花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

靖国合祀と戦争責任

2010年08月28日 15時07分01秒 | ちょっと気になること
今年も8月末、マスコミなどの毎年の戦争特集もそろそろ終わりです。 戦後65年たち

戦争を体験していない国民が大多数になるにつれて、いかにして戦争の悲惨さを風化

させずに次の若い世代が頭の中だけでなく、肌で感じてもらえるか、8月の戦争特集以外

にもっと知恵を絞らなければならない時期に差し掛かって来ているように思えます。



今年は8月15日の終戦の日に菅総理大臣始め、大臣・副大臣・政務官の政務3役は全員靖国

神社に公式参拝をしませんでした。 

靖国神社には、日清・日露戦争での戦没者や、太平洋戦争の戦没者も約200万柱祀って

あります。 この中には東条英機など所謂A級戦犯で刑死・獄中死した14名、及びBC級

戦犯で刑死した方も含まれています。 

A級戦犯が合祀してあるという理由で中国、韓国が総理大臣や閣僚の靖国神社公式参拝に

反対しています。 太平洋戦争戦没者で靖国神社に合祀してあるのは、国家からの召集

令状(赤紙)で兵役に赴き、死亡した「一般人の英霊」がほとんどであり、この「一般人

の英霊」は、国家の指導者(総理大臣はじめ閣僚)が誰一人として、8月15日の終戦の日

に靖国に参拝しないのを見て、‘自分たちが命と引き換えに守った日本が我々を見捨てた’

と嘆き悲しんでいるのではないかと思います。 国家の指導者には、日本国民の代表と

して、平和を願って日本の礎となった戦没者にたいして心静かに祈りを捧げてもらいたい

と願っています。 



(靖国神社に祀ってある英霊)

日清戦争    13,000

日露戦争    88,000

満州事変    17,000

日中戦争    191,000

太平洋戦争  2,133,000

その他      24,000.

合計      2,466,000



「ポツダム宣言(1945年7月26日ポツダム会談、8月14日に日本が受諾)に基づき、

極東国際軍事裁判所条例が布告され(1946年1月19日)、その第5条に3種類の犯罪が規定

されました。


<条例第5条>

(イ)平和に対する罪――所謂『A級(A類型)』

   共同謀議して侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行して世界の平和をかく乱

   した罪。 

   1945年8月8日のロンドン協定で「平和に対する罪」の定義が確立された。 


(ロ)通例の戦争犯罪――所謂『B級(B類型)』

   戦争の法規又は慣例に違反した罪。 「陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ条約

   :1907年)で定義されている。 


(ハ)人道に反する罪――所謂『C級(C類型)』

   非戦闘員に対して加えられた大量殺りく、奴隷的虐待、追放その他の非人道的行為

   を罰するもの。 ナチスドイツを裁くニュルンベルク裁判の根拠になる国際軍事

   裁判条例第6条に「人道に対する罪」の定義がなされた。


 *『ロ』は戦時における敵国民への犯罪であるのに対して、『ハ』は戦時だけでなく

  平時も含み自国民への犯罪も対象になる。旧日本軍の犯罪ではA級とB級が対象で、

  C級は対象とならなかった。 




(「BC級戦犯」田中宏巳著:ちくま新書)

        A級戦犯   B級戦犯

起訴    :  28      5644

死刑判決  :  7       934 

終身・有期刑:  18      3413

無罪    :  0       1018

死亡・棄却 :  3       279


* 1、A級戦犯は 東京裁判 で審理。

  2、BC級戦犯

    米(5法廷)、英(11法廷)、仏(1法廷)、オランダ(12法廷)、

    オーストラリア(9法廷)、中国(10法廷)、フィリピン(1法廷)の 

    7国 が主宰する 49 の法廷で審理された。

  3、BC級戦犯の死刑判決 934名の国別内訳

    米国140、英国223、仏国26、オランダ226、オーストラリア153、

    中国149、フィリピン17


* BC級戦犯裁判の根拠は各国が定めた法令による。裁判の基本的なあり方は、連合

  国戦争犯罪委員会でガイドラインをしたが、細部は各国に委ねられた。  



東京裁判には様々な意見があり、専門家の意見が百出していますので、この問題に素人が

意見を述べるのはなかなか困難ですが、ブログという気安さもあるので、少々思っている

ことを書いてみたいと思います。



A級戦犯を対象とした東京裁判では、インドのパール判事が次の理由で全員無罪を主張

しました。 日本では’裁判が不当であることの証しである’として称賛する意見が多く

あるようです。


(パール判事の意見)

・‘法の不遡及の原則違反である’

  ポツダ宣言が採択されたのが、1945年7月であり、この時点以降の戦争を裁判の

  対象にすべきでところ、東京裁判では、これ以前の満州事変や日中戦争も対象に

  しており、法の不遡及の原則違反である。


 ・‘裁判が不公正である’

   国際裁判であるならば戦勝国のみならず、敗戦国、中立国によって裁判が構成

   されるべきところ、判事や検事は戦勝国のみで構成されており不公正である。


  
日本における戦犯問題は、太平洋戦争で敗北したことに伴い、米国をはじめとする戦勝国

の処罰の考えにより発生しました。 特に、A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」

は、ポツダム宣言で持ち出された考えであり、第1次世界大戦後のベルサイユ条約で 

ドイツ皇帝やオーストリア皇帝の「戦争開始責任」が問われましたが、結局、不問に終わ

りました。

従って、 この考えは、第2世界大戦開始以前には確立したものではありませんでした。 

また、C級戦犯の罪状である「人道に対する罪」は、ナチスドイツのユダヤ人への

ホロコーストを裁くために持ち出されたものです。



「平和に対する罪」は戦争開始責任とも言われていますが、要するに、敗北軍の将

(国家指導者)が、戦勝軍により‘平和を乱した’という理由で犯罪人として処刑される

ものです。

確かに、国際平和を乱した罪は考えられると思いますが、開戦に至った経緯の検証が重要

となります。 太平洋戦争は日本からの宣戦布告で始まりましたが、ここに至るまでの

米国との関係(ハル・ノートの評価 など)から、開戦責任を日本に一方的に押し付けて

よいものか、疑問が残ります。 開戦に仕向けたと見られる米国にも責任の一端はあるの

ではないでしょうか。


その意味で、パール判事が指摘しているように、国際裁判の公正さが問題になります。 

「東京裁判」は判事、検事が戦勝国で占められているので、不公正な裁判と指摘せざるを

えません。(法的な不遡及の原則違反は措くとして)

「捕虜虐待などのジュネーブ協定違反」を裁くB級裁判、「人道に対する罪」を裁く

C級裁判も同様で戦勝国のみで進められました。 もっとも、BとCは厳密に区別され

ずに、B級は将校、C級は一般兵士が対象とされたとの説明もあります。 ともあれ、

日本軍が戦勝国の将兵の捕虜に行った「捕虜虐待などの罪」で多くの日本軍将兵が公正さ

を欠く裁判で裁かれ、刑死させられましたが、 中立国も入った公正な裁判所が設置され

ておれば、逆に戦勝国が日本軍将兵の捕虜に対しておこなった拷問や虐待なども当然裁判

の対象になったと思いますし、米軍による原子爆弾投下や日本全国での無差別爆撃も、

「人道に対する罪」として断罪されたのではないかと思いまます。



なお、旧ソ連による日本人のシベリア強制労働は「捕虜虐待の罪」に問われるべきであっ

たと思っています。



法律論とは別に、国民感情的には、太平洋戦争の終結時期を誤ったことにより、一般国民

に悲惨な被害を与えたという事実あります。 

7月26日のポツダム宣言を「これを黙殺した」ために、結局は、原子爆弾投下という最悪

の事態になりました。戦争終結時の鈴木貫太郎内閣の責任は東条内閣と同等に重いと思い

ます。 



従って、靖国神社には少なくとも、「開戦当時の東条内閣の閣僚や軍の幹部、終結時の

鈴木貫太郎内閣の閣僚や軍の幹部は一般国民と一緒に祀るべきではない」と思っています。

速やかに、分祀の手続きをとっていただきたいと願っています。 戦犯は日本国内的には

名誉回復措置がとられていますが、 分祀するのは決して、戦犯だから(だったから)

ではなく、日本の一般国民に多大な犠牲を強いた戦争責任者(戦争開始・戦勝終結)と

一緒に合祀されるのは、一般国民として納得できないという素朴な理由によるものです。



以下は東条英機の遺書です。

東条英機は、開戦時の責任者で、敗戦したことにより国民に大き犠牲を強いたこと、戦場

でたおれた人その家族にこころから詫び、そして同僚や下級者にまで刑が及んだことを

残念に思い、死刑を受け入れています。 これを知り、ほっとしています。 今までは

東条英機は国民にたいしてどのように思っていたのかというわだかまりがありましたので。

だからと言って、東条英機が免罪されるものではありません。 国際的犯罪(戦犯)に

ついては無罪と主張しています。裁判中も清瀬一郎弁護人ともども、一貫して無罪を主張

していました。

パール判事の論理に支えられていると思います。 確かに、法の不遡及違反や裁判の構成

が偏っているなど純法律的には東京裁判は問題がありますが、太平洋戦争を開始して、

国民に悲惨な犠牲を強いた責任者という事実は消えることはありません。 




「祖父東条英機 一切語るなかれ」 東条由布子著(文春文庫)


「遺書  東条英機

開戦当時の責任者として敗戦のあとを見ると実に断腸の思いがする。今回の刑死は個人的

には慰められておるが、国内的の自らの責任は死を以って償えるものではない。

しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ力の前に屈服した。

自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任

を及ぼしたこと、又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。 


(略)


この度の戦争に従事してたおれた人及びこれ等の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っ

ている。心から陳謝する。

今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。もしこれが永久平和のためと

いうことであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならないのではないか。

この裁判は結局は、政治裁判でおわった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。 


(略)


東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の

民族と同様に天地に生きる権利を有つべきものであって、その有色たるを寧ろ神の恵みと

して居る。印度の判事には尊敬の念を禁じえない。 これを以って東亜諸民族の誇りと感

じた。

今回の戦争により東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。

列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持以って進むべきである。

現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本人の米人に対

する心持を離れしめざるよう願いたい。また日本人が赤化しないように頼む。

大東亜民族の誠意を認識して、これと協力していくようにされなければならぬ。

実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、今回の敗戦の原因であったと

考えている。


(略)


なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。今はすでに

戦後3年を経過しているのではないか。従って、これは速やかに止めてほしい。日本国民

が正業に安心して就くよう、米国は寛容の気持ちをもってやってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死傷者、戦災死者の霊は遺族の申し出あらば、これ

を靖国神社に合祀せられたし。

出征地にある戦死者の墓には保護を与えられたし。従って、家族の申し出あらば、これを

内地に返還せられたし。戦犯の家族には保護を与えられたし。

青少年の教育は注意をようする。将来大事なことである。近時、いかがわしき風潮あるい

は、占領軍の影響から来ているものが少なくない。この点については、我が国の古来の

美風を保つことが大切である。今回の処刑を機として、敵、見方、中立国の国民罹災者の

一大追悼慰霊歳を行われたい。世界平和の礎石としたいのである。勿論、日本軍人の一部

に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心謝罪する。

しかし、これと同時に無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、米軍側

も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に軍事的問題について一言する。

我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一体の行動はとれ

ない。  


(略)   


 辞世

 我ゆくもまたこの土地にかえり来ん国に報ゆることの足らねば
 さらばなり苔の下にてわれ待たん大和島根に花薫るとき

                              」
 
(2010年8月28日  ☆きらきら星☆)

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在日外国人も日本の総理大臣を選ぶ権利を持つ??

2010年08月20日 14時17分25秒 | ちょっと気になること

‘在日外国人が日本の総理大臣を選ぶ権利を持つ’という摩訶不思議なことが現実に行

われようとしています。 民主党の代表選挙が9月14日に実施されるとのことです。 

民主党が野党の時代であれば、単に野党の党首(代表)選出で済みますが、現在民主党

は政権与党であり、代表の選挙は、事実上我が国の総理大臣を選ぶことになります。


鳩山氏は民主党が野党時代に党首になり、総選挙で民主党が大勝して政権を獲得しま

した。

議院内閣制をとっている我が国では、通常は与党第一党の代表が総理に就任することに

なりますので、鳩山民主党代表が総理大臣に選出されました。 鳩山氏を民主党代表に

選出するときには、在日外国人も権利を行使していますので、正確に言えば、鳩山総理

実現にも在日外国人が権利を行使したことになります。


民主党の代表選挙で投票できるのは、①民主党の国会議員、②党籍を持つ地方議員、

③党員・サポーターとなっています。 ①の所属国会議員と②の地方議員は当然と

して、問題は③の党員・サポーターです。 サポーターは「党あるいは党候補を支援

する」とされており、年会費2000円を納める義務があり、 資格は「18歳以上

の個人(在外邦人及び在日外国人を含む)」となっており、外国人の党員やサポーター

を認めています。 民主党の面々は、このことを以って、‘民主党は開かれた政党’

と言っていますが、とんでもないことです。



国会議員及び地方自治体の首長・議員の選挙権・被選挙権は、現時点では、「日本国籍

を持つ者」に限定されています。 千葉景子法務大臣は、「在日外国人に地方自治体

の首長・議員の選挙権を与える」法案を国会に提出しようと熱心です(夫婦別姓法案も

同様にご執心)。 


国政と地方自治とは単純に分離できるものではなく、車の両輪と思います。地方分権が

拡充されれば、ますます、この両輪がうまくかみ合っていかなければなりません。

在日外国人への地方での参政権付与は、国民的な議論不足で、まだまだ時期尚早と思い

ます。

さらに、実質的な総理大臣の選挙でもある民主党の代表選挙では、在日の外国籍の者

でも選挙権を行使できるという重大な問題が生じます。 国会議員の選挙権がないにも

関わらず、総理大臣を選ぶ選挙には参加できるという大きな矛盾があります。 

在日の組織をフルに活用すれば、代表選挙に大きな影響を及ぼすことも可能になると

思います。 つまり、我が国の総理大臣を選ぶにあたって、在日外国人組織の影響を

受ける可能性があるというトンデモナイ危険性を秘めているのです。 



党員資格に在日外国人をみとめているのは、公明党も同様であり、他の政党は在日の

外国人党員は認めていません。  公明党が外国人の地方参政権付与に熱心であるの

は民主党と同じです。



(2010年8月20日  ☆きらきら星☆)




 




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旬の野菜と地産地消

2010年08月15日 16時17分20秒 | 自然

散歩していると農家の方が自宅入り口や、近くで農産物の販売をしているところを

通ります。 気をつけてきていると、主婦やいかにも定年退職した年恰好の男性達

が自転車で販売している場所をハシゴしています。 農家によって作っている作物

が少しずつ違うので、数箇所の販売している場所を回っているものと思います。

なるほどと思い、最近は私も数箇所を見て回り、最も気に入ったものを買うように

しています。私の場合は歩きですので、ごく近い販売場所を見るだけですが、自転車

で回っている方々は散歩を兼ねているようですので、多くの販売場所を回っている

ようです。

夏の今は、ゴーヤ、オクラ、キュウリ、カボチャ、トマト、ミニトマト、モロヘイヤ、

ジャガイモ、エダ豆、それにスイカ、ブルーベリーなどが並んでいます。


野菜は一袋 100円で販売されているのが多いです。 エダ豆は「湯上り娘」という

なまめかしい名前のものが、一束 300円。 カボチャは小ぶりな大きさのものが

ほとんどで、昔ながらの大きなものはほとんど見かけません。


従って、私の散歩は販売所を回るようなるルートになってきています。 畑に植えら

れている作物が収穫期を迎える時期になり、実際に販売されているのを見ると、

なんとも嬉しくなります。 また、地元の農業事情などを話すこともあります。 

なにより、季節の「旬の野菜」を思い起こしたことがなによりの収穫です。 

リハビリの散歩ですが、人生を考えさせるものになってきています。



(農家の庭先の販売所。毎朝取れたての野菜を売っています。 
このような販売所がたくさんあり、皆さんが立ち寄っています。 
私の散歩もこのようなところに立ち寄り、野菜を買って帰ります)











(オクラの花と実)






(右側の青い網の中にブルーベリーの木が実をつけています。
すぐ近くの販売所でブルーベリーを売っています。網の中の
畑は、ブルーベリー狩り農園にもなっています)






(案山子がひまわりの中に移っていました)







(2010年8月15日 ☆きらきら星☆)



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ガルーダ・インドネシア(国章)

2010年08月11日 14時45分32秒 | インドネシア
8月17日はインドネシアの65回目の独立記念日です。 1945年6月1日に

スカルノは独立準備委員会で「パンチャシラの誕生」という演説を行い、この中で、

5つの原則を示し、これらを貫く基本は「ゴトンロヨン(gotong royong)」であると

言っています。

ゴトンロヨンは.「相互扶助」と訳されていますが、スカルノは新国家の理想像を

ゴトンロヨンの精神に求めました。
 

インドネシアの国章は「ガルーダ・パンチャシラ」とよばれています。 インドネシア

では官公庁をはじめ民間の事務所、工場などにはすべて国章であるガルーダを挟んで

正副大統領の写真が飾ってあります。 

国営の航空会社は「ガルーダ・インドネシア航空」です。 また、深田裕介著の小説

「神鷲(ガルーダ)商人」(新潮文庫)でガルーダという言葉をご存知の方も多いと思

います。



ガルーダはインド神話の中に出てくる神鳥で、ヴィシュヌ神の乗り物です。 イスラム

伝来のはるか以前からインドネシの国民(住民)にとっては、神聖な尊崇の対象となって

います。

ヒンドゥー教寺院やバリ島に残されている伝統的なガルーダが、‘人間の体に鷹の頭・

くちばし・翼・爪’を備えた神聖な生き物として描かれているのに対して、国章の

ガルーダは、1950年2月1日にカリマンタン(ボルネオ)島のポンティアナックの

スルタン ハーミド2世のデザインによるものですが、ジャワ島のクマタカをイメージ

したものとなっています。


またガルーダは仏教神話でも描かれており、仏教伝播にともない、アジアの各地で尊崇

されてきました。 タイのアユタヤ王室の紋章でもあり、現在のタイ王国の国章にも

引き継がれています。 

(山田長政を描いた「風雲児」(白石一郎著:文春文庫)の中に、アユタヤ王室の紋章

のガルーダの記述があります。*)

なお、モンゴルの首都ウランバートル市の紋章もガルーダです。


 *「アユタヤ王室の御座船の船首は王室の象徴であるガルーダと呼ばれる鳥の首の形

   に金箔をほどこした華麗なつくりだった。」(下 p165)



インドネシアのガルーダ・パンチャシラは、胸に盾があり足で巻物をつかんだ黄色の鳥

で、次の通り説明されています。

・足の巻物:「BHINNEKA TUNGGAL IKA」と書いてありますが、’多様性の中の統一

‘と訳されており、多民族・多言語・多宗教を乗り越えて統一国家を目指すという、

 インドネシアの理念になっています。


・盾は5つに区分されており、それぞれはパンチャシラ5原則を意味しています。

<中央部の黒い地に金色の星>

  パンチャシラ第1原則 「唯一神への信仰」

<右上の白い地に熱帯樹ブリンギン(beringin)>

  パンチャシラ第3原則 「インドネシアの統一」

<左上の赤い地に野牛(banteng)>

  パンチャシラ第4原則 「協議と代議制における叡智に導かれた民主主義」

<右下の赤い地に円形の鎖>

  人間の世代間のつながりを示しパンチャシラ第2原則 「公正で文化的な人道主義」

<左下の白い地に金の稲穂と白い綿花>

  パンチャシラ第5原則 「インドネシア全国民に対する社会的公正」



(インドネシアの国章)





(タイ王国の国章)






日本の国章は何でしょうか。法令上の明確には決められていませんが、次の3種類が

慣例的に国章に準じて使われていまうす。

・「十六八重表菊」(天皇家の家紋)

・「五七桐花紋」(政府や皇室の慣例的な紋章。政府の記者会見などに使われています)

・「十六一重表菊」 パスポートに使用されています。


(十六八重表菊)



(五七桐花紋)




(十六一重表菊)





以下は「じゃかるた新聞(2001年8月11日)」の記事の抜粋です。

スカルノ初代大統領の長女でもあるメガワティが第5代大統領就任に当たり新内閣を

「ゴロンロヨン」内閣と命名しました。 インドネシア社会におけるゴトンロヨンの重

要さがよくわかると思います。



『メガワティ大統領は十日午前十時から大統領官邸に新閣僚を招き、就任式を行った。

大統領は閣僚への訓示でも相互扶助(ゴトンロヨン)精神を強調、「現在の危機を脱す

ることができるよう、ともに、一生懸命働こう」と呼びかけた。アブドゥルラフマン

前政権の閣僚や議会、国軍の幹部らが出席して新政権の発足を祝い、挙国一致の体制で

船出することを印象づけた。

  (略)

イスラム、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー、仏教のそれぞれの宗教のやり方

で、就任の宣誓をした 大統領は「ゴトンロヨン」内閣と名付けたが、これはただの

名前ではない。ゴトンロヨンはインドネシアの社会、家族、国家の核だ。ゴトンロヨン

の意味を理解してほしい。私は最善の閣僚を選んだ。現在の危機を脱するため、私的な

利益はおいて、ゴトンロヨンを実践し、腕まくりして働こう」と語った。』




<2010年8月11日 ☆きらきら星☆>
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日本とインドネシアの絆(2)

2010年08月07日 12時32分15秒 | インドネシア

インドネシアの経済が好調のようで、8月6日付けの日経新聞によると、今年4~6月期の

GDPは前年比6.2%増となったとのことで、アグス財務大臣は、今年通年では6%弱の

経済成長率を予測していると言っています。また、ブディオノ副大統領によれば今後

4~5年に8~8%の経済性も可能とのこと。


ゴールドマンサックス証券が2007年に発表したレポートで、50年後の世界経済におい

て非常に大きな影響力をもたらす潜在性を秘めた国として11カ国を取り上げ、「NEXT 

11」(ネクスト イレブン)と名付けましたが、この中にインドネシアも入っています。


「NEXT 11」:イラン、インドネシア、エジプト、韓国、トルコ、ナイジェリア、
 
        バングラデシュ.、パキスタン、フィリピン、ベトナム、メキシコ。


インドネシアは、1997年のアジア通貨危機で政治・経済の両面で混乱に陥り、1998

年のGDPは実に▲13.1%となりました。 その後経済は緩やかに回復してきましたが、

2004年にユドヨノ大統領が就任して治安が急速に安定するとともに、経済も5~6%台

の成長に回復しました。 今後豊富な人口と資源を持つ大国インドネシアの発展を期待して

います。



さて、日本とインドネシアの関係についてです。



「こころの友 インドネシア-10」


<日本とインドネシアの絆:その2>


日本の3年半の軍政は、前にも記述したとおりロームシャのこともありますが、一方では

インドネシアにとって大変な利点を残しています。まず、オランダ語と英語を禁止し、

バハサインドネシア(インドネシア語)を奨励したので、全土に広まっていったこと。 次

に郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織して、青年に軍事訓練を行って厳しい規律を教え込んだこ

と。さらにオランダ人を追放してインドネシア人を積極的に登用したために、インドネシア

人の能力啓発と自覚が高まったこと、また隣組、婦人会などにより末端まで組織したこと。

隣組はいまでもしっかりと根付いています。


戦後賠償の交渉に当たった国会議長のアルジ・カルタウイ氏(日本軍が育成した郷土防衛義

勇軍の大団長出身)は、岸首相に対して「独立のお祝いというつもりで賠償金を下さい。日

本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません」と発言しています。



スハルト大統領はその回顧録の中で、次のように書いています。

「ペタでの訓練は想像を絶していた。朝5時半から夜遅くまで軍事教練、理論、精神教育が

続いた。私が当時を語るときの用語はいまだに日本語である。 指導してもらった上官は厳

しい軍人精神の持ち主だったが、彼らには我々への気持ちを感じた。ペタ出身者の多くが独

立闘争の中核となり、後に政権中枢を担う。だが、私の日本への気持ちは次第に変わってい

った。アジアの兄貴分として独立を助けてくれると思い、我々の多くは日本軍を歓迎した。

それなのに多くの兵士の行いは我々が受け入れがたくなっていったからだ。

ペタで叩き込まれた闘争精神、愛国精神抜きには、我々は再植民地化のため攻めてきた

オランダを撃退できなかったと私は思う。その意味で日本に感謝している。 しかし、私の

実感では日本軍のインドネシア占領はアジアの解放ではなく、日本自身のためだった。」



ちなみに、インドネシアを350年間支配したオランダは、日本に対して謝罪を求める一

方、インドネシア独立に際し、インドネシアに60億ドルを要求しています。1995年

オランダのベアトリックス女王がインドネシア独立50周年を記念して訪問した際に植民地

支配への謝罪が注目されましたが、「悲痛な戦いで多くの方が亡くなったり、その後も傷を

引きづらなければならなかったことは、深い悲しみである」と述べるにとどまりました。

その後2005年8月インドネシア独立記念式典にオランダの閣僚として始めて出席した

ボット外相は、スカルノ大統領が1945年8月17日に行った独立宣言をオランダとして

始めて有効であると認めたうえで、第2次大戦後4年間続いた独立戦争について「遺憾の

意」を表明したが、在インドネシア・オランダ大使は、遺憾表明は“謝罪”と解釈されるべ

きものではないと発言しています。



インドネシア人の歴史認識は、自国の長い歴史の上で輝かしい時代を築いてきたとの民族と

してのプライドに裏付けされています。しかし、1974年1月に反日の「マラリ事件」が勃発

しました。 田中角栄首相がジャカルタを訪問した際、日本大使館がデモ隊に投石され、

日章旗が引きずりおろされ、日系企業の社屋が放火されたほか、1000台以上の日本車が

破壊され、死者8名、逮捕者800名が出ました。田中首相はヘリコプターでホテルから

空港に脱出しました。日本に好意的なインドネシア人ですが、プライドを傷つけられるよう

なことになれば、かつてのロームシャの苦痛等が呼び戻されて、不測の事態に発展しかねま

せん。 



マラリ事件の背景につき、スハルト大統領の回顧録には次の記述があります。

「外資誘致は上手くいき、日本からは自動車、家電、繊維、木材など各社の進出に拍車がか

かった。欧米企業も石油・ガス・鉱山開発などに進出した。たちまち街には自動車、テレビ

から整髪料など日本製品があふれてきた。 日本人が武器を高級工業製品に持ち替えて再び

やってきたのだ。戦争中の彼らへの思いと、目の前の彼らの豊かさへの反発からインドネシ

ア国民の間に日本への不快感が次第に高まったのも無理はない。」




日本人学校がインドネシアの学校と交流会を行い、また、ジャパンクラブの活動のひとつと

して、音楽(アンクルン、ガムラン)や踊り(バリダンス)などを習い、インドネシアの社

会に溶け込んでいるにもかかわらず、中にはインドネシア人に対して見下した振る舞いをし

ている人も見られます。 企業は駐在員として送り出す場合は、しっかりと教育をしてもら

いたいと思いますし、駐在員は一人の人間として歴史を勉強してもらいたいと切に思いま

す。

(2008年8月メモ)


<2010年8月7日 ☆きらきら星☆>

コメント
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