万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

戦争ビジネスと愛国心の利用

2023年12月28日 13時43分56秒 | 国際政治
 戦争ビジネス論には、人々の政治に対する認識を大きく変える可能性があります。とりわけ、強い影響を受けるのは、平和主義を唱えながら戦争に加担するリベラルも然ることながら、保守系の政治団体も無傷ではいられなくなります。何故ならば、リベラルとは別の意味で、国民を騙しているかも知れないからです。

 戦争に誘導するためには、あらゆる方面から国民を誘導する必要があります。このためには、積極的な国民に対するプロパガンダや扇動活動、並びに、‘仮想敵国’や周辺諸国がもたらす脅威をアピールし、何時でも国民が自発的に戦争に協力する環境や体制を整えておかなければならないこととなります。とりわけ、侵略等の行為が国際犯罪化した今日にあっては、犯罪と同義となる領土拡大政策は国民からの支持を得ることは難しくなりましたので(もっとも、ロシアや中国では、今もって帝国主義的なプロパガンダは通用するのかも知れない・・・)、‘国民を護るための防衛力強化’や‘国家存亡の危機’が最も国民の心に訴えるフレーズとなりましょう。何と申しましても、全ての国民にとりまして、他国によって自国の領土を侵害されたり、主権を奪われることは、祖国喪失の危機という死活問題となるからです。

 自らの生まれ育った国を護りたいとする心は、誰もが奴隷やジェノサイトの対象にはなりたくないように、およそ全ての国民に宿っております。多少の差こそあれ、国民には愛国心がありますので、保守勢力による自国防衛のアピールは、戦争に対する国民の心理的な受容を促すのです。しかも、古今東西の歴史を振り返りますと、領土を奪われたり、他国から一方的な攻撃を受けた事例は枚挙に暇がありません。英雄伝の多くは、常々、愛国心に燃えて危険を顧みずに勇敢に敵を打ち倒した救国者の物語ですし、古来、国家を護るのために自らの命を捧げた兵士達も、英雄として崇拝されてきました。少なくない国民が、祖国防衛を訴え、愛国心に訴える政治勢力に共感し、頼もしいと感じてもおかしくはないのです。

 ところが、戦争ビジネス論が登場し、真実味を帯びきますと、国民の保守政治勢力、あるいは、右派やタカ派に対する信頼は大きく揺らぐことになります。何故ならば、これらの勢力は、国民の祖国防衛に対するや愛国心を、戦争への誘導を目的に利用しようとしているのではないか、とする払拭しがたい疑いが国民の心の中に自ずと生じるからです。仮に、戦争ビジネス論が事実であれば、保守系の政治勢力は、自らの私的な利益のために国民を戦争へと駆り立てていることになり、これは、国民に対する背任並びに詐欺的行為に他ならなくなります(戦争利益のための偽旗作戦の実行者・・・)。

 そして、この疑惑は、近年、深まりこそすれ消えることはありません。戦争ビジネス論を裏付けるような事件や事象が数多く発生しているからです。例えば、日本国内では、自民党が掲げてきた‘保守政党’の看板は偽りではなかったのか、とする疑念が生じています。日米同盟の強化やウクライナ支援等を熱心に訴えても、自国民を犠牲に供しつつ、アメリカあるいはグローバル軍需産業に奉仕している疑いが晴れないのです。その一方で、戦争ビジネス論は、中国の急速なる軍拡や北朝鮮による頻繁な威嚇的な核開発やミサイル発射をも説明します。戦争を待望する勢力は、権力が一個人に集中しているほど外部から操るのが容易となりますので、独裁体制は好都合なのでしょう。かくして、マッチポンプ式に新興宗教団体を含む様々なルートから双方の敵愾心を煽り、創作されたカバー・ストーリーに沿う形で戦争への道が準備されるのです。

 岸田政権に対する支持率の低下も、国民の多くが安全保障上の脅威を根拠とした防衛費増額のみならず、デジタル化社会(デジタル全体主義)化等の推進も含め、上述した仕組みに気がついてきているからなのかも知れません。もっとも、左右の相違に拘わらず、政治団体というものの大半が戦争ビジネス勢力の息がかかっているとしますと、同危機は、政権交代によって簡単に解消できる性質のものでもありません。右のものを左に移しても、左のものを右に移しても、結果は変わらないのですから(つづく)。

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