自由貿易主義と戦争ビジネスが不可分に結びついている現状は、軍事大国あるいはその背後に潜むグローバリストが、自らの利益のために安全保障上の危機を演出しようとする動機を説明します。この側面を逆から見ますと、今日の自由貿易主義が抱える構造的な悪循環も露わとなるように思えます。
今日の途上国の経済成長には、特徴的なパターンがあります。それは、海外から工場や最先端のテクノロジーを含む投資を積極的に呼び込む一方で、海外市場に自国生産の製品を輸出するというものです。これは、戦後の復興期の日本国も改革開放路線に舵を切った中国も辿った経済成長の成功パターンなのですが、輸出が経済成長の原動力となっているところにその特徴があります。いわば、自由貿易主義体制での成長モデルであり、今日、東南アジア諸国も同じ道を歩もうとしていると言えましょう。
生活レベルの向上と豊かさの実現という観点からしますと、途上国の発展は望ましいことです。その一方で、有力な投資先を探すのに抜け目のないグローバリストにとりましても、伸びしろの大きな途上国への投資はハイリターンを約束することでしょう(ただし、グローバリストの重点的な投資先の選定や変更により、BRICSやグローバル・サウスのように投資が一部の選ばれし国に集中したり、先行して経済が発展した諸国の成長率は頭打ちとなる・・・)。しかしながら、輸出牽引型の経済成長の行く先には、落とし穴が潜んでいるように思えます。このリスクこそ、上述した構造的悪循環というものです。この構造的悪循環とは、現状のまま自由貿易主義、あるいは、グローバリズムが推進され、途上国の経済が上記の成長モデルをもって発展すればするほど、国際社会における安全保障上の脅威も比例的に上昇してしまうというものです。
巨大な軍需産業を擁する軍事大国やグローバリストが、戦争ビジネスからさらに利益を得ようとすれば、新たな兵器市場の開拓を必要とします。その売り込みのターゲットとなるのが、経済成長を遂げ、相当の外貨を獲得するようになった諸国であることは言うまでもありません。しかしながら、平和で無風の状態では、これらの諸国は、兵器を積極的に購入しようとはしないことでしょう。軍需産業には、安全保障上の危機が必要なのです。この点、各国政府やメディアに及ぼすグローバリストの絶大なる影響力をもってすれば、安全保障上の危機を作為的に作り出し、世論を誘導することも決して難しいことではないことでしょう。‘鉄砲玉’として使える国は既に準備されていますし、可能な限り‘自然’や‘偶然’を装いながら、中国やロシアを含む軍事大国を背後から動かせばよいのですから。
自由貿易主義が説く最適な国際分業や資源の効率的配分が、安価なコストによる消費財の生産と兵器製造との間で成り立つ、しかも、自然成立ではなく、軍事大国のパワーとグローバリストによる危機の演出をもってこの関係が押しつけられるとしますと、誰もが自由貿易主義には疑念を抱くはずです。そして、この悪循環が続く限り、途上国による兵器の重点的な輸入により、輸入はアジア諸国の国民生活を豊かにする方向には働くよりも、むしろ、苦しめる方向に作用するかも知れません。国民が輸出品の製造に励めば励むほど、安全保障上のリスクを口実とした、政府による高価な兵器購入も増えることでしょう。すなわち、何れの国民も、防衛費の増額により、増税を強いられるかも知れず、精神面でも、常に軍事大国から攻撃を受けかねないという恐怖の下で生きなければならなくなるからです。その一方で、アメリカを含めて国際競争力を有する輸出品として兵器を製造している諸国では、自国の産業の軍需産業への依存度が高まるにつれ、グローバリストとの間に戦争利権を共有する人が増えてしまいます。軍需産業を有する諸国では、平和を訴える声はかき消されてゆくことでしょう。
この問題は、アジア諸国のみならず、今や、全ての諸国が直面している重大な危機とも言えましょう。日本国の防衛予算も右肩上がりに増え続けていますし、イギリスのスターマー首相も防衛費の増額を表明したように、ヨーロッパ諸国でも、少なくとも政府レベルでは、ロシアの脅威を口実として戦争モードに移りつつあります。実際に、第三次世界大戦によって多くの諸国が焦土と化したとしても、グローバリストにとりましては、焼け野原には‘スマート・シティー’を建設する、あるいは、絶好の‘グレート・リセット’のチャンスなのでしょう。否、まさにこれこそ、第三次世界大戦へと誘導する真の目的であるかも知れません。こうした予測される未来は、人類にとりまして望ましいこととは思えず、何処かでこの悪循環を断つべきではないかと思うのです(つづく)。