花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「もう秋ですね!」

2010年09月28日 16時25分11秒 | 自然

猛暑の日々が続いた夏もあっという間に終わり、肌寒さを感じるようになりました。

去る9月25日のことです。 富士山頂がうっすら雪化粧したと報じられました。 散歩の

途中で秋の花である、ヒガンバナ(マンジュシャゲ) と コスモス が咲いていました。

もう秋ですね!  近くの小学校では運動会が行われているのか、騎馬戦の様子を伝える

放送の声が聞こえてきました。 競技の合間には “ゲゲゲの女房” の主題歌である 

‘いきものがかり’ の “ありがとう” が流れていました。 やはりテレビの影響は

大きいですね。 運動会といえば、昭和30~40年代にはどの学校も秋に行われていたと思

います。 いつのころからか5月に開催されるようになりましたが、最近は、又、

秋(9月~10月)に行う学校が増えてきているようです。



*ヒガンバナ(マンジュシャゲ)

近所の雑木林のあちこちにヒガンバナが咲いていました。 写真は雑木林の入り口のもの

です。 この雑木林には ‘コナラ’の木が多く、11月下旬にもなると、たくさんの 

‘ドングリ’ が地面に落ちてきます。 また、松の木も多いので、12月下旬になると

 多くの‘松ぼっくり’ が地面に落ちています。 
















*コスモス

畑の中の道路際にコスモスが咲いています。ここには毎年コスモスが咲いています。


















(2010年9月28日 ☆きらきら星☆)
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道端の神様・仏様(3)

2010年09月25日 17時03分40秒 | 風物

<ちょっとうれしかったこと>

23日の朝、散歩していたら雨がパラパラと降り出しました。 たいしたことはないと

思ってそのまま歩いていましたが、少しずつ雨が強くなってきました。 ここから自宅

までは私の足で40分はかかります。 困ったと思いながら歩いていたら、犬の散歩から

帰ってきた様子のご婦人が後方から追い抜いてきて、 「雨が強くなってきましたが、

傘は持っていますか?」と声を掛けてきましたので、「持っていません」と返事したら、

近くの自宅から傘を持ってきて、 「あまっている傘です。濡れると体に悪いので、

使ってください。」と差し出されました。 ご好意に感謝して使わせていただき、おかげ

さまで濡れずにすみました。 見ず知らずの方に親切にしていただき、大変感謝してい

ます。 よく散歩するところなので、またお会いすると思うので、そのときに、改めて

感謝の気持ちをお伝えしたいと思っています。 



1、森の中の稲荷神社

昼なお暗い雑木林の中にひっそりとあります。 狐が2対(4体)在ります。

雑木林の外からは注意してみないと見過ごしてしまいます。 また、道路か

ら神社に行く道は細くてクモの巣も張っており、外部から人はあまり来ない

ようです。 鳥居は比較的新しく、鳥居と祠の間は掃除がされていますので、

所有者が清掃されているものと思います。

















2、道端のお稲荷さん

鳥居は小ぶりのものです。 祠は小さな建物の中に安置してあります。

所有者の農家の方が、自分の家一軒だけでお祭りしている個人のお稲荷さん

といっていました。




 






3、お地蔵さん

民家の門の脇に祠が立っています。 新しい花とご飯が添えてありきちんとお参り

しているようです。












(2010年9月25日 花熟里) 
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厚生労働省 村木厚子元局長の局長級への復職に疑問!

2010年09月23日 11時03分31秒 | ちょっと気になること

厚生労働省の村木厚子元局長が起訴された事件は、検察が押収した証拠のフロッピー・

ディスクの改竄という由々しき事実が発覚し、改竄した前田主任検事の逮捕という前代

未聞の事態を迎えました。 反権力意識の強いマスコミは、冤罪への恐怖も交えて、連日

検察の証拠改竄報道に集中しているように見えます。


確かに、裁判官・検察官・弁護士という司法の3本柱の一つが崩壊寸前となり、深刻な

事態になっていると思います。  係争中の他の事件への影響がでてこないことを祈る

ばかりです。 また、この事件により、司法修習生の検察官への任官希望が激減するので

はないかと危惧しています。 検察官全体の士気が低下しないように、法務省・検察庁

には適切な対応をお願いしたいと思います。



ところで、無罪となった村木厚子元局長は検察の杜撰な捜査の犠牲者ということで、

マスコミでは一躍にして時の人扱いです。 9月22日に厚生労働省に復職し、今月中には

局長級の職である「内閣府政策統括官」に就任すると報じられています。 一般的には、

完全無罪ですので局長という元の職位への復帰は当然といえますが、村木厚子元局長の

復帰にはチョット待ったをしたいと思います。



事件当時、村木厚子氏は厚生労働省障害保健福祉部企画課長であり、同課の係長であった

上村勉氏は、障害者団体を語る団体に認定書(公印である課長印捺印)を独断で発行した

として現在公判中です。  

官庁で担当者が‘公印’を勝手に押せるものでしょうか?  ‘公印’の管理担当者が、

厳格な手続きに従って管理・捺印しているのではないかと思います。 ハンコで仕事を

している官庁では、公印管理は最も重要な業務の一つではないのでしょうか。 村木課長

時代の課の公印管理体制はどうなっていたのでしょうか?  

今までの公判での流れでは、上村勉氏が独断で勝手に‘偽の文書を作成し’、‘公印で

ある課長印’を捺印したということになりそうです。 偽公文書の作成・発行に村木厚子

課長が関与していたか否かとは別に、偽の公文書が発行されたことは事実ですので、

村木課長は管理者としての責任を厳しく問われなければなりません。 管理者としての

資質を疑わざるをえません。


私は、村木厚子元局長の局長級職への復帰は行うべきではなく、逆に厳しく監督責任を

問い、降格させるべきと思います。  


民間企業で社印・社長印の管理部署に勤務した経験があるものから見ると、村木厚子氏

が当然のように元の職位に復帰することには疑問を感じます。


(2010年9月23日 ☆きらきら星☆)
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「世界一大きなスマトラオオコンニャクの花」

2010年09月18日 12時06分15秒 | インドネシア
ちょっと古くなりますが、世界一大きな花である 「スマトラオオコンニャクの花」が

東京の小石川植物園で咲いたとTVや新聞などで7月22日に報道されました。 

写真をみると、完全に開花しているのではなく、開花したものの、完全に開花したのでは

なく、途中でしぼんでしまったというのが実情のようです。


また、鹿児島県の指宿市にある‘フラワーパークかごしま’で、スマトラオオコンニャク

については、8月2日に開花が始まりましたが、5日に完全にしぼんでしまい、結局完全

な開花とはなりませんでした。 日本国内での完全な形の開花は難しいようです。


世界一大きな花は二種類あります。 一つは「ラフレシア」であり、もうひとつは

「オオコンニャク」です。私はインドネシアに駐在していた時に、スマトラ島に旅行し

て、これらの花を地元の人に尋ねましたが、もともとこれらの花は、山の中にひっそりと

咲くので、地元の人も実際にみるのは稀だそうで、しかも開花のタイミングにチョット

あわなかったりで、残念ながら野生の花は見たことがありません。 野生のラフレシアや

オオコンニャクがあるという西スマトラの Benkuru州 でTシャツを買いました。 


ジャカルタ郊外の植物園にあるスマトラオオコンニャク(インドネシア語では Bunga 

Bankai :ブンガバンカイ) が開花した時に見に行ったことがあります。 


(ジャカルタ郊外の植物園のスマトラオオコンヤクの開花)









(スマトラ島ブンクル州で買ったTシャツ)








さる7月29日、NHK総合TV でスマトラオオコンニャク開花の瞬間をとらえた模様が再放送

されました。 (2006年に「ダーヴインが来た」で放送されたもの) 開花の瞬間は圧巻

としか言いようがありません。 開花の時に発する強烈な腐ったような臭いが昆虫を引き

付ける為であり、昆虫に花粉を受粉させるために、開花時期を個体ごとに微妙にずらせて

いることなど、何千年もかけて獲得してきた種の保存への畏敬の念が湧きます。



以下はNHKの番組の案内を拝借したものです。

インドネシア・スマトラ島のジャングルだけに咲くスマトラオオコンニャク。最大で高さ

2.6メートル、直径も1.5メートルという世界最大の花です。しかも、7年に一度、

わずか2日間だけしか咲かない幻の花でもあります。その開花の瞬間を、ハイビジョン

カメラで初めて捉えることに成功しました。

花の存在が世界に知られたのは19世紀末。ロンドンのキュー植物園で初めて開花すると、

人々は自分の背丈をはるかに上回る巨大さに大きな衝撃を受けました。そして花が出す、

ある「とてつもない力」のために、見物客が気絶したと言われています。一体何が起こっ

たんでしょうか?

1ヶ月以上にわたってジャングルをくまなく探索し、ついに巨大花のつぼみを発見。成長

の様子を固定カメラで記録しました。1日10センチという驚異的な速度で急成長し、

10日後、ついに開花のときを迎えました。

開花の瞬間、その巨体からもくもくと湯気が吹き出してきました。この湯気にこそ、人々

を気絶させるほど強烈な「とてつもない力」が秘められていたのです!スマトラオオコン

ニャクは、大きさだけでなく、その強烈な力に関しても世界一の称号を与えられた、世に

もまれな世界二冠王の花だったのです。


「スマトラ島に、人の背丈を超える花がある!」知人のカメラマンから、初めてこの話を

聞いたとき、最初はそれほど強く心を惹かれることはありませんでした。大きいと言って

も、相手は動かぬ花だし、オドロキも一瞬で終わってしまうなら、テレビ番組で取り上げ

るのは難しいだろうと思ったからです。でも、百聞は一見にしかず。巨大花の絵を見せて

もらった瞬間、ググッと来ました。それは、第二次大戦中に出版された『南の植物』とい

う本の挿絵です。ヘルメットをかぶった日本兵の横に、人を食ってしまうかというほど大

きな花の絵が描かれていました。カメラマン氏が、少年の頃にその絵を見て以来、巨大花

の虜になった、というのも頷ける、実に妖しい光景で。 さらに調べていくうちに、もっ

と興味深いことが色々分かってきました。決定的だったのは、この花が2つの「世界一」

の記録を持っている

という事実でした。巨大花スマトラオオコンニャクは、直径1.5m、高さ3mに達します。


一つめの「世界一」は当然、「世界最大の花」です。そして、もう一つの「世界一」は、

花が咲いた瞬間にだけ発揮される特別な力だというのです。そう言われれば、なんとして

も開花の瞬間に立ち会い、実際にその「世界一」体験してみたくなるのがディレクターの

サガというものです。かくして、世界2冠王の花を求める無謀な?旅が始まったのです。


さて、みなさんの中には「世界最大の花」と言えば、「ラフレシア」という名前を思い浮

かべる方も多いかもしれません。実際、ラフレシアも世界最大の花であることに間違いは

ありません。ラフレシアにも何種類かあり、正確には、ラフレシア・アーノルディという

種類が、直径1メートル近い世界最大の花を咲かせます。ではスマトラオオコンニャクと

ラフレシア、なぜ2つの「世界最大」があるのかご説明します。実は、ラフレシアは

「単独の花」として、スマトラオオコンニャクは「花の集まり」として、それぞれ世界最

大なのです。一見すると一つの巨大な花のようなスマトラオオコンニャクですが、実は、

多数の雄花・雌花が集まった「花序」と呼ばれる花の集合体です。直径1.5m、高さ3mと

いう怪物のような大きさは、集合体だからこそのサイズなのです。 そんな「世界一」の

花がいくつも咲いているスマトラ島の熱帯雨林、まさに、世界に一つだけの、かけがえの

ない自然なのです。


http://www.nhk.or.jp/darwin/report/report003.html



<2010年9月18日 ☆きらきら星☆>

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リハビリ病棟の様々な患者

2010年09月12日 17時10分44秒 | リハビリ・健康管理

私が入院していた回復期リハビリ病棟には、40数名の方が入院していました。 大半が

脳卒中の方ですが、交通事故などのリハビリの方も数名いました。 ほとんど4名の

相部屋で、入院してまもなくの間は、ナースステーションの近くの部屋になります。 

回復が進んでくると、徐々にナースステーションから遠い部屋に移っていきます。 私は

3回部屋を替わりました。 勿論退院の頃には、ナースステーションからもっとも遠い

部屋でした。 


内科など他の病棟では、患者は病院指定のパジャマを着ています。病棟も静かで、声が

聞こえません。 廊下ですれちがうのは看護師さんなど病院関係者です。 


これに比べて、リハビリ病棟の患者はみなラフな私服です。 廊下には車椅子が数台集

まり、患者同士で世間話をしている様子があちこちに見られ賑やかです。リハビリまでの

時間をもてあましているようです。 看護師さんに、「ここ(リハビリ病棟リハビリ)は

活気がありますね」と話したら、「そうなんです。 皆さん元気ですから」と笑って話し

てくれました。


食事も基本的に食堂に集まって食べますが、重症の方は部屋で看護師さんが食べさせてい

ました。 食事は病気により内容が違います。 私たちのような高血圧の場合は減塩食事

ですし、糖尿病やその他内科系疾患を持っている方もいますので、それぞれに応じた食事

になっています。 嚥下障害で流動食の方がいました。 言語聴覚療法士(ST)が食事

指導のために付き添っています。 交通事故等の外科系でリハビリ中の方は、体力をつけ

るために制限のない普通食を食べていました。



私と同じ時期に入院していた方の中で、ちょっと心に残っている方のことを書いてみます。



<Aさん>

登山中に脳梗塞を発症し、右半身マヒと失語症が残っていました。 何時もナースセン

ターのところで、背筋をまっすぐに伸ばして、A4サイズの分厚い聖書を読んでおられた

ので、聖職者かなと思っていました。 奥様によると、ご主人はサラリーマンを定年退職

して10年経つそうで、今でも時々、会社時代の山登仲間と山登りに出かけており、今回発

症下時には会社時代の山仲間と一緒に登山中だったとのことでした。 ご主人は、今まで

病気ひとつしたことが無く、健康そのもので、病院とは全く縁が無かったそうで、突然

入院して、何をどうしたらよいか分からないと話していました。

Aさんが聖書を読書中に何回か話しかけてみましたが、失語症のために言葉が聞き取りに

くく、本人も話すのが苦痛に見えたので、短時間の表面的な話しだけで終わっていまし

た。

入院していたリハビリ病棟では、食事は可能な人は食堂に集まって摂りますが、Aさんが

途中から私の隣りの席になったのをきっかけに、いろいろと話をするようになりました。  

会社勤務時代は機械設計をされており、私が勤務している会社にも設備を納入・据付のた

めに工場を訪問したことがあると話され、世間は狭いものだとつくづく思いました。

この方は年齢的(70歳超)なことに加え、完全に車椅子の状態であり、いろいろな事情も

あり、退院と同時に老人ホームに入られました。 お元気で過ごされているものと思い

ます。




<Bさん>

この方は脳梗塞の方で、70歳をかなり過ぎているように思われました。 OT(作業療法)

のリハビリが同じ時間帯だったということもあり、同じテーブルで手のリハビリを受ける

ことがありましたが、いつも小さい声で歌を歌っていました。 何回か顔を合わせるう

ちに、私も一緒に口ずさむようになっていました。 いつも文部省唱歌です。 ある日、

ある歌の題名を知りたがっていると療法士が言うので、聞いて見ると「牧場の朝」では

ないかと思いましたので、私の家族に依頼して、「牧場の朝」の歌詞を持ってきてもらい、

B さんに渡しました。 Bさんは大喜びで、毎日のように 「牧場の朝」 を歌っていま

した。 私も声を合わせました。


B さんは 歩くことが出来ずに車椅子でした。 私が退院するときには、内科系の治療

も受けており、リハビリも休んでいましたので、その後のことが気になっていましたが、 

退院後6ヶ月経って医師の定期診察のとき、偶然会いました。 車椅子で家族に付き添

われ、元気そうに見えました。 私がBさんに挨拶すると、家族の方は不思議そうに私を

ご覧になっていましたが、同じ時期に入院していた時のことを話すと、懐かしがっておら

れました。



「牧場の朝」

福島県の御料牧場、岩瀬牧場の朝を描いたとされる歌。 1933(昭和8)年、「新訂尋常

小学唱歌(四)」に発表。作詞の杉村楚人冠は、朝日新聞出身の文人で、随筆「湖畔吟」

などを残した。 歌にある「鐘」は友好の印としてオランダから同牧場へ贈られたもの。


http://www.youtube.com/watch?v=emozJk3DSQk


(一)
 ただ一面に立ちこめた牧場の朝の霧の海。

 ポプラ並木のうつすりとい底から、勇ましく

 鐘が鳴る鳴る、かんかんと。


(二)
 もう起出した小舎小舎のあたりに高い人の聲。

 霧に包まれ、あちこちに、動く羊の幾群れの

 鈴が鳴る鳴る、りんりんと。

(三)
 今さし昇る日の影に夢からさめた森や山。

 あかい光に染められた遠い野末に、牧童の

 笛が鳴る鳴る、ぴいぴいと



<Cさん>

Cさんは、私とほぼ同じ時期に入院してきた方で、病室が近いので、よく顔を合せました。

看護師さんにいたずらをするのが好きで口達者な方でした。 脳梗塞で左半身マヒがあり

ました。車椅子からの立ち上がりが少しできるようになった頃、廊下の手すりに必死で

つかまり、歩こうとしていましたが、看護師に見咎められ、止めさせられていました。 

しかし、何回も何回も、必死に廊下の手すりで、つかまり歩きに挑戦していた姿を忘れら

れません。

私も同じようなことをして看護師に「ころんで骨折でもしたら、ここまで回復したのが

台無しになるじゃないですか 」とひどく叱られたことがありましたので、親近感を覚え

ました。


退院する頃に杖・装具ですこし歩けるような状態でした。 Cさんとは退院後、1回だけ

医師の定期健診のときに会いました。 お互いに頑張りましょうと言ってくださいました。 

Cさんは、いつもは自宅近くの通所リハビリに通い、さらに週3回の訪問リハビリを受けて

いるとのことで、杖をついていますが、歩く姿からみると、かなり状態が良くなっている

ように見えました。 自宅内では、捉まるところがたくさんあるので、なるべく杖・装具

は使わないようにしていると話していました。 Cさんのように、少々危なっかしくても、

積極的に挑戦する方のほうが回復していく可能性が高いのではないかとも思っています。




(Dさん)

Dさんは、私より1カ月くらい遅く札幌の病院から転院してきました。 札幌出張中に

脳梗塞(小脳)で倒れ、脳外科病院に搬送され、1カ月入院していたのことでした。 

Dさんはこの1カ月間、意識がない状態だったそうです。 

自宅のある東京のリハビリ病院に転院するにも、飛行機は高度を飛び気圧が変動するので、

不安があったそうですが、医師も許可を出したので、転院を決めたとのこと。

症状はマヒなどは全くなく、外見的には健常者と何ら変わりませんが、歩くときには、

なにかフワフワとした雲の上を歩いているような感じがするのと、まっすぐに歩けないと

いうことでした。 病棟には、小脳で脳梗塞を発症した方が他にも3名いましたが、

みなさん同じような症状でした。

病室が隣ということと、食事の席がテーブルの向い側だったこともあり、親しく話をさせ

ていただきました。 学校で物理を教えているとのことで、私の最も不得意とし、理解

できなかった学問であり、それだけで畏敬の念を持ちました。 入院中には丁度ノーベル

物理学賞の受賞者が発表になり、日本人3名が受賞されました。 南部陽一郎、小林誠、

益川敏英の3氏の受賞が決定し、ストックホルムで受賞式に臨む3名がTVで放映されま

した。 

Dさんは、南部先生は素粒子分野では神様みたいな存在であり、受賞は遅すぎたとか、

日本における理論物理学の歴史とか、さまざまなことを話していただきました。現在は

学校に復職して活躍されています。




(その他の方:Eさん、Fさん)

ナースステーションの近くの部屋の部屋にEさん(高齢の女性患者の方)が入院していま

した。 夜になると「痛い! 痛い!」と涙をポロポロと流していました。同室の方に

迷惑を掛けるというので、夜にはナースステーションの中にいるのを見かけることが多く

なりました。 私も入院して間が無かったので、なんでそんなに痛いのかと不思議に思っ

ていましたが、視床痛だったと思い至りました。 この方も車椅子の状態で退院された

ようです。 



Fさん(主婦の方)です。 病室からリハビリ室までの約100m距離を手すりにつかま

りながら、杖・装具でなんとか歩けるようになっていました。 OT室で私の横で、涙を

流しているので、どうしたのかと聞くと、「明日退院ですが、歩けるようになってほんと

うに嬉しいです」といってまたポロポロ涙を流していました。 全くの推測ですが、主婦

の場合、家では家族や雑多な家事などが待ったなしで待ち受けているので、歩けるように

なることの実感がひとしおなのではないかと思っています。  



(2010年 9月12日 ☆ きらきら星 ☆)
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