チベット騒乱 五輪開会式不参加を 仏外相、EUに促す(産経新聞) - goo ニュース
世界各地で紛争が発生する度ごとに、平和的な解決方法を声高に唱えている人々が、北京オリンピックのボイコットを主張していないことは、まことに不思議なことです。中国が、国威をかけて開催するオリンピックへの不参加をおいて、軍事力を使わずにして、相手国に圧力をかけることができる外交手段はないのですから。
もちろん、中国との関係悪化は、経済に損失を与えるでしょうし、日頃の中国側の態度を考えますと、政治的にも何をされるかわかりません。しかしながら、外交という政策領域は、決して諸外国と友好関係を築くためにのみ存在しているのではないのです。国益のみならず、時には、価値観さえも衝突する国際社会にあって、誰もが、人道や倫理について考えざるを得ない場面に遭遇するものなのです。チベットで起きた弾圧事件に際しても、政府のみならず国民も、弾圧側の強国に阿ったり、経済的な利益に心を奪われて、民族虐殺に目をつむるようなことになれば、国家そのものの威信と信頼性が揺らぐことになりましょう。ここは、自国の短期的な利益の犠牲を覚悟してでも、中国に対する抗議の姿勢を、北京オリンピックボイコットという外交手段を用いて、明確に示すべきではないかと思うのです。
外交手段を以って事態が好転するならば、自らそのチャンスを逃し、外交カードを捨てることは、あまりに愚かなことなのではないでしょうか。
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世界各地で紛争が発生する度ごとに、平和的な解決方法を声高に唱えている人々が、北京オリンピックのボイコットを主張していないことは、まことに不思議なことです。中国が、国威をかけて開催するオリンピックへの不参加をおいて、軍事力を使わずにして、相手国に圧力をかけることができる外交手段はないのですから。
もちろん、中国との関係悪化は、経済に損失を与えるでしょうし、日頃の中国側の態度を考えますと、政治的にも何をされるかわかりません。しかしながら、外交という政策領域は、決して諸外国と友好関係を築くためにのみ存在しているのではないのです。国益のみならず、時には、価値観さえも衝突する国際社会にあって、誰もが、人道や倫理について考えざるを得ない場面に遭遇するものなのです。チベットで起きた弾圧事件に際しても、政府のみならず国民も、弾圧側の強国に阿ったり、経済的な利益に心を奪われて、民族虐殺に目をつむるようなことになれば、国家そのものの威信と信頼性が揺らぐことになりましょう。ここは、自国の短期的な利益の犠牲を覚悟してでも、中国に対する抗議の姿勢を、北京オリンピックボイコットという外交手段を用いて、明確に示すべきではないかと思うのです。
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いかに「スポーツを通して感動を与えられる場を提供できるか。」
だと思います。
オリンピックで政治的判断をするべきではないと思いますが、政治・環境などの観点から中国はこの条件を満たして
いるのか?
今回の一件で考えさせられます。
http://bull22.blog107.fc2.com/blog-entry-313.html
ぶる夫☆
外交手段として最大、とは言うものの、それって悪い言い方させてもらえば「政治的な嫌がらせ」。
そんなものの為に、真剣に健全に五輪目指して頑張ってきた選手の夢を潰すのも、どうかと思うのですが。
彼等に罪は無いよ。
ま、国を挙げてのボイコットではなく、選手個人レベルのボイコットなら良いかも知れないけど。
中国政府の行為は、人としての心があるのかと疑ってしまうほど、常軌を逸した行為であると思います(北朝鮮も酷いですが・・・)。人類は、まだ、野蛮を克服していないようですね。まことに、残念なことです。
古代にあっては、オリンピックは政治的な対立を超えた”平和の祭典”でした(もっとも、武器を用いない代理戦争の意味もあったと思われますが・・・)。
一方、近代オリンピックの歴史を振り返りますと、ナチスのベルリン・オリンピックをはじめとして、政治利用された事例が数多く見られます。戦前の東京オリンピックは第二次世界大戦でお流れになりましたし、戦後のオリンピックは、戦後復興の象徴でもありました。そうして、何よりも、1980年のモスクワオリンピックのボイコットは、ソ連のアフガン侵攻への強力な抗議手段となりました。ちなみに、この時、中国も、西側諸国と歩調を合わせてボイコットしています。
以上の経緯を考慮しますと、やはり、オリンピック・ボイコットは、政治的な手段、あるいは、侵略や弾圧に対する抗議手段と考えられると思うのです。
確かに、LAXさんのおっしゃいますように、選手には何らの罪もありません。しかしながら、政治的な判断をする場合には、優先順位が問われることもあるのです。
虐待されているチベットの人々と、スポーツ選手の夢とのどちらかを採らなくてはならない場合、LAXさんは、どのような選択をなさいますか?もし、両方とれないならば、私としては、やはり、チベットの人々を救いたいと思うのです。
EUなどでは、選手レベルでのボイコットが既に起きていると言います。選手の方々にも、自らの良心に照らして、よくよく考えていただきたいと思うのです。名誉のボイコットという考え方もあるのではないでしょうか。