花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「九州電力は鹿児島県・三反園知事の暴挙を跳ね返してほしい」

2016年08月31日 09時00分00秒 | ちょっと気になること
鹿児島県の三反園知事が8月26日に九州電力の瓜生社長を鹿児島県庁に呼びつけて、川内原子力発電所の稼働停止を要請する文書を手交しました。テレビ朝日コメンテーターであった三反園氏は、出馬を検討していた反原発候補と政策協定を結び、反伊藤知事への統一候補になった経緯がありますが、4選を目指す伊藤知事を批判する保守系も同調した相乗り候補として知事選を有利に進め、初当選しました。知事就任後1か月になろうとする8月26日に反原発派との公約を実施したことになります。三反園知事は8月26日に先立つ、19日に川内原子力発電所の周辺を視察していますが、原発の立地自治体である薩摩川内市長との面会は未だにおこなっておらず、川内原発さえも視察していません。

(日経新聞:8月19日)
『三反園知事は川内原発の敷地内には入らず、避難道路や大気中の放射線量を継続的に計測するモニタリングポストなどを見て回った。川内原発に近いグループホームのほか、放射線防護施設なども訪問した。 

(朝日新聞:8月19日)
『9日午前、原発から半径5キロ圏内(PAZ)にある薩摩川内市の集落や、半径30キロ圏内(UPZ)に入る隣の同県いちき串木野市内を視察。事故の際に使われる予定の避難道路を見たり、認知症の高齢者向けのグループホームを訪ねたりした』 


原発の稼働停止要請をするならば、まず、九州電力に対して、九州電力の安全への取り組みを質し、現地確認を行うのが順序だと思いますが、これらのことを一切省き、県庁職員(薩摩川内市職員ではなく)の案内で原発周辺地域の視察だけでお茶を濁しています。 立地自治体である薩摩川内市長は「現時点で原発を停止する必要性は認められない」との立場を明らかにしています。であるならば、県知事として、薩摩川内市長との意見調整が重要なはずです。三反園知事は『地元住民から意見や要望を聞いた』としていますが、立地自治体の長の意見は無視しているのです。 法治国家における重要な意思決定のプロセスである「適正な手続き」を逸脱しています。とても、立憲主義を標榜する市民派の知事とは思えない行為です。、

そもそも、川内原子力発電所は原子力規制委員会の厳格な審査・検査を合格しており、鹿児島県と薩摩川内市が同意して再稼働にこぎつけたものです。当然。九州電力、鹿児島県、薩摩川内市の3者で安全協定を締結し、避難計画を作成しています。 三反園知事は、原子力発電所の稼働に関しては、法的な権限を持っておらず。安全協定など住民の安全確保の観点から同意を与える立場です。
この「同意」が曲者で、知事はあらゆる理由をつけて“不同意”をちらつかせて、原子力規制委員会の審査に合格した原発の稼働に待ったをかけるのが可能になっています。立地自治体の長は法律的な権限はないにもかかわらず、原子力規制委員会と同等の権限を実質的に有しています。

三反園知事が挙げている川内原子力発電所の一時停止要請の理由は、熊本地震で県民の多くが不安を抱いたこと、避難計画に見直すべきところがあること、などのようです。
避難計画の見直しは、稼働しながらでも可能です。新しい知見で随時見直しを行い最善の計画にしていったらよいのです。 さらに、川内原発は法令に基づく定期検査が1号機は10月に、2号機は12月に予定されており稼働を停止します。、原子力規制庁の専門家が立ち入りして検査を行うのです。三反園知事の要求する安全性の再検討も必要ならばこの定期検査に合わせて行えばよいのです。 即刻に原発を停止する緊急性は見当たりません。

大地震対策については、福島原発事故の後に原子力規制委員会が規制基準を大幅に強化しました。川内原発については、想定される最大の揺れ(基準地震動)を福島事故前は水平地震動で480ガルとしていましたが、川内原発に適用される新基準の550ガルに九州電力の自社判断で上乗せした620ガルで耐震対策を講じました。今回の熊本大地震で川内原発で観測された地震動(水平)は8.6ガルでした。熊本大地震級の地震が川内でも近々起こると危惧しているのでしょうが、川内原発は160ガル以上の振動で緊急自動停止することになっています。

このようなデータがあるのに、三反園知事はなぜ、地震による不安を掻き立てるのでしょうか。これでは、日本には恐ろしくて住むところがなくなってしまいます。 知事当選に際しては、多くの保守層穂の支持があったことを忘れてしまったようです。この保守層は、伊藤知事の4選反対で三反園氏を支持したものであり、原発反対ではありません。


かつて、民主党政権時に菅総理が、静岡の中部電力・浜岡原子力発電所の稼働停止を要請した悪例があります。時の権力者の法律にもとづかない「行政指導」という名の超法規的な命令で原子力行政がゆがめられています。川内原子力発電所でも、その愚が繰り返されようとしています。九州電力には毅然として三反園知事の横暴を跳ね返していただきたいと思います。
九州電力は、かつて、玄海原子力発電所の「やらせメール問題」で、民主党・野田政権時の枝野幸男経済産業大臣のいわれなき圧力に屈しなかった気骨が残っていると信じています。
(当ブログ 2011年11月2日「やらせメール問題―九電の気骨に拍手」)

http://blog.goo.ne.jp/kira2bapak/e/6b034d5b570dfc33d87e1d0e582535c9

(朝日新聞:2011年10月15日)
九州電力は14日、経済産業省に提出した「やらせメール」問題の最終報告書を、月内にも再提出する検討に入った。佐賀県の関わりを認めない内容について、枝野幸男経産相が強く批判したためだ。県の関わりを一転して認めるかどうかが焦点となる。  枝野氏は同日、訪問先の中国で記者団に対し、報告書について「世間に対して出すということについて何を考えているのか」と述べ、再提出を求める考えを示唆した。また、九電の第三者委員会が県の関与を指摘したのに、報告書に盛り込んでいないことを「つまみ食い」「公益企業のガバナンス(統治)としてあり得るのか。大変深刻な問題」などと批判した





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『ヤブミョウガ(薮茗荷)』

2016年08月29日 09時00分00秒 | 自然
道端の日影になる草むらにヤブミョウガ(薮茗荷)の花が咲いています。
“ツユクサ科ヤブミョウガ属の多年草。常緑広葉樹林域の谷筋や林縁などに生育する。名前は葉の形がミョウガに似ていることから。開花時期:6月~9月。花茎を出して白い花を咲かせ、黒紫色の果実を稔らせる。ミョウガはショウガ科。”












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「サルスベリ(百日紅)」

2016年08月27日 09時00分00秒 | 自然
サルスベリ(百日紅)の白い花、ピンク色の花、紫色の花が今を盛りに咲いています。フワフワした花が見事です。
“ミソハギ科サルスベリ属の落葉中高木。中国南部原産。樹高:2m~10m。 開花時期: 7月~ 10月。花色:白、ピンク、紅、紅紫。、小さな花が円錐状につく。花弁は6枚で縮れている。”

<白色>








<ピンク色>








<紫色>









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「ヘチマ(糸瓜)の花と実」

2016年08月25日 09時00分00秒 | 自然
民家の壁にヘチマ(糸瓜)が這わせてあり、ヘチマの花が咲き、長い実もぶら下がっています。実は今が柔らかく食べごろかと思われます。
“ウリ科ヘチマ属のツル性一年草。インド原産。江戸時代に渡来。花期は7月~ 9月。花色:黄色。花径8cm。花後に筒型の長い実(「ヘチマ」)がつく。若い実は食用になる。茎からは化粧、薬用になる「ヘチマ水」が取れる。(せきどめ、利尿剤)”












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「江戸東京たてもの園―2」

2016年08月23日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」を7月20日にアップしましたが、その時には、
東ゾーンと中央ゾーンを見学し、西ゾーンは後日にしました。今般、西ゾーンに行って来ました。昔の商家・銭湯・居酒屋などを通して、下町の風情を楽しむことができます。
復元した建物の中には、当時の暮らしや商売の道具・商品などを展示しています。

ビジターセンター(旧光華殿)
紀元2600年記念式典(1940年・昭和15)に皇居前広場に仮設された式殿。1941年・昭和16年に小金井公園に移築、ビジターセンターとして利用されている。




小寺醤油店
1933年・昭和8年の建築。大正期から現在の港区白金で営業、日本酒、味噌、醤油を量り売りしていた。





(計算機)


(裏側)




鍵屋(居酒屋)
1856年・安政3年建築。台東区下谷の言問通りにあった居酒屋。建物と店内は1970年・昭和45年ごろの姿に復元されている。







子宝湯
1929年・昭和4年建築の宮造りの銭湯。ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の湯婆婆(ゆばーば)が仕切る湯屋「油屋」のモデルになったとも言われている。



(女湯から男湯を望む)


(番台)




仕立屋
1879年・明治12年建築の町屋。 内部は大正期の仕立屋の仕事場を再現している。







武居三省堂(文具店)
1927年・昭和2年建築。明治初期に創業した文具店。建物は震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっている。引き出しは、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』に出てきた釜爺(かまじい)が、ながい手足を生かして薬草をとっていた引き出しのモデルとなったとも言われている。



(引き出しが『千と千尋の神隠し』の場面に利用されたらしい)




花市生花店
1927年・昭和2年建築の花屋。店内は昭和30年代の花屋を再現している。
(右側の建物)


(店の日常生活空間)


(店の裏側、井戸などあり)




植村邸
1927年(昭和2年建築。建物の前面を銅版で覆う。





丸二商店(荒物屋)
昭和初期に建築の荒物屋。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴。店内は昭和10年代の様子を再現。裏手には長屋も移築されている。





(長屋)




村上精華堂
1928年・昭和3年に建築の小間物屋(化粧品屋)。化粧用のクリーム、椿油、香水などを製造・販売(卸・小売り)していた。





川野商店(和傘問屋)
1926年・大正15年に建築の和傘問屋。内部は1930年・昭和5年ころの和傘問屋の店先の様子を再現している。





(裏側)




大和屋本店(乾物屋)
1928年・昭和3年に建築の乾物屋。木像3階建て。

(右側の建物)






万徳旅館
建築は江戸時代末期~明治時代初期の旅館。1950年(昭和25)ころの様子を復元している。





天明家(農家)(てんみょうけ))
江戸時代後期の建築。江戸時代に鵜ノ木村(現在の大田区内)で名主役を勤めた豪農家で、長屋門をもつ格式高い旧家。

(母屋)


(蚊帳)


(長屋門)




店蔵型休憩棟
東ゾーンにある店蔵型休憩棟の1階は無料休憩所。2階には食べ物処「蔵」。個々で昼食をとりました

(左側の蔵の2階)




万世橋交番
建築は明治後期(推定)。正式名称は須田町派出所。神田の旧万世橋駅の傍にあった煉瓦造の交番。





皇居正門石橋飾電燈
明治20年代に制作された皇居正門の欄干両側にある男柱石に計6基設置されていたもののひとつ。





上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部
1925年・大正14年に建築。三脚四層式外廊型で、1970年・昭和45年まで使用された。





皇太子殿下御仮寓所跡(記念碑)
終戦後、この地に東宮御仮寓所が建設され、1946年・昭和21年から3年間、皇太子殿下(現在の天皇陛下)が住まわれた。






(東ゾーンの遠景)




(ホームページ)
http://tatemonoen.jp/








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