花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「ナンテン(南天)の実(白・赤)」

2013年12月30日 12時19分08秒 | 自然
ナンテン(南天)の赤い実を見かけます。今年は、ズッサリと付いた白い実を見ることができました。非常にラッキー。


















“メギ科ナンテン属の常緑低木。中国原産。日本には古くに渡来し、野生化し
西日本、四国、九州に自生。高さは2m~5m。 幹の先端にだけ葉が集まって付く。花期:初夏。 花色:白。実:晩秋から初冬にかけて赤色の小さな果実をつける。白い実を付けるシロミナンテン、葉が糸の様に細くなるキンシナンテン、樹高が低くやや丸みのある葉を付けるオタフクナンテンなどがある。 かつて、厠の外にナンテンが植えられていたが、「南天手水」といわれ、南天の葉で手を清めていた。他の理由は、丈夫であったために、杖代わりに、「南天の木につかまる」(難を転ずる)こと。“



(2013年12月30日 花熟里)
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「半身麻痺での生活― 2013」

2013年12月28日 12時27分04秒 | リハビリ・健康管理
今年もあと3日になりました。左半身麻痺の体の状態を記します。

脳出血の後遺症で左半身麻痺になり5年間経過しました。 この間、半身麻痺は体の部位により差があるものの、全体としてはそれなりに改善があったと思っています。
足の装具は発症3年目ではずしましたが、杖は今でも使っています。 というより、杖なしでは転倒のおそれがあり、杖は必須です。

退院以来、健手に杖を持ってきましたが、あるとき、スーパーなどでの買い物袋を持つ必要から、麻痺手で杖を持ち、荷物を健手に持ってみました。 麻痺手の動きは最初はぎこちなく、歩き方も「よろよろ」としていたのですが、その後も散歩のときに同様に麻痺手で杖を使っていたら、慣れてくるに従い、杖を健手で持っているのと変わらない歩き方になりました。 麻痺した足が不安定で、バランスを崩して麻痺側によろめくことが多いので、麻痺手に杖があると、バランスを保ちやすいのです。 また、荷物も持てますので、一石二鳥です。
麻痺手は杖に添えるだけで、体重をかけることはありませんので、歩く姿勢もよくなります。 半身麻痺の方で、麻痺手で杖がつかめるようであれば、一度麻痺手で杖を持って歩行練習をしてみたらよいのではないでしょうか。 麻痺した部位(手・足・体幹など)をできる限り動かすのが、最良のリハビリだと信じています。 足こぎ車椅子然りです。

今年は6月末に麻痺した足指を骨折し、50日弱入院してしまいました。20時過ぎ外出先のホテルで着替えるときに体のバランスを崩して転倒したときに足を捻ったのが骨折の原因です。 まず、近くの整形外科に行き、骨折と診断されました。松葉杖での通院で済ませるつもりでしたが、家の中でもまったく移動ができないので、5年前に入院していた病院に入院したものです。 一般の方が骨折して松葉杖を使うのとは異なり、半身麻痺の体で松葉杖を使うことは至難の技ということをいやというほど体験しました。 

<リハビリ>
回復期リハビリ病院を退院以来、朝夕の自宅でのリハビリを続けています。 毎朝起きてから40分~50分、夜寝る前に20分~30分程度のストレッチと柔軟体操が主で、最近、今年入院中に教わった体幹部を鍛えるリハビリを新たに取り入れました。 それと、近所の1時間半~2時間の散歩(農家の直売所での野菜の購入、目にする花々や風景の写真撮影なども兼ねています)、 10日~14日に1回のハリ治療も続けています。 

<体全体の状態>
骨折で入院したため低下した体力・衰えた筋力の回復に時間がかかりました。 体のバランスのとり方が難しくなり、歩き方もぎこちなくなりました。 一時的に麻痺も強くなったように感じましたが、おそらく、体力低下によるものであり、体力回復に伴い、麻痺は従来の状態になりました。 しかし、筋力が以前に回復したにもかかわらず、体のバランスを取ることが難しくなりました。 
昨年までは、寒さが厳しいと麻痺している左足が強く硬直し、ギコチナイ歩き方をしていましたし、麻痺している側の首筋や肩も硬直がきつくなり、つらい思いをしていましたが、今年は今までのところ、麻痺側の硬直もたいしたことがありません。 麻痺が改善してきている証拠でしょうか。 それとも、寒さに慣れてきたということでしょうか。
骨折後、新たな試みとして、近所の音楽に心得のある方に腹式呼吸方法で声を出すことを教わっています。 腹から声を出すと気持ちが前向きになり、また、気分転換にもなります。

<・麻痺・運動機能>
・手足の動く機能は変化なし。
・顔面の麻痺はかなり改善しているが、他の部位は退院時とあまり変わっていない。  
 6月末に骨折で入院した影響からか、骨折が完治しても体幹部のバランスが依然として 悪い。

<痙攣>
・発症して以来、現在も麻痺足が時々『痙攣』するが、頻度はかなり少なくなった。 過 去、医師から症状がきついようであれば“抗てんかん薬”利用の示唆もあったが、利用 せずに現在に至っている。

<感覚異常>
・手足が “冷たさや熱さ“ などを過剰に感じる『感覚異常』は、昨年に比べて若干改
 善した(弱くなったと)と感じている。
・肩、腕、体幹部の『痺れ』は変化ない。肩から肩甲骨周辺にかけての痺れが相変わ
 らず強い。 
・顔面の『疼痛』は変化なし。即ち、顔面から首筋に “虫が這っているような“ 嫌な 感覚が常にある。ただし、5年前の発症後、手足にあった同様な疼痛感覚は幸いにも昨 年の時点で解消している。

リハビリを行うときに心掛けていることは、(1)毎日、短時間でも行う、(2)ストレッチや柔軟体操は動きを大きく、ゆっくりと行う、(3)体の動かし方に時々変化を加えて見るー→今年は入院時に教わった体幹部強化の動きを追加。(4)体の動き等で疑問に思うことは医師の2ヶ月毎の診察時に確認する、などです。
マヒしていても動かし続けていけば、健常者のようにはならないまでも、少しずづ改善していくと信じ、これからもリハビリに工夫を加えていきたいと思っています。


【2013年12月29日  花熟里】


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『フレンチ・マリーゴールド』

2013年12月27日 11時15分26秒 | 自然
民家の軒下に『フレンチ・マリーゴールド』の黄色い花が咲いています。









“キク科タゲテス属の一年草。別名:センジュギク(千寿菊)、孔雀草。原産地:メキシコ。パリに導入されて後広がったので、フレンチの名が付いた。日本には江戸時代前半に渡来。栽培も容易で、花壇の定番品目ともいえるポピュラーな花。開花期:7月~12月。茎先に花径5cm位の花を1個つける。花色:黄,オレンジ,白,赤,複色など。一重、八重、カーネーション咲き、クラウン咲きなどあり。草丈:20cm~50mほど。葉:切れ込みが深く、鳥の羽のような形。 土壌中のセンチュウ(ネマトーダ)を殺す作用がある。 仲間タゲテス属には50種ほどがあり、宿根類では、柑橘系の強い香りのある 「レモン・マリーゴールド」、甘い香りで切り花にも利用される 「ミント・マリーゴールド」がある。”

(2013年12月27日  花熟里)



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「NHK・Eテレ「ららら♪クラシック・ベートーベン第九の薀蓄」

2013年12月25日 14時42分42秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
NHK・Eテレ「ららら♪クラシック」では、“どこかで耳にしたあのクラシックを あなたのものに”というキャッチフレーズで、作曲家の加羽沢美濃氏と作家の石田衣良氏がクラシックをわかりやすく解説してくれます。
12月14日放送では、『たどりついた“よろこび”』と題し、ベートーベンの「第九」が取り上げられ、「第九」の音楽的な解説に加え、日本でいつから年末に歌われるようになったかなど、一般的な薀蓄などが説明されました。

毎年12月になると、日本中で「第九」の合唱コンサートが必ず開かれ、大晦日には、TVで放映れます。私の親族にも長年「第九」の合唱に参加している人がいます。 若いころは夫の転勤先の合唱団に参加して、また、転勤がなくなった現在は故郷の合唱団で毎年「第九」を歌っています。

年末にベートーベン第九が大勢で歌われるようになった由来を、「ららら♪クラシック」の中で次のように解説しています。
『若男女問わずアマチュアが合唱する参加型「第九」。そのはじまりは太平洋戦争のときに遡ります。戦地に赴く学生たちの壮行会で自主的に「第9」が演奏されたのです。彼らにとって「第九」は戦時下を生き抜くための音楽だったのでしょう。戦後復興とともに、大都市を中心に「第九」演奏会が行われはじめますが、演奏会の数は多くはありません。それなら自分たちで歌おう!と大勢の人々が集まり、東京で大規模な参加型「第九」が実現。それをきっかけに市民合唱団の「第九」を歌う会が次々誕生しました。よろこびとともに「第九」を歌える、そんな時代になったのです。』

日本でベートーベンの「第九」が演奏されたのは、徳島県にあった板東俘虜収容所のドイツ人捕虜による「ドイツ帝国青島沿岸砲兵隊オーケストラ(ハンゼン軍楽隊長ら45人編成)」が、大正7年(1918年)6月1日に収容所内で、80人の合唱団の出演を得て、「第九」を第一楽章から第四楽章まで全曲演奏したのが初演とされています。 このことは、平成18年(2006年)上映の映画 『バルトの楽園)』(監督:出目昌伸) で取り上げられました。

日本にドイツ人捕虜がいた訳は、大正3年(1914年)7月に第一次世界大戦が勃発、日本はイギリスとの日英同盟を結んでおり、英国の要請に基づいて8月にドイツに宣戦布告して、中国の青島にあったドイツ軍の要塞を陥落させましたが、日本軍に降伏したドイツ軍捕虜4715名のうち、953名を徳島にある坂東俘虜収容所に約2年10か月間収容しました。この収容所の所長は、会津藩出身の松江豊寿大佐(明治5年(1872年)福島県会津若松市生まれ。最終階級は陸軍少将。後に第9代会津若松市長)で、在任中にドイツ人捕虜を「武士道の情け」で尊敬の念を持って鄭重に接し、また、地元の住民とドイツ人捕虜を交流させたことで知られています。収容所の敷地内には、西洋野菜を栽培する農園や酪農園、ウイスキー蒸留生成工場がなどが作られ、トマトケチャップ、ハム、パン、石鹸なども製造していました。また、日本語教室が開かれたほか、講演会や演劇やスポーツも盛んで、収容所には地元の人々の見学が絶えなかったと言われています。このような雰囲気の中で、オーケストラ・コンサートが34回、月平均1回の割合で開かれ、「第九」も演奏されました。

松江所長の言う「武士の情け」とは、“ヒューマニズムや博愛”という西欧的な精神ではなく、会津藩出身者として幼少時より実感していたこと、即ち、「正々堂々と戦った者への敬意の念や、敗者に対するいたわり」を指すといわれています。
グローバル化した現代においても、単に“英語を話せる人材の育成”だけを目指すのではなく、“日本の伝統を理解でき”さらに“他者の痛みのわかる”人の育成こそが、日本に求められているのだと思います。

<松江所長のドイツ人俘虜たちへの訓示>
「諸子は祖国を遠く離れた孤立無援の青島において、絶望的な状況のなかにありながら、祖国愛に燃え最後まで勇戦敢闘した勇士であった。しかし刀折れ矢尽き果てて日本軍に降ったのである。だが、諸子の愛国の精神と勇気とは敵の軍門に降ってもいささかも損壊されることはない。依然、愛国の勇士である。それゆえをもって、私は諸子の立場に同情を禁じえないのである。願はくば自らの名誉を汚すことなかれ。…」

<収容所の日本人部下への指示>
「所長としての私の俘虜に対する方針を述べておきたい。[武士の情け] これを根幹として俘虜を取り扱いたい。」

<ドイツ人俘虜「ポールクーリー」からの手紙>
『私は、今度の第二次世界大戦にも召集をうけ、運わるくソ連の捕虜となり、1956年に解放されましたが、ソ連のラーゲルで冷酷と非情をいやというほど知らされたとき、私の脳裏に浮かんできたのは、バンドウのことでありました。バンドウにこそ国境を越えた人間同士の真の友愛の灯がともっていたのでした。私は確信をもっていえます。世界のどこにバンドウのようなラーゲルが存在したでしょうか。世界のどこにマツエ大佐のようなラーゲルコマンダーがいたでしょうか。』


なお、板東俘虜収容所の跡地はその後、軍の演習用兵舎や射撃場になり、第二次大戦後は町営住宅になりました。朝鮮半島からの引揚者である高橋俊治・春枝夫妻が住んでいましたが、昭和23年、裏山の藪の中にドイツ兵の墓を見つけた春江は、その後、この墓を清掃などして守り続けました。このことが、徳島新聞で昭和35年10月に報道され、11月に当時の駐日西ドイツ大使であるヴィルヘイム・ハース夫妻がドイツ人の墓参りに板東捕虜収容所跡を訪れ、春枝に謝意を示しました。そして、4年後の昭和39年にドイツから春枝にドイツ連邦共和国荒鷲十字勲章が授与されました。


(2013年12月25日 花熟里)






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『ママさんのゴスペル・コンサート』

2013年12月23日 11時48分25秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
年末には様々なグループのコンサートが開かれますが、地域のママさん・ゴスペルグループの年末コンサートに行ってきました。プログラムによると、指導されている女性の方は市内在住で東京芸大・声楽学科卒業の方で2児の母親、現在も幅広く音楽活動をされている方と紹介されています。今年は9回目の年末コンサートですが、40名ものママさん達が練習の成果を披露してくれました。 週1回の練習だそうですが、皆さんが“プロか”と思うような歌唱力、そして美しいハーモニーで、また、全体の構成がすばらしく、最初から最後まで楽しめるように工夫されたコンサートでした。

指導されている方が「母親が子育てをしながらの練習は大変で、家族の理解、特に夫の協力がなければ続けていけない。今後とも家族皆さんの協力をお願いします。」と話していました。
世の親父族はといえば、定年になってから地域デビューというのがほとんどだだと思いますが、長年続けている趣味を持っている方、中には玄人はだしの趣味を持った親父族も多いと思います。 昔取った杵柄から親父バンドを結成するシニア親父が増えているニュースを目にすることもあります。個人の人生を豊かにするためにも、また、地域に貢献するためにも、地域の人々と趣味を楽しむ時間を作り出す努力をしてもらいたいと思いました。

(曲目―プログラムよりー)
1.In the Sanctuary
2,The Gospel Ship
3,Joshua Fit de Battle ob Jericho  –ジェリコの戦い
4, What a Friend We Have in Jesus-いつくしみ深き
5, Every Time I Feel the Spirit
6, A Gospel Benediction

―Christmas Songs-
7.O Christmas Tree     -もみの木
8.O Come , All Ye Faithful -神の御子は
9.Deck the Halls      ―ひいらぎかざろう
10.The Christmas Songs
11.Joy to the World 

―Disney Songs-
12.Beauty and the Beast ・・・・・「美女と野獣」より
13.A Whole New World・・・・・・「アラジン」より
14.When You Wish Upon a Star-「星に願いを」-・・「ピノキオ」より
15.Zip-A-Dee-Doo-Dah・・・・・・「南部の唄」より
16.Bibbdi-Bobbidi-Boo ・・・・「メンデラ」より
17.Chim Chim Cher-ree・・・・「メリーポピンズ」より
18.Super califragilistic expialidocious・・「メリーポピンズ」より

19.Because of Who You Are
20.Jesus ,Oh What a Wonderful Child
21、You Raise Me Up


(2013年12月23日  花熟里)
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