万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

夫婦別姓は一夫多妻制への道?

2021年04月28日 11時56分40秒 | 社会

 最近のネットゲームは、かつてのものと大きく変質してきているように思えます。戦国時代が舞台と思われるゲームの広告には、’全員、俺の嫁’というキャプションが付され、’億万長者’というゲームには、大勢の美しい秘書たちが登場するようです。戦国時代のゲームと言えば、勇敢な戦国武将が天下を競うという古典的な戦略タイプが定番であったのですが、今日の様変わりぶりに驚かされます(お姫様たちの略奪が目当てとは…)。訝しく思っていた矢先、夫婦別姓の議論が活発化してくるにつれ、日本国は、一夫多妻制への転換を迫られているのではないかと疑うようにもなってきたのです。

 

 一夫多妻制への動きは、今に始まったものではないように思えます。例えば、民法改正による嫡出子と非嫡出子との間の相続財産の平等化は、子の間の差別撤廃を根拠としながらも、見方によっては一夫多妻制を容認しているようにも見えます。そして、今般の夫婦別姓への議論も、女性の改姓に際する不便さの解消や女系による家名の継承など、もっともらしく理屈が並べられています。しかしながら、一夫多妻制への移行という視点から同問題を眺めますと、夫婦別姓は、同方向への流れを後押しするように思えるのです。

 

 夫婦別姓については、古代や中世にあって日本国も別姓であったとして支持する意見もあれば、同制度は中国や韓国の風習であって、日本国の婚姻制度の中韓化を狙ったものとして反対する意見も聞かれます。保守派にあっても賛否両論があるのですが、何れにしましても、夫婦別姓は、一夫多妻制において散見される制度です。その理由を考えて見ますと、一夫多妻制にあって夫婦同姓としますと、同性の範囲が著しく拡大してしまうからなのでしょう(一人の夫を介して、血縁関係のない複数の女性達が’同性の家族’になってしまう…)。

 

 一夫一婦制では、たとえ実際には一夫多妻となっているケースがあったとしても、法律上は夫婦同姓ですので、所謂’正妻’、’嫡妻’という立場が確立しています。同性である限り、一組の夫婦であることは誰から見ても一目瞭然なのです。しかしながら、夫婦別姓ともなりますと、法律上の配偶者であるのか、その姓名だけ見て判断することができません。一人の男性に対して、複数の別姓の女性たちが同列として並んでしまうという事態もあり得てしまいます。複数の女性の内誰が’正妻’であるのかは、法律上の家族関係を知らない限り、表面だけでは分からないのですから。

 

 非嫡出子の相続平等化に際しても、’正妻苛め’や’嫡出子苛め’ではないか、とする批判がありました(相続が平等ならば、介護など、高齢となった親の面倒をみることを非嫡出子にも義務付けるべきでは…)。今般の夫婦別姓にあっても、最も立場が不安定化するのは法律上の配偶者なのかもしれません(選択制とされ、女性の側が別姓を希望すると想定されていますが、男性の側から別姓を求められるケースも…)。同改正は、女性が生きやすい社会への変革とされているものの、その恩恵を受けるのは、必ずしも’全ての女性’ではないようです。戦後の民法改正により戸籍制度も夫婦単位に改められましたが、夫婦同姓は、夫婦を中心とした安定した家族の枠組みを護ってきた側面もないわけではないのです。

 

それでは、一夫多妻制は、男性にとりまして望ましいのでしょうか。一夫多妻制は、一人の男性が複数の女性を独占する形態ですので、家庭を持つことができない男性が多数出現することとなります。’億万長者’による独占は、その他多数の男性が、婚姻のチャンスに恵まれないことを意味するのです(イスラム世界では、それ故に男性たちは戦士に…)。DNAの塩基配列の均質化も起きますので、一夫多妻制は、一握りのセレブな男性を除いて、男女問わず、人々から歓迎される制度とも思えないのです。

 

夫婦別姓から垣間見える婚姻制度や’正妻’に対する怨嗟からしますと、独身主義のイエズス会(修道士には歴史的には非嫡出子も多い…)や家族制度が崩壊しているセレブ層、あるいは、女性の共有を主張したマルクス主義者が背後にあって日本国の社会改造を画策しているのかもしれません(中国では共産党員こそ一夫多妻の’億万長者’であることと関連?)。ネットでは、パソコン等の検索履歴等に基づいて個人の志向が分析され、広告内容が選択的に変わるそうですが、ネットゲームとは無縁なパソコンの画面にもこうした広告が頻繁に出現するのも、一夫多妻制に国民を慣れさせようとする思惑が潜んでいるとも推測されます。

 

しばしば、旧弊からの脱却を試みたつもりが、さらに悪しき旧弊への逆戻りとなるケースが見受けられます(フランス革命然り、ロシア革命然り…)。輝かしい未来に向けて踏み出したと思いきや、気が付いた時には、暗い野蛮な時代に戻っているのです。このように考えますと、夫婦別姓問題についても、その先を見据えた議論が必要なように思えるのです。

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