松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

ある国語の授業の研究協議から

2012-11-01 21:38:02 | Weblog

 ある小学校で国語の授業を参観する機会があった。その授業は教師が子どもの発言をよく聴き,大切にしていた。子どもたちも友だちの考えをよく聞き,積極的に発言していた。子どもたちの考えの中には,すばらしい宝物がたくさん出ていた。よい授業であった。
 授業後の全体会では講師の先生が授業分析をしてくれた。以下,その時の先生のお話しと最後に私の感想を記す。

○ 全体に教室、子どもがやわらかい
○ 全員が音読が終わるまで聞いていた。終わった子は、指で追う、一緒に 口ずさむのがよかった。
○ 教師は復唱を避けて、子どもたちが「つなげる」学習にもっていってい る。
○ 自由発言と指名により進められた。
○ 何年生だから○○ということではない。1年生でもできるのである。
 これを積み重ねていけば中高学年でさらにすごくなる。
○ 教師が出過ぎず、待つことが大切である。
○ 教師と子どもの関係がダメだと何をやってもダメである。
○ 今日の場合は、学習の集中度がよかったから、10分も超過しても大丈 夫であった。しかし、原則として45分で終わりたい。数名はもう飽きて いる子どもも見えた。
○ つなげようとしているのはよい。ただし、「○○さんと同じで」とか「○ ○さんにつけたして」は、くせ者である。教師はこういう子どもの発言が あると喜んでしまうが、内容を聞いていると「同じ」とか「つけたし」と は言っても、違うことをいっている場合がある。教師はよく聴かねばなら ない。つまりほんとうに「同じなのか」「つなげている」のかである。
○ 子どもの読みや発言に対して、拍手はしないほうがよい。意見がつなが らなくなる。拍手で終わってしまう。自然に子どもから出るのはよいが。
○ 「近くの人と話して」では、一人になる場合があるので、「隣の人と話 して」と言ったほうがよい。ペアやグループ学習は一人一人の学習を保証 するためにもある。
○ できるだけ子どもの席は中央に寄せたほうがよい。中央につめること。 その方が集中する。
○ 席替えは教師がする。特に、教師から見て、右すみには、集中に欠ける 子どもは置かないこと、次に左すみ、それから外回りには、置かないこと。 教師と糸が張れる子どもは後方や外側でもよい。
○ 「それはどこに書いてある?」の教師の質問は悪くはないが、根拠のな いものは聞かないほうがよい。
例 1年生「くじらぐも」
「先生と1年2組の子どもたちはどうしたんだろうね」と聞けばよい。こ れは文に証拠があるからである。
○ 会話文は、誰が言っているのかよりも、誰に言っているのかが大切であ る。1 相手があって相手に言っている場合 2 相手にも自分にも言っ ている 3 自分に言っているのケースがある。
○○が言いましたが、あれば言っているととってもよい。また、会話文で も声に出しているかいないかも問題になる。以上のようなことを問題にし たほうが登場人物の心情を読むことができる。
  例
   ちいちゃんのかげおくり「お母ちゃんとお兄ちゃんはきっと帰ってく  る」
   大造じいさんとガン「おーい、ガンよ」
   わらぐつの中の神様「わらぐつは丈夫でしっかり編む・・・」
   ごんぎつね「ごん、おまえだったのか。いつも,くりをくれたのは」
  教師自身がどのように読んでいるかが大切である。
○ ノートを読んでいるときよりもノートを見ないで発言しているときのほ うが発言の内容がよい。ノートを読むときには、ノートに書いてあること しか言わないし、誰に対して言おうとしているかもわからない。
  ノートを読むと発言がつながらなくなる。ノートはコピーや印刷して配 り子どもに読ませるとよい。


 上記の指導があり大変勉強になった。しかし、1つだけ気になることがあった。例えば1年生の中心授業では、ほとんど教師は聞き役にまわり、授業は淡々と進んだ。
 確かに子どもたちは、よい発言をしていた。私ならそれを契機にして、子どもたちに考えさせたいことがいっぱいあった。
 授業後の全体会では講師の先生はこのことには少しもふれることはなかった。授業としてこれでよいのかという疑問が残った。
 授業とは、他者の考えを聴きながら、自分や学級の考えを変えていくという大きなねらいがある。また、教師としてさらに正確で高い解釈を子どもたちに獲得させるということもある。そういうことがなかったからである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿