日本とインドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づき、日本の看護師・介護師の国家
試験合格を目指して来日しているインドネシア人については、このブログでも2回(2010
年4月14日付け及び2011年3月27日付け)取り上げていますが、去る25日の朝日新聞に、う
れしい記事が掲載されていました。
この記事によると、今年2月の看護師国家試験に合格したスワルティさんが、「少しでも
被災者の力になりたい」として、勤務先の姫路赤十字病院の救護隊8名に同行して、24日
に東日本大震災の被災地である岩手県山田町の避難所(県立山田高校)に向かったとのこ
とです。スワルティさんは、2004年のスマトラ島沖地震で感染症治療に当った経験を生か
したいと被災地への派遣を希望したとのこと。
[朝日新聞:4月25日]
『日本との経済連携協定(EPA)で来日し、看護師の国家試験に合格したインドネシア
人女性のスワルティさん(32)が24日、東日本大震災の被災地に出発した。7年前
のスマトラ沖地震で救護に当たった経験を生かしたいと、勤務先の兵庫県姫路市の病院
に派遣を願い出てかなえられた。
スワルティさんは3年前、EPAに基づく外国人の看護師候補者第1陣として来日し、
今年3月、3度目の挑戦で合格した。
来日前はジャカルタで看護師として5年8カ月勤務した。2004年のスマトラ沖地震
ではスマトラ島のバンダアチェに入り、感染症を防ぐ処置や骨折患者の治療などに携わ
った経験があった。
今回の震災では、母国と似た惨状がテレビに映し出された。「少しでも被災者の力にな
りたい」と、勤務先の姫路赤十字病院の看護師長に頼み込み、同病院の救護隊に同行し
て岩手県山田町の県立山田高校の避難所で活動することになった。
まだ看護師の免許状が交付されていないため、診療補助や被災者の話し相手になって寄
り添う。来日中の看護師候補者たちも、21日に東京に集まった機会を利用して被災者
に届けるメッセージを画用紙に書き、スワルティさんに託した。
スワルティさんは日本語で「努力すれば、きっといいことがある。皆さんは一人じゃな
い、一緒に頑張りましょうと伝えたい」と語った。]
(被災者を励ますメッセージボードを披露するスワルティさん
=24日午前9時35分、兵庫県姫路市の姫路赤十字病院)
(出発前に同僚の看護師と握手するスワルティさん(左)
=24日午前9時40分、兵庫県姫路市の姫路赤十字病院)
インドネシアでは、EPAに基づき今年日本に派遣される予定のインドネシア人看護師候
補者と介護師候補者104名の代表3人が、首都ジャカルタの日本大使公邸を訪れて、東日
本大震災の被災者への義捐金1530万ルピア(約14万円)を 塩尻大使に渡したとい
うことです。
在ジャカルタ日本大使館によると、3人は、「2004年のスマトラ沖地震でアチェ州が津
波に襲われた際に日本に助けても らった。日本は今、大変な状況だが、一刻も早く行
って日本の人々を助けたい」と語っているそうです。 今年はインドネシアから、看護
師候補者47名、介護師候補者57名が、6月末まで日本語研修を受けた後に、来日する
予定です。
(注)インドネシア・ルピアのレートは、1円=105.93ルピア、1us$=8650ルピア
(4月25日現在)で、ドル・ルピアのレートは私が駐在していた頃とあまり変わ
っていません。日用品の物価は日本の1/10と言う感覚でしたので、1530万ルピ
アと言うのは、インドネシア人にとって、大変な金額になります。
福島原発事故で多くの外国人が日本から去っていき、また、日本に来たがらない、日本
で働きたがらないという状況の中で、来日を目前にしてお金が必要な時に、多額の義捐
金を拠出し、しかも、1日も早く日本に行き被災者の役に立ちたいと言う、温かい思いや
り(心遣い)が嬉しく、涙が出そうです。
2008年インドネシア人看護師・介護師の受け入れを開始しましたが、日本国内で大きな
反対がありました。国家試験も外国人には難関な「カンジ(漢字)」が出されています。
ことしの試験では多少改められたようですが、日本看護師協会をはじめ、既得権が侵さ
れることを恐れる多くの団体が、まだまだ強力な反対をしています。
しかし、今の日本、とりわけ、被災地の人々にとって必要なことは、インドネシア人の
持つ「天真爛漫な明るさ、温かさ、人懐こさ」 なのではないでしょうか?
このことは、インドネシアに駐在した人ならばだれでも感じていることだと思います。
それに、今の日本、しかも被災地で働きたい、と言う外国人がインドネアシア人以外に
いるでしょういか? インドネシア人看護師・介護師受け入れにかたくなに反対して
いる方々に、猛反省を促したいと思います。
(2011年4月26日 ☆きらきら星☆)