NHK朝ドラで牧野富太郎をモデルにした「らんまん」が放送されていますが、東京都練馬区東大泉は、牧野富太郎が64歳(1926年・大正⒖年)から満94歳(1957年・昭和32年)で亡くなるまでの30年間を過ごしたところで、住居跡地は、死去の翌年(1958年・昭和33年)12月1日に「練馬区立牧野記念庭園」として開園しました。
ゴールデンウイーク中で新緑の良い季節でもあり、牧野記念庭園に足を延ばしてみました。
この牧野庭園には私は30数年まえに見学に訪れたことがありますが、当時は庭園の中に住居(書斎、書庫など)があるだけで、見学者も多くなく静かな佇まいだったように思います。現在のような施設(講習室、記念館、常設展示室など)は、2010年(平成22年)8月にリニュ―アルオープンした時に設置されたものと思われます。
今回訪問した日は平日だったこともあり、訪問者は年齢層が比較的高い方がほとんどでした。今では休日の日には、時節がら、親子連れや小学校などからの見学会も行われているものと思います。庭園は、広さが2576㎡ほどで、牧野博士が生前に収集し、育てていた植物が300種類以上が植えられています。
<牧野富太郎博士略歴 ;パンフレットより転載>
文久 2(1862)年:土佐国高岡郡佐川村(現佐川町)に生まれる(生家は酒造業を営む裕福な商家「岸屋」)
明治17(1884)年:上京し、東京大学理学部植物学教室へ出入りする
明治22(1889)年:日本で初めて新種ヤマトグサに学名をつけ発表する
明治26(1893)年:帝国大学理科大学助手となる
明治33(1900)年:「大日本植物志」第一巻第一集刊行
明治45(1912)年:東京帝国大学理科大学講師となる
大正 5(1916)年:「植物研究雑誌」を自費創刊
大正15(1926)年:東京府北豊島郡大泉村上土支田557に居を構える(現在の練馬区立牧野記念庭園)
昭和 2(1927)年:理学博士の学位を受ける
昭和 3(1928)年:壽衛夫人永眠、スエコザサを命名
昭和12(1937)年:朝日文化賞を受ける
昭和14(1939)年:東京帝国大学理学部講師を勤続47年で辞任
昭和15(1940)年:「牧野日本植物図鑑」発行
昭和26(1951)年:第一回文化功労者となる
昭和28(1953)年:東京都名誉都民となる
昭和32(1957)年:1月18日満94歳 永眠。 没後従三位勲二等旭日重光章および文化勲章が授与される
平成20(2008)年:練馬区名誉区民となる
<西武池袋線大泉学園駅にある看板>
<牧野記念庭園入口>
<新緑にあふれる庭園内>
以上