京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

悲田院

2015年11月11日 04時08分51秒 | 社寺
ここは、悲田院(ひでんいん)。
泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭です。
身寄りのない老人や貧しい人、親のいない子どもを収容する福祉施設である悲田院は、難波宮や平城京内に設けられ、平安京でも東西二箇所の悲田院が設けあれた。



寺院としての悲田院と平安京の悲田院との関係には不明なところが、寺伝によると、鎌倉時代の延慶(えんけい)元年(1308)、無人如導(むにんじょどう)により安居院(上京区)に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれた。


↑そういえばいつか甘酒接待で来たことがある

後花園天皇(在位1428~1464)は当寺を勅願寺とし、これより代々の住職は天皇の綸旨(りんじ)を賜り、紫衣参内が許された。また同天皇崩御の際には当院で葬儀が行われた。



兵乱により衰微するが、正保2年(1645)、如周恵公が高槻城主永井直清の帰依により、この地に移し再興したのが現在の寺域である。幕末までは高槻藩の庇護のもと大いに栄えた。
本堂は再興寺の建物で、本尊の阿弥陀如来立像のはか。快慶作の宝冠阿弥陀如来座像が祀られ、襖絵は土佐光起・光成親子の力作である。毘沙門堂の毘沙門天は「泉山七福神」の一つとして信仰を集めている。また、煎茶道「東仙流」の総司所として煎茶道の普及に努めている。


↑これ、ちょっと面白いと思いますか?

以上が高札の書き写しでした。
たまにはこういうのもやらないとね。



ここからの風景は、病室からの風景を思い出す。
左の方に京都タワーが見えるでしょ。



こちらの風景も懐かしい。
リハビリ室からの風景なんです。
清水寺方面の方向で、山を越えて次の山も越えたあたりが我が家がある。
リハビリ室から眺めて早く帰りたいと思っていたのです。
ちょっと懐かしい。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
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6 コメント

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おはようございます (すー)
2015-11-11 04:28:15
ここは、入ったことが無いですね。

思い出の懐かしい景色! だれにでもありますよね。他人には何でもない景色でも!
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>すーさん、おはようございます (京男)
2015-11-11 04:45:04
リハビリの日々を思い出すんです。
帰るためには、必死にならないといけない。
病院内でも自主トレの日々。
お陰でいまの自分があるのです。
だから印象が深い。
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こんにちは (ちび山)
2015-11-11 12:14:05
京都の空は綺麗ですね。たぶん下界は観光客でごった返しているのでしょうが、上はスッキリしています。
龍さんは、ストレートネックですね。なんか、かわいい。
昨日のアドバイス、ありがとうございました。少し頭が冷えて来ました。
感情的にならず、って分かってても、修行がいりますね。でも、暖かい気持ちで行こうと思います。
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>ちび山さん、こんにちは (京男)
2015-11-11 17:01:58
観光の人が増えてきました。七五三の様な服装をしたチンケな着物を着た人もウロウロしています。
この龍さん、なんとなくユーモラスですよね。
お役に立てましたか。
感情的にならないことです。二人とも感情的になったら収拾がつかないです。一段上(上から目線じゃなく)の判断をするのがいいと思います。
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こんばんは。 (りえ)
2015-11-11 17:43:59
悲田院って、初めて聞きました。一番上の写真、なんか好きです。。

京男さんがリハビリしていたなんて、なんか信じられないです。病院からの景色、空がきれいですね。だからといって早く出たいものなのでしょうけど・・
返信する
>りえさん、こんばんは (京男)
2015-11-11 21:47:03
ここは、新年の七福神巡りが有名かな。
ここは、毘沙門天なんです。
松葉杖で二年間ぐらしたのです。
入院も3回だったのです。
病院からずっと京都タワーが見えていました。
秋を知らない年がありました。
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