今日のアメリカは、あたかも現代版独立戦争を戦っているかのようです。その一方で、独立戦争のみならず、アメリカは、南北戦争をも同時に闘っているように見えます。もちろん、現代版にあっては、両戦争とも、戦場ではなく法廷において知性と理性を以って闘われているのですが、対立の構図を見ますと、今日の大統領選挙には過去の二つの戦争と重なってくるのです。
それでは、今日の大統領選挙は、どのような意味で南北戦争と共通しているのでしょうか。先ず第1に挙げられますのが、州が他の州を訴えるという州間対立に至っている点です。今般、米テキサス州のパクストン司法長官は、連邦最高裁判所に対してジョージア州、ミシガン州、ペンシルべニア州、ウィスコンシン州の4州を訴えています。現時点にあって17州がテキサス州の訴訟に賛同する一方で、ロイター社はワシントンD.C.、並びに他の20州が被告側となる4州側を支持する書面を最高裁に提出したと報じています。アリゾナ州のように中立的な立場を示す州もありますが、今やアメリカでは、大統領選挙をめぐり二つの陣営が対峙する構図が出現しているのです。
テキサス州は、被告州となる4州が正式な手続きを経ずして大統領選挙の選挙方法を改正した点を問題視しています。何故ならば、この行為はアメリカ合衆国憲法の規定に反するからであり、連邦最高裁判所が違法性を認めれば、4州の選挙は無効となることが予測されたからです。これまでのトランプ陣営による法廷闘争は、各州において行われた不正選挙、並びに、その背景にある電子投票・集計機器をめぐる国際陰謀や国家反逆行為に関するものでしたが、今般のテキサス州が主導する違憲訴訟は、不正選挙そのものを直接問うのではなく、それを許した制度変更の違憲性を問うという間接的な手法と言えましょう。
その一方で、対する被告4州は、12月10日に提出された書類において「訴えには法的あるいは事実に基づく根拠がなく「虚偽」の主張でしかない」と反論したと報じられています。この反論、どうしたことか、上述したテキサス州の訴訟内容と全く噛み合っていません。郵便投票を拡大するために選挙の手続きを変更したことは紛れもない事実ですので、‘事実に基づく根拠’であることは疑いようもないからです。不正選挙の有無が争点となった各州レベルでの訴訟とは違い、オウム返しのように繰り返されてきた‘根拠のない主張’という反論を封じるためにこそ、確実なる事実を以って憲法違反を認定し得る方法として、テキサス州は、選挙手続きの不当な変更を訴因としたのでしょう。この点を考慮しますと、ここで再び、被告4州が‘根拠のない主張’というオウム返しを以って対応したとしますと、そこには、何らかの‘指令’を想定せざるを得ないのです。いかなる事実を目の前につきつけられても、‘根拠がないと言い張るように’という…。
被告4州もそれを支持したとされる首都及び20余りの州は、4州による制度変更は合憲であるとみなしているならば、迷うことなく堂々と応訴するはずです。それにも拘らず、連邦最高裁判所に対して訴状の不受理を以ってテキサス州の訴えを退けるように求めているとしますと、アメリカ国民の多くは、被告州陣営が、自らを不利とみて裁判から逃げようとしていると見なすことでしょう。それは即ち、被告州陣営が違憲行為、並びに、同行為によって可能となった不正選挙を認めていることを意味します。つまり、アメリカは、如何なる卑怯な手を使っても‘勝てばよい’とする側と、あくまでも正当性と合法性を求める側との、倫理・道徳観をめぐる対立に至っているのです。かつての南北戦争では、奴隷制を認めるか否かがアメリカを分断させましたが、現代版南北戦争でも、倫理・道徳観が問われているといえましょう。
以上に述べてきましたように、今日のアメリカ大統領選挙をめぐる対立は、あたかも独立戦争と南北戦争が再来したかのようです。結局、資金力やメディア支配力において不正容認陣営が優勢な状況にあって、連邦最高裁判所は、テキサス州の原告適格を否定し、同州の訴えを却下したそうです(不正選挙の有無を判断したわけではない…)。その一方で、ドミニオン社をはじめとした電子投票・集計システムに関する国際コネクションの存在は事実ですので、不正選挙疑惑が消えたわけではありません。トランプ陣営の主張を‘根拠がない’と言い張った人々は、訴訟の過程で明らかとなったこうした‘消せない事実を’どのように考えているのでしょうか。バイデン陣営側が、明確なる証拠を以って疑惑を晴らさない限り、同政権に対する国民の不信感も消えないのではないかと思うのです。アメリカは、政治への信頼を取り戻すために、まずは、真に中立公平な第三者による選挙調査委員会を発足させるべきなのではないでしょうか。