政府が「女性宮家」創設を睨み、年明けに有識者からの意見聴取に着手すると報道されています。現在、天皇陛下の男子の孫は悠仁親王一人です。他はすべて女性であり、皇室典範では、女性皇族は結婚したら皇族を離れることになることから、皇族の減少により、
皇族の公務が十分に果たせなくなることに備えて検討を行うもの言われていますが、将来
に亘る皇位の安定的な継承をにらんで検討を行うのが筋ではないでしょうか。 民主党には皇室を疎んじたり、皇室を否定する議員も多くいます。民主党が女性宮家など皇室の将来に関わることを論じることなどとんでもないことです。
秋篠宮家の悠仁親王(皇位継承順位第3位)誕生以前には、女性の天皇、女系の天皇を認めるべきか否かで様々な意見が出されました。最近、この議論は小康状態になっていました。 女性宮家を認めるか否かについて、世論調査では賛否が分かれているようです。(産経新聞:64%が反対:12月16日、読売新聞では64%が賛成:12月13日)
「皇族誕生」(浅見雅男著:角川文庫)を読むと、王政復古した明治期における皇族の増加をいかに抑えるか(皇室費用、皇族としての品位の維持等の面で)に腐心する伊藤博文の姿や、徳川時代から続く『世襲4宮家』(伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮),と王政
復古がなされて新たに創設された『新立6宮家』(中川宮―ー後の賀陽宮/久邇宮、山階宮、さらに梨本宮、北白川宮、東伏見宮―後の小松宮、華頂宮)との取扱いの違いなどが細かく記載してあります。明治後期には、さらに3宮家(竹田宮、朝香宮、東久邇宮)が
設立されますが、終戦になり、断絶した桂宮・有栖川宮・華頂宮3の宮家を除き、存続していた11宮家(天皇の直宮家である高松宮・秩父宮・三笠宮の3宮家を除く)が臣籍降下しました。
皇位の安定的な統継対策として、①女性皇族の宮家創設を認める、②旧11宮家の男系男子の皇族復帰を認める、③前記①に加えて女性皇族と戦後臣籍降下した旧11宮家の中の男性との縁組を認める、等など多くの意見が新聞紙上にも載せられました。
上記の各ケースについて、①は、男児が誕生した場合には女系天皇に繋がる恐れがある。②は、男系維持という点では、傍系からの天皇即位は先例(古墳時代の第26代の継体天皇、室町時代の第102代後花園天皇、江戸時代後期の第119光格天皇の3例)があるが、旧11宮家は今上天皇との繋がりは、600年前の室町時代まで遡る必要があるのが
難点、③は、旧11宮家の人々は戦後臣籍降下してから、既に60年を経過しており、一般人としての身分が長くなっているので、改めて皇族にするのはふさわしくないが、男児が誕生した場合は、男系天皇を維持できる可能性がある。 などの意見も出されました。
男系皇統という伝統はかけがえのないものであり、女性宮家創設も男系維持のためにはどうするべきか、また、伊藤博文が心血を注いだ皇族の増加を防ぐための方策が同時に議論がなされなければならないと思います。
「語られなかった皇族たちの真実」竹田恒泰著<旧竹田宮家後裔>:小学館)
<P200>
「11宮家はすべて(伏見宮家第19代当主の)邦家親王の子孫であり、また、昭和天皇の皇后、香淳皇后も伏見宮の傍系である久邇宮の御出身であらせられるため、昭和天皇の皇子女もやはり全方が邦家親王の子孫に当たることに注目してほしい。つまり、終戦時の
11宮家51人とその子孫、そして今上陛下、皇太子殿下、敬宮愛子内親王殿下、秋篠宮
文仁親王殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下、常陸宮正仁親王殿下、そして、黒田清子様の全方が邦家親王の子孫ということになる。」
<P235>
「もし天皇家が女系継を承認めたなら、皇室はまもなくいくつかの系統に分かれることになる。皇統に属する女系の家と、皇統に属さない男系の家が並立することになる。時代が下ることで、その系統はさらに別れ、そうなった場合、何百年か経過した後に、「皇統に
属する女系と皇統に属さない男系ではどちらが天皇家としてふさわしいのか」、といった議論が起こらないとも限らない。つまり、天皇家は男系を守ることによって、長い間唯一絶対の存在であったことになる。」
12月9日は雅子皇太子妃が43歳の誕生日で会見されました。会見内容を新聞等で読みましたが、長女の愛子さんのこと、被災地の見舞いに行けたこと、などご自身の病状に関連する内容、要するに家族のことがほとんどで、天皇・皇后両陛下の健康への気遣いは、つけたし程度で触れられていました。
皇室の一員としては、まず、高齢の天皇・皇后両陛下の健康への気遣いをし、ついで、自身が今日あることの国民への感謝と公務を十分に果たせていないことへの国民へのお詫び、最後に家族のことに触れるべきなのではないかと愚考します。
皇室は国民の総意に基づいて存在しているのだということを雅子妃は全く理解されていないのではないでしょうか。先般国賓で来日されたブータン国王妃の穏やかな頬笑み、優雅な物腰、細やかな心遣い、被災地で流された涙、などを思い出します。 雅子妃には、
“高齢の天皇・皇后両陛下への細やかな心配り”、“国民への心からにじみ出る微笑み”はもはや期待できないのでしょうか。
ところで、12月23日は天皇誕生日で、皇居では一般参賀が行われ、天皇ご一家が国民に手を振って応えられている様子がTVや新聞等で報道されました。秋篠宮紀子妃殿下、眞子内親王は白い帽子で白い服でしたが、雅子妃殿下は黒の帽子に黒の服に見えました。(実際は紺かも??)
東宮お付の方がきちんと配慮されているのでしょうが、誕生日という日を考えると、やはり白が好ましいと思われます。
(一般参賀で国民に手を振って応える天皇ご一家:朝日新聞)
">
雅子さまご感想全文 「復興への道のりを末長く見守っていきたい」
(産経新聞:2011.12.9)
「今年1年、日本の国内外で様々なことがありましたが、3月11日に発生した東日本大震災は、言葉で言い尽くすことができない程衝撃的な出来事でした。あの日、東京でも強い揺れを感じましたが、その後の報道を見るにつけ、とりわけ東北3県の被害の大きさ、
失われた多くの生命(いのち)や、そうした尊い家族などをなくされた方々の今なお続くであろう深い悲しみを思い、とても心が痛みます。震災後、あまりの被害の大きさに、私自身とても辛い気持ちでおりましたが、被災され、厳しい状況に置かれた方々のために何
が出来るのかを考えながら、専門家の方々のお話を伺うとともに、4月に都内、5月に埼玉県に避難された方々のお見舞いに伺い、その後、宮城、福島、岩手の東北3県の被災地を訪れ、被災された方々をお見舞い致しました。
被災者の方々に直接お会いし、それぞれの方の様々な思いを伺う中で、この方々のお役に少しでも立てたらと思ったことや、厳しい状況にある被災地の方々から、逆に私の体調のことをお気遣いいただき有り難く感じたことなどが昨日のことのように思い出されま
す。今でも、お会いした方々一人一人のお顔や伺ったお話がよく思い出され、被災地で苦労しておられる大勢の皆さんのことを思わない日はありません。被災地はこれから厳しい冬を迎えることと思います。
これからも、被災地の方々の思いを深く心にとどめ、一人一人の方の今後の幸せを祈り続けながら、復興への道のりを末長く見守っていきたいと思います。
また、愛子の学校のことが私の生活の中で大きな部分を占めてきた年でした。 この問題
では、多くの方にご心配をいただいていることと思いますが、昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、親として何をしてあげられるのか、日々考え、力を尽くしてまいりました。学校
とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした。 そして、今年の9月には、学校からも参加をすすめられ、愛子自身も是非参加したいと希望した、山中湖での2泊3日の校外学習
がありました。この時、先生方のご配慮を頂き、私が少し離れて付き添う形で、全行程
一人で、お友達の皆さんととても楽しく参加できたことが、学校生活に戻っていく上での大きな自信と励みになったように感じております。そして、このことは、学校の先生方も
とても喜んで下さり、ありがたく思っております。その後、愛子が私の付き添いなしに通学する日も増えてくるなど、段々と良い方向に向かってきていると思います。また、愛子は、4年生になり、学校の特別クラブの活動として管弦楽部に入部し、お友達と一緒に
チェロの練習に励むなど、これまで以上に様々な分野に関心を持ち、色々なことに取り組んできております。 一つ一つ成長していく子供の姿をみることは嬉しく、私にとり、日々の励みになっております。 今後とも、愛子が安心して学校生活を送ることができる
ように、愛子自身の気持ちをよく聞きながら、学校の理解と協力をお願いしつつ、私も出来る限りの手助けをしてまいりたいと思っております。
このような中にあって、天皇皇后両陛下には、温かいお心遣いをいただきながらお見守
りいただいておりますことに心からお礼を申し上げます。天皇陛下には、先頃ご退院になられましたが、お後も、呉々もお大事になさって頂きますよう心よりお祈り申し上げます。また、皇太子殿下にもいつも変わらずお支えいただいていることに感謝申し上げております。
国民の皆様には、私自身や、愛子のことにつき、日頃より温かい気持ちをお寄せいただき、この機会に厚くお礼を申し上げたいと思います。 私自身、引き続き快復に向けての努力を続けながら、愛子に必要な手助けをしていくとともに、被災地を始め困難な状況にある方々に心を寄せていきたいと思っております。これからも温かく見守って頂ければ幸いに存じます。」
(2011年12月24日 花熟里)