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公立の学校は、つぶれることはない。教師は、とんでもないことをしない限り懲戒免職はない。給料も下がることはあまりない。つまり、適当にやっていても(そんな教師はほとんどいないが)安泰なのである。
少し以前のことであるが、静岡新聞の「大自在」にジュビロ磐田がナビスコ杯12年ぶりの優勝をしたことについて、次のような文があった。
■中山雅史を筆頭に、多くの日本代表がそろったかつてのジュビロは、見ていて気持ちがいいほど強かった。相手ゴール前で小気味よく通るパスは全国のサッカーファンをうならせたものだ。しかし、黄金期は長続きしなかった。■どんなスポーツでも勝ち続けることは至難の業だ。常に強豪といわれるチームが主力選手を放出してまでも若手を起用したり、戦い方を大胆に変えたりするのは、チームの新陳代謝を図らなければ頂点から転げ落ちることを知っているからだろう■J2降格の危機から2年。今は若手も育ってきた。どん底を味わったチームが再び手にしたタイトルは常勝軍団入りの切符だと思いたい。(後略)
私はこの文章の中で、「常に強豪といわれるチームが主力選手を放出してまでも若手を起用したり、戦い方を大胆に変えたりするのは、チームの新陳代謝を図らなければ頂点から転げ落ちる」というところに目がいった。何という厳しさであろうか、
子どもを育てるという学校と勝ち負けを競うプロスポーツと比べるわけにはいかないが、学校がその仕事の成果を上げるために、どれだけの努力をしているかというとプロスポーツの世界には到底及ばない。
スポーツチームの「常に強豪→主力選手の放出→戦い方を変える→新陳代謝」を見たとき、学校ができることはないだろうかとつくづく思ったりする。
※下記のブログも検索しご覧ください。
①totoroの小道
②藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践事例が掲載されています)
問題は、私たち、中高年ですね。
失敗をみっともないと感じて試さない。(過去の財産に頼る。)
夢や希望を忘れて心のパワーがでない・・・(単なる生活の糧に働く)
おじさん、おばさんがまず努力する姿を見せていかなければ、と思います。
そう考えると、主税さんはすごいと思います。
1つは、夢や希望を持つような、素敵な子どもを見たことがない。
2つは、そのような子どもを見ても、自分とは関係ないと考えてしまう。
3つは、よいものを求めていくような読書をしたり、研究会に参加したりしない。
などでしょう。そのような教師は哀れに見えます。