代の京都では、熊野信仰や日吉信仰が篤かったようです。





茅の輪くぐりのお作法は基本的には同じ。和歌はなしみたい。鈴を降ったり拝礼したり、左足から輪をくぐるというのもありますね。



手水舎(てみずや)も茅でお飾りしてあります。



新熊野神社の茅の輪お守り。
ちょっと頭を串刺しみたいで怖いかも。



茅をもらって自分で茅の輪をつくることもできるんです。
新熊野神社地図
「エライ淡泊な説明やね」と言われそう。
実は今日のお写真、S画伯さんからいただきました。
いつもありがとうございます。



これは、昨日7月1日女房のお母さんにもらった上賀茂神社の茅の輪のお札。
お母さんは、上賀茂神社に行ったんだ。おかあはん、おおきに。
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