花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「トサミズキ(土佐水木)とヒウガミズキ(日向水木)の花」

2012年03月31日 11時27分44秒 | 自然

『トサミズキ(土佐水木)の花』

散歩の途中で黄色い花を沢山付けている木を目にしました。 
道路より高いところにあるので、見上げるようにしてやっと
撮影しましたが、木の全部が撮影できませんでした。図鑑で
調べて見ると“トサミズキ(土佐水木)です。 サンシュウユ
と同じ時期に多くの黄色い花を付けるとあります。 
サンシュウユの花は小さいですが、トサミズキの花は、やや大
きく下を向いています。 

















“マンサク(満作)科トサミズキ属。 花期は3月~4月で、
明るい黄色の花を付ける 四国に分布する落葉性の低木~小高木。
高知(土佐)の蛇紋岩地に野生のものが多く見られる。 葉の形が
ミズキ科の樹木と似てところからズキと名前が付いているが、
ミズキ科ではなくマンサク科の植物。 近縁種の日向水木と比べ
て、一房の花の数が多くて花も大きい。おしべの部分は茶色“




『ヒウガミズキ(日向水木)の花』

トサミズキに続き、近所に“ヒウガミズキの花“を目にしました。














“マンサク科トサミズキ属。別名:イヨミズキ、ヒメミズキ。
原産地は日本で、石川県から兵庫県の日本海側の限られた地域
の岩場に自生。日向(宮崎県)には自生していない。ヒメミズキ
といわれていたものが訛ってヒウウガミズキとなったともいわ
れている。樹高1.2〜2mの落葉低木。花は、近縁種のトサミズキ
に続いて、3月下旬に丸みのある淡いクリーム色の多くの小花が
咲く。庭に良く植えられて春を飾る花の一つ。実は秋に黒く熟し
4個の種子を持つ。”



(2012年3月31日  花熟里)
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「武士の誇り~~マダム・バタフライ(蝶々夫人)」  

2012年03月28日 16時53分10秒 | ちょっと気になること
フランスでは、行政文書に独身女性に使用する「マドモアゼル」という言葉を使用せずに、今後は「マダム」に統一することになったとマスコミで報道されています。 男性は「ムッシュー」だけなのに、女性を未婚・既婚で区別するのは女性差別に当たると言う女性団体の要求があったからだそうです。  フランスは離婚率が非常に高いということや、 同棲カップルにも夫婦と同じ財産上の権利が与えられるようになったため、「結婚しているか、していないか」という枠組み自体が意味をなさなくなってきたことが背景にあると言われています。


「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」は、1890年代初頭に長崎の外国人居留地に住んでいたサラ・ジェニー・コレル(鎮西学院の校長夫人)から聞いた長崎の話をもとに1898年、アメリカ人ジョン・ルーサー・ロングが小説にしたものです。この小説をもとに、イタリア人作曲家プッチーニが、オペラ「マダム・バタフライ」を作曲しました。 このオペラは、長崎の色街で働く芸者・お蝶が、米国海軍軍人ピンカートンと恋に落ち子供を設けるも、彼の夫人が子供を引き取ってしまい、これを苦にした蝶々さんが自害してしまうという悲劇として世界中で度々上演され、プッチーニの名作として知られています。

昨年11月19日に「蝶々さん〜最後の武士の娘〜」がNHKで放送されましたが、「蝶々さんは悲嘆にくれて死んだのではない。武士の娘として.誇りを持って死んでいった」という解釈に大変な興味を覚えました。 ドラマは、脚本家の市川森一氏が、プッチーニの名作オペラを基に、長崎新聞に連載、2008年に出版した小説が原作で、市川氏が脚本を手掛けています。
 
さらに、11月23日にはNHK-BSで、「蝶々夫人は悲劇ではない〜オペラ歌手岡村喬生80歳イタリアへの挑戦〜」と題したドキュメンタリーが放映されました。 プッチーニ作の蝶々夫人はヨーロッパ人の見た表現で作成されており、日本人の考え方とは異なっており、さらに、事実誤認もあるとして、岡村喬生氏が自ら脚本を書き、2011年にイタリアで行われたプッチーニ・オペラ・フェスティバルで上演するまでの苦闘を描いています。  

市川・岡村両氏ともお蝶が、「葉隠」の佐賀藩の没落武士の娘であることを念頭に、「武士の自害とは自らを罰することでも、敗北でもない。誇りの証」であるとした、ストーリーになっています。 市川脚本では蝶々さんが、作法に則って死に装束に身を包み、作法通りに家伝の短刀を咽喉の刺して自害する場面を描いています。


さて、現在は明治元年(1868年)より140年を過ぎていますので、流石に『士族』という言葉は耳にしませんが、最近、この『士族』という言葉を直接耳にする機会がありました。  それは、最近大叔父と電話で話していた時のことです。「このような時代で、はばかられるが、士族の出として恥ずかしくない生き方をしなければならないのだぞ。」といった言葉でした。 私が幼小の頃にはたまに「士族の出だから・・・・」という言葉を聞かされていましたが、平成24年の今になって、耳にするとは思いませんでした。 しかし、“世間様に恥ずかしくない生き方をせよ”と言ってくださる世代が極わずかですが存在しています。誠にありがたいと思っています。

蝶々さんの話は明治初期の頃のことですから、.没落しても武士の末裔として誇りを持って生きている人が多かったと思います。 蝶々さんも小さい頃から、武家の娘として、“葉隠”の精神を叩き込まれ、厳しく育てられたと考える方が素直な感じがします。市川、岡村両氏の捉え方に共感を覚えます。
 


(NHK長崎放送局ホームページ)

<あらすじ>
「明治初期、元佐賀藩の士族の娘として生まれた伊東蝶(宮崎あおい)は、佐賀の乱に巻き込まれた父を亡くし、母・やえ(奥貫薫)と祖母・みわ(藤村志保)によって育てられた。お蝶が新しい世で身を立てていけるようにと熱心に学問をさせ、家伝の能笛を伝える一方、武士の娘としての心構えを叩き込む。「武士の自害とは自らを罰することでも、敗北でもない。誇りの証」。

しかし、その母と祖母は、お蝶の小学校卒業を前に突然流行り病で亡くなってしまい、お蝶は親戚のつてで長崎の貸座敷「水月楼」の養女となる。養母・マツ(戸田恵子)は女学校への進学を約束してくれていたが、その養母も病で死去してしまう。お蝶は跡取り娘の立場から一転女中の身に、さらには置屋「末石」に身をおき、やがて舞妓「春蝶」となるのだった。

そんな流転の人生の中、お蝶の心の拠り所となったのは、幼馴染ユリ(池脇千鶴)の存在だった。ユリは、なんとアメリカ人宣教師の養女となっていたのだ。お蝶はユリとの親交を糧に、英語を学び続ける。
ある日、お蝶は米海軍士官のフランクリン(イーサン・ランドリー)と出会う。フランクリンは乗船する巡洋戦艦の修理のために長崎に滞在していた。フランクリンの中に日本の武士に通じる心意気を感じるお蝶。

2人は互いに惹かれあい結婚する。しかしフランクリンにとってそれは、滞在期間だけ、かりそめの夫婦生活を過ごす「長崎式結婚」だっだ。しかし、お蝶との暮らしの中で、フランクリンは、お蝶に真実の愛を感じるようになる。やがて船の修理も終わり、フランクリンは長崎を離れることになる。お蝶は彼の子どもを身ごもっていた。
1人で息子・襄(ジョー)を出産し、夫の帰りを待ち続けるお蝶。そこにもたらされたのは、「アメリカに渡った、もうひとりの私」とまで思っていた幼馴染のユリの死だった。

そして待ちかねたフランクリンの船が、再び長崎港に入港する。しかし、お蝶の元に現れたのは、フランクリンのアメリカ人の妻だった。子どもを引き取って育てたいという申し出にお蝶は悩みぬくが、我が子の将来を考え、自由平等の国アメリカでの栄達を願い、「りっぱな人間に育ててください」とフランクリンの妻に息子を託す。

襄を乗せた船が港を離れていく。息子を手放した喪失感にさいなまれるお蝶にユリの兄・谷川伊作(伊藤淳史)が求婚する。受け入れれば、当たり前の幸せが手に入る。しかし、それはフランクリンとの愛を否定することになる。
フランクリンとの愛がまやかしではない真実のものだったという証に、お蝶は自らの人生を終わらせる道を選ぶ・・・

そして時は流れ、昭和11年、東京・歌舞伎座。「蝶々夫人」の凱旋公演を客席からじっと見つめる、お蝶の遺児、ジョー(襄)・フランクリン(川平慈英)と大成した伊作(野田秀樹)の姿があった。」


(2012年3月28日 花熟里)


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「マヒ側を動かすことの大事さを教えてくれる“足こぎ車椅子”」

2012年03月25日 11時01分55秒 | リハビリ・健康管理
NHKで“足こぎ車椅子”について興味深い内容のドキュメンタリーが放映されました。 テレビの映像を見ていると、足こぎ車椅子は、健側の足でペダルを踏めば自動的にペダルに乗せたマヒ側の足も動きます。足がペダルと共に動けば足首が動きます(回転運動)。 このところが重要なところだと思いました。 
病院を退院して、自宅でのリハビリに入ると散歩で歩くことはしても、足首を動かすことまでは頭が回りません。 ついつい、足首を動かさないで歩いています。

回復期リハビリ病院に入院していた時、私も歩けるようになるまでは当然車椅子を使っていました。 車椅子は普通は手で車輪を回しますが、脳卒中で片手が不自由な人は、健側の足で蹴り、健側の手で車輪を回して車椅子を動かします。 

私は、マヒしている足が固まるのが怖くマヒした足をなんとか動かそうと思い、車椅子をマヒした足で床を蹴って動かそうとしましたが、マヒした足で床を蹴ることが出来ないことと、車椅子が重いこともあり、車椅子を動かすことができませんでした。 然し、1週間くらいすると、少しずつですが、動かせるようになりました。 それからは、毎日、病院の廊下でマヒした足を使って車椅子を動かしていました。 当然、毎日必死に車椅子を漕いでいる私を療法士や医師も目にしています。
ある日看護師が、「なにをしているのですか」、と聞くので、「マヒした足で漕いでいるのです」と話すと、「頑張ってください」と励ましてくれました。療法士は私のような患者は始めてだと話していました。

入院中は医師・療法士の作ったプログラムに従って様々なリハビリが行われますが、自宅では自己流の偏ったリハビリになりがちです。足(足首、股関節、膝、指)、手(肩口、肘、手首、指)などマヒした側をまんべんなく動かしてみること、さらに、忘れがちですが、体幹部を柔らかくするストレッチなどを常に心がけることが重要と思います。 退院してからのリハビリが重要なことを医師、療法士などの関係者は感じていると思いますが、退院後のリハビリを定期的に指導する制度を検討してもらいたいと思います。 こうしたことで、リハビリの効果を促進することになり、結果として、自立していく人を増やすことに繋がるものと期待しています。



「NHK総合「サキどり↗」の公式ウェブ サイト」

「2012年3月19日放送。特別版!驚きの足こぎ車いす」

http://www.nhk.or.jp/sakidori/backnumber/120319.html


(2012年3月25日 花熟里)
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「梅の花が満開です」

2012年03月22日 16時14分51秒 | 自然
例年よりも遅いですが、近所の梅の花がやっと満開になっています。(3月20日撮影)
寒い日が続いていたので、梅が満開になるのが遅く、桜の季節と一緒になると気がか
りでしたが、やっと満開になりました。























(2012年3月22日  花熟里)
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『ナノハナ(菜の花)』

2012年03月21日 08時58分09秒 | 自然
畑に菜の花が咲いています。 春を感じさせる黄色い花です。 近所の畑では野菜として栽培してあり、花が咲く前に出荷してしまいますので、菜の花がまとまって咲いているのを見かけるのことは少ないです。

















(農家の庭先の直売所で買った菜花)



“アブラナ科アブラナ属の1年草。 原産地は東アジア、南ヨーロッパ。 別名:ハナナ(花菜)、アブラナ(油菜)、ナバナ(菜花)、ナタネ(菜種)・。 アブラナ属の花はどれも黄色で似通っていることから、すべて「菜の花」と呼ばれる。 開花時期は2月~5月初旬。草丈:50~80cm。 花や茎、葉は食用とされ湯掻いておひたし等にする。花からは蜜が採取される。花後に付くサヤ(莢)の中にある実から菜種油が採られる。”

(2012年3月22日 花熟里)
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