万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

社外取締役はグローバリストの‘罠’では?

2020年12月17日 13時02分24秒 | 日本政治

 今日のグローバリズムは、単なる世界レベルでの市場統合以上の意味を持ちつつあるように思えます。それは、急激なリベラル方向での画一化です。しかも、アメリカ大統領選挙のみならず、日本国政府の動きとも連動しているように見えます。つまり、今日のグローバリストとは、強い政治性、あるいは、社会改造性を帯びているのです。

 

 本日の日経新聞の朝刊一面にも、金融庁や東京証券取引所が検討している企業統治に関する指針の改定に伴う課題として、社外取締役の問題を報じていました。同記事によりますと、仮に、原案通りに新たな指針が決定された場合、社外取締役には1000人ほどの不足が生じるそうです。主たる問題点として人材不足や兼任の是非等に焦点が当てられているのですが、より深刻な問題が潜んでいるように思えます。それは、同指針は、明らかに企業版アファーマティブ・アクションである点です。女性や外国人の登用が奨励されているのですから。あたかも、米民主党がアメリカで推し進めてきた社会政策が、人種差別解消ではなく‘多様性の尊重’を掛け声として、日本国内にあって企業を対象に実施されているかのようです。

 

 つい1年ほど前には、経営者団体が、株主中心主義から多様なステークホルダーを尊重する方向へと舵を切り替えたことが話題となっていました。この方針に従えば、企業は、外部者の経営参加を意味する社外取り締まり制度の拡充よりも、ステークホルダー達との対話や意見交換のチャンスが広げられるはずでした。例えば、社内にあって社員の意見やアイディアを汲み上げるように制度を整備したり、消費者、顧客、並びに、現地の住民の意向をヒアリングできるようなシステムを構築した方が、業績アップにはプラスの作用が働いたかもしれません。社内にあっては連帯感が、社外あっては親しみが醸成され、好感度の高い企業となり得るからです。ネットも発展した今日、多様な意見を経営に反映させようとすれば、他にもいくらでも方法や手段があるのです。

 

 それでは、何故、今、この時期に、社外取締役に新たな枠を設定しようとしているのでしょうか。今日のグローバリズムとは、上述したように強い改造主義の性格があり、その背景には、世界支配の構想が推測されます。つまり、共産主義組織をも配下とする金融・産業財閥は、自らの支配に都合がよいように全世界の諸国を造り変えたいのでしょう。そのためには、自らのメンバーを各国の企業内部に配置し、これらの人々を介して自らの方針に向けて誘導する必要があります。つまり、社外取締役こそ、この‘任務’に最も適していると言えなくもありません。常時、企業内部のあらゆる書類や情報にアクセスして閲覧できると共に、助言者として経営を監視し得る立場にあるのですから。この手法は、中国政府が企業に対して共産党員の受け入れを義務付ける制度に類似しているようにも思えます。

 

 生来的な社外取締役の不足を見越して派遣会社も設立されており、こうした会社は、社外取締役を置いていない企業に対するグローバリスト配置機関として機能するかもしれません。竹中平蔵氏が率いるパソナも新自由主義の定着を後押しし、終身雇用制の崩壊に導きましたが、経営の領域にあっても、派遣という手法は、従来の日本型の企業文化を破壊させる方向に作用するかもしれません。派遣会社が派遣先企業の人事権を握り、‘社外取締役支配’による日本経済のさらなる新自由主義化もあり得ないことではないのです。

 

しかも、‘外国人’の社外取締役が奨励されるとしますと、職務遂行には日本語の読み書きに不自由しない程度の高いレベルの日本語能力を要しますので、特定の国家の出身者に偏る可能性もありましょう。先に、中国における共産党員による監視システムについて触れましたが、大学等において比較的日本語履修者が多く、かつ、日本に在住している人口数が多い中国籍、あるいは、韓国籍の人々が有利となることも予測されます。両国とも、常々、産業スパイが問題視されてきておりますので、日本企業は、社外取締役を警戒しなければならなくなります。

 

昨今、ネット上では、海外企業で活動する中国共産党員のリストが流出し、各国が直面しているチャイナ・リスクの脅威が明るみに見出ることとなりましたが、今般の社外取締役の拡充につきましても、世界支配の一環として見なした方が、よほど説明がつきます。全世界の国、企業、そして、個人に対して等しく豊かになるチャンスを与えると謳ってきたグローバリズムの理想は、時間の経過とともに今や色褪せつつあります。日本国もまた、グローバリズムの影の部分にこそ注目すべきと言えましょう。

 

かつて、共産・社会諸国は、「すべての人々が豊かになれる」というスローガンのもとに、社会改造を断行しましたが、その行き着く先が、権力と富の共産党員による独占と、貧しい人々という二極化の構図に至った歴史教訓として思い起こすべきであるのかもしれません。グローバリズムとは名称を変えた現代の植民地主義であるかもしれず、国も企業も、そして個人もいつ間にか自立性を失い、冷たい支配体制に組み込まれて身動きが取れなくされてしまうのかもしれないのですから。


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