京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

鳥辺野

2014年01月06日 04時53分41秒 | 風景
昨日、今年初めての散髪に行く。
行きは徒歩で行く。
最近、あまり歩けていないんですよ。
女坂を降っていく、まだ学校が休みなので静かだ。
東大路通の近くに高札があった。


↑真っ直ぐ行くと豊国廟。ここが通称「女坂」

書き写してみます。
「鳥辺野(鳥辺野・鳥戸野とも書く)」
現在の西大谷一帯を指し、古くはこの阿弥陀ヶ峰(あみだがみね・鳥部山)山麓付近を中心に、北は五条坂付近から南は今熊野付近もで、東山山麓から鴨川にかけてかなり広い地域をいったもので、京の代表的な葬送地(そうそうち)である。「鳥辺野の煙」とあるように東宮実仁(とうぐうさねひと)親王、藤原道長、頼道(よりみち)親子など多くの皇族・貴族がここで荼毘(だび)に付された。東三条院詮子(せんし・一条天皇の母)の場合、暮れの雪の降る寒い日に鳥辺野で荼毘に付され、遺骨は木幡(こはた)の墓地へ運び埋葬されている。また中宮定子(ていし)は遺言により鳥辺野に土葬された。(鳥辺野陵)
『源氏物語』では急死した夕顔のほかに葵上(あおいのうえ)、紫上(むらさきのうえ)もここで荼毘に付されている。葵上の葬送の様子を「鳥辺野に率て奉るほど、いみじげなること多かり。こなたかなたの御送(みおく)りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし」(「葵」)の描写されている。
なお、この前の坂は阿弥陀ヶ峰の頂上(標高196.4m)にある豊臣秀吉墓所(豊国廟)の参道にあたる。平成20年3月京都市



いまは、若い女性が上り下りする女坂ですが、昔は静かな場所だったようですね。
現在でも山の上の方に京都市中央斎場があります。あまり行きたくない場所ですが何回も行った経験があります。葬儀の車列が渋谷道を通ります。次回、山からの帰りしなマンションも前で車を止めて、下車したらどうなるかな・・・。あの斎場にある喫茶で焼き肉弁当があったけど、いまでもあるかな・・・。



そうそう人に住んでいる場所を説明するのに、「鳥辺山心中の鳥辺野です」と説明する時がある。
歌舞伎を知る人には、話が通じます。


↑香雪院への道しるべがありました

1925年に作られた岡本綺堂の新歌舞伎「鳥辺山心中」が有名。
舞台は、「祇園花菱屋の場」と「四条河原の場」の二場
京都市内の街中で起こった話なんです。
話は、上洛してきた将軍家光に従ってきた旗本・菊池半九郎と若松屋の抱え遊女・お染が鳥辺山で心中をする話。武士と遊女の心中は珍しいですね。

そうそう電話で住所を復唱してもらうことが結構あります。
「阿弥陀ヶ峰」を読めない人が多いのにビックリします。
もっとも、私も書けない時が時々あるけど。
京都の住所はなんでこんなに長いのだろう。

※正月早々ちょっと陰気な話ですんませんでした。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otokon
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする