ラガルド氏、IMF専務理事を続投へ 有罪判決に上訴せず
フランス経済財政相時代における職務怠慢で有罪判決を受けたラガルドIMF専務理事。同氏に対する有罪判決は、国際機関が抱える組織的腐敗の問題をも浮き彫りにしてるようです。
ラガルド専務理事に対して有罪判決が下されたとするニュースが報じられた際、誰もが、同氏はIMFの専務理事を辞職するであろうと予測したはずです。ところが、判決後の理事会では、自ら辞任を表明することも、他の理事達から辞職を要求されることもなく、あっさりと続投が認められたというのです。刑罰が科されなかったとはいえ、有罪は有罪ですので、一般の国家レベルでは考えられないことです。
それでは、何故、かくも甘い対応となったのでしょうか。その理由は、国際機関という組織にそのものにありそうです。何故ならば、国際機関では、国家のように警察や検察といった司法行政機関から常にチェックされることもなく、余程の事がない限り、法的責任を問われることがないからです。仮に、国際機関に司直の手を伸ばそうとしますと、特定の国家が、何らかの自国や自国民が関わる事件との関連で捜査するしかありません。また、国際機関は民主的制度も備えていませんので、一般の人々に対して責任を負うこともありません。国際機関とは、極めて腐敗に対して脆弱な組織であると共に、無責任が蔓延る体質を内包しているのです。
ラガルド専務理事についても、人民元をSDRに組み込むに際して積極的な役割を果たしており、その背後には、中国による同氏取り込み戦略があったと指摘されています。また、今日、ビットコインが国際決済にまで使用されるようになった背景にも、国際通貨制度に対して責任を担うIMFが、同通貨に対して何らの対応をとらなかったところにあります。仮に、人民元とビットコインが、今後、国際経済の波乱要因となった場合、誰が、どのように責任を取るのでしょうか。
国連の腐敗がしばしば指摘されているように、国際機関とは、一般に信じられているよりも、遥かに信頼性の低い組織です。ラガルド専務理事の一件は、国際機関の組織改革の必要性をも問うているように思えるのです。
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フランス経済財政相時代における職務怠慢で有罪判決を受けたラガルドIMF専務理事。同氏に対する有罪判決は、国際機関が抱える組織的腐敗の問題をも浮き彫りにしてるようです。
ラガルド専務理事に対して有罪判決が下されたとするニュースが報じられた際、誰もが、同氏はIMFの専務理事を辞職するであろうと予測したはずです。ところが、判決後の理事会では、自ら辞任を表明することも、他の理事達から辞職を要求されることもなく、あっさりと続投が認められたというのです。刑罰が科されなかったとはいえ、有罪は有罪ですので、一般の国家レベルでは考えられないことです。
それでは、何故、かくも甘い対応となったのでしょうか。その理由は、国際機関という組織にそのものにありそうです。何故ならば、国際機関では、国家のように警察や検察といった司法行政機関から常にチェックされることもなく、余程の事がない限り、法的責任を問われることがないからです。仮に、国際機関に司直の手を伸ばそうとしますと、特定の国家が、何らかの自国や自国民が関わる事件との関連で捜査するしかありません。また、国際機関は民主的制度も備えていませんので、一般の人々に対して責任を負うこともありません。国際機関とは、極めて腐敗に対して脆弱な組織であると共に、無責任が蔓延る体質を内包しているのです。
ラガルド専務理事についても、人民元をSDRに組み込むに際して積極的な役割を果たしており、その背後には、中国による同氏取り込み戦略があったと指摘されています。また、今日、ビットコインが国際決済にまで使用されるようになった背景にも、国際通貨制度に対して責任を担うIMFが、同通貨に対して何らの対応をとらなかったところにあります。仮に、人民元とビットコインが、今後、国際経済の波乱要因となった場合、誰が、どのように責任を取るのでしょうか。
国連の腐敗がしばしば指摘されているように、国際機関とは、一般に信じられているよりも、遥かに信頼性の低い組織です。ラガルド専務理事の一件は、国際機関の組織改革の必要性をも問うているように思えるのです。
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