花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「地元のクラシック音楽鑑賞会」

2014年02月27日 16時29分48秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
地元で定期的に開催されている、クラシック音楽の鑑賞会に行ってみました。約120席のこじんまりとした会場でしたが満席で、近くの席の方の話の様子から、常連の方も多いようでした。 パンフレットによると、この音楽鑑賞会は、「地元にクラシック音楽の芽を育てようと、実力のある若いアーティストを招いて、身近に生の音楽が楽しめる“まちづくり”に挑んでいる。隔月開催。」とあります。 受付、会場案内、その他諸々のことを世話役の方が行っているようで、「今回は60回目にあたり、丁度10年続いたことになる。次回の61回目から11年目に入る。」と話されていました。

中西氏はこの会場は1年ぶりの出演、関塚氏は始めてとのことでした。歌う前に中西氏は軽妙でパーフォマンスたっぷりに曲を解説、関塚氏は丁寧に曲を説明をしましたので、曲の背景も理解でき、楽しく進められました。
クラシックの音楽の世界では、一部の声楽家・演奏家を除いて、特に多くの若手が出演する機会はそんなに多くはないと思われますので、地域づくりの一環として10年間も続けられているこの鑑賞会の存在は、実に意義のあることと思いました。

<世界の名曲、竹久夢二を歌う>
バリトン  :中西勝之氏(東京芸術大学大学院オペラ科終了)
メゾソプラノ:関塚真希氏(東京音楽大学大学院声楽研究科終了)
ピアノ   :御園生瞳氏(フェリス女学院ディプロマコース終了(ピアノ))

<プログラム>
第一部
・ウイーンわが夢の街(ジースチンスキー)        :中西
・大将閣下の名はブンブン ~ オペレッタ「ジェロルスタン大公妃殿下」
               より(オッフェンバック) :中西
・花をたずねて(竹久夢二・詞 / 多 忠亮)        :関塚
・宵待草(竹久夢二・詞 / 多 忠亮)          :関塚
・私は町の何でも屋~オペラ「セヴィリアの理髪師」より(ロッシーニ):中西
・舞台(竹久夢二・詞 / 妹尾幸陽)            :関塚
・母(竹久夢二・詞 / 小松耕輔)             :関塚

みんなで歌おう 早春賦(中田章)             :中西・関塚

・二重唱:恋はやさしい野辺の花よ~オペラッタ「ボッカチオ」より(スッペ)
                            :中西・関塚
・サリーガーデンズ(アイルランド民謡)         :関塚
・アメージンググレイス(伝承歌)            :関塚
・マギー若き日の歌(バターフィールド)         :中西
・劇場(大中恩)                    :中西
・恋する男とその恋人が~歌曲「花輪を捧げよう」より(フィンジー):関塚
・あなたの声に心は開く~オペラ「サムソンとデリラ」(サンサーンス):関塚
・名残りのバラ~オペレッタ「秋の演習」より(シュトルツ) :中西
・見果てぬ夢~ミュージカル「ラ・マンチャの男」より(リー):中西

私が知っている曲目も数曲ありましたが、「マギー若き日の歌(バターフィールド)」は、カントリーの名曲と思っていましたが、演奏会から帰宅後に『二木紘三のうた物語』を読んで、カナダ人のG.W.ジョンソンが作詞し、イギリス人のJ.A.バターフィールドが作曲したもので、カントリー歌手、オペラ歌手、ポピュラー歌手など幅広く歌われ、さらに、ビッグバンドでも演奏されている名曲だと知りました。 日本語詞が堀内敬三というのもこの曲のすばらしさを示しているようです。

~『二木紘三のうた物語』より~  
「When You and I Were Young, Maggie」
作詞:G.W.ジョンソン、作曲:J.A.バターフィールド 日本語詞:堀内敬三

『1864年、ジョンソンは『カエデの葉』(Maple Leaves)という詩集を刊行しました。そのなかに、『When You and I Were Young, Maggie』も収められました。1917年1月2日に亡くなりました。遺言によって、遺体はハミルトンの墓地に埋葬されました。 1937年、地元の歴史家協会によって、ジョンソンの記念碑がハミルトンのロックガーデンに建てられました。『When You and I Were Young, Maggie』は、イギリス生まれの若いミュージシャン、ジェームズ・オースティン・バターフィールドの目にとまり、彼をいたく感動させました。 オースティンは、それに曲をつけ、1866年に発表したところ、たちまち大評判になりました。カナダやアメリカの各地で数え切れないほどの回数演奏されたといいます。  

レコード化は、C.モーガンとF.C.スタンリーが1905年に吹き込んだものが最初。これが発売されるや、この歌は世界に知られ、さまざまなジャンルの歌手によって歌われるようになりました。
オペラ歌手のジョン・マコーマックやエンリコ・カルーソー、 カントリーのフィドリン・ジョン・カースン、 ブルーグラスのスタンリー・ブラザーズやマック・ワイズマン、 ポピュラーのぺリー・コモやヘンリー・バーなどが歌い、インストルメンタルでは、ベニー・グッドマンはじめ、多くの演奏家・ビッグバンドが演奏しています。1983年、アイルランドのデュオ、フォスター&アレンが歌って、全英シングル・チャート27位になったため、この歌をアイルランドの歌と思っている人が多いようです。たしかに、メロディにはアイルランド音楽の特徴が見られます。』

(一)いにしえの春よ マギー
  思い出の路よ
  小川には水車 マギー
  林には小鳥
  紅の花や マギー
  さみどりの空や
  まぶたに浮かぶ マギー
  ありし日の姿
  (*)年は過ぎ今は マギー
     思い出はあせても
     歌おう声低く マギー
     若き日の歌を
(二)山かげの町よ マギー
  思い出の町よ
  安らかな住居 マギー
  うるわしいちまた
  そよ風は渡り マギー
  朝日かげさして
  まぶたに浮かぶ マギー
  ありし日の姿
  (*繰り返す)


『When You and I Were Young, Maggie』  

(一)I wandered today to the hill, Maggie,
  To watch the scene below:
  The creek and the creaking old mill, Maggie,
  As we used to, long ago.
  The green grove is gone from the hill, Maggie,
  Where first the daisies sprung;
  The creaking old mill is still, Maggie,
  Since you and I were young.
   (Chorus:)
  And now we are aged and grey, Maggie,
  And the trials of life nearly done,
  Let us sing of the days that are gone, Maggie,
  When you and I were young.

(二)A city so silent and lone, Maggie,
  Where the young, and the gay, and the best, 
  In polished white mansions of stone, Maggie,
  Have each found a place of rest,
  Is built where the birds used to play, Maggie,
  And join in the songs that we sung;
  For we sang as lovely as they, Maggie,
  When you and I were young.
   (Chorus:)

(三)They say that I'm feeble with age, Maggie,
  My steps are less sprightly than then,
  My face is a well-written page, Maggie,
  And time alone was the pen.
  They say we are aged and grey, Maggie,
  As sprays by the white breakers flung,
  But to me you're as fair as you were, Maggie,
  When you and I were young.
   (Chorus:)


(2014年2月27日  花熟里)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「靖国神社の祭神について」

2014年02月21日 15時22分51秒 | ちょっと気になること
安倍総理の靖国神社参拝(2013年12月26日)について、A級戦犯合祀などを理由に中韓両国が執拗な批判を続けていますし、日本国内でも一部の政党・学者、それに、多くのマスメディアなどで戦犯の合祀に政教分離も絡ませて、「護憲」を旗印にうんざりするような反対運動が連綿と続けられています。 中韓両国がA級戦犯合祀を問題視するのは、反日の口実に過ぎないと思っていますが、気になるのは、アメリカが在日米国大使館の報道官声明として、「米国政府は日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」と発したことです。 「東アジア情勢の微妙な時期にナゼ参拝するのか」という米国政府のメッセージが込められているように思えますが、日本政府内では、総理補佐官のyoutubeでの発言にもあるように、米国こそ同盟国である日本に配慮してほしいとの意見もあるようです。
総理の靖国参拝問題は、いたるところで議論されていますので、ここでは『靖国神社の祭神』について触れたいと思います。

靖国神社の前身である東京招魂社は、明治2年(1869年)に、大村益次郎の発案のもとに明治天皇の命により設立され、鳥羽・伏見の戦より箱館戦争に至るまでの戦死者が合祀されました。
明治8年(1875年)、明治政府は京都東山招魂社や全国各地の招魂社に祀られている「ペリーが来航した嘉永6年(1853年)以来の国事殉難者」を東京招魂社に合祀することを決定しました。 京都東山招魂社や全国各地の招魂社に祀られている祭神を分祀して東京招魂社に合祀したのです。長州の招魂社が圧倒的に多く全国の23%にあたる22社でした。明治26年(1893年)には、大村益次郎の銅像が建立されました。(長州閥のドン・山縣有朋や伊藤博文の決定によるものといわれています。)
この合祀によって、戊辰戦争時の官軍側戦没者のみならず、それより以前の幕末の勤王派の死者(橋本左内、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作など)も祀られることになりました。明治12年(1879年)に靖国神社と改称されます。昭和14年には、各地にある招魂社は「護国神社」と改称されました。

このように、靖国神社は国家(政府)のために戦死した人々(軍人)が祀られますから、戊辰戦争での賊軍となった幕府軍兵士(会津軍・白虎隊、奥羽列藩同盟各藩の兵士、新撰組など)は祀られていません。 禁門の変のときの会津軍戦死者は、孝明天皇の官軍側のという理由で大正4年(1915年)に合祀されますが、会津と一緒に戦った薩摩軍兵士は祀られていません。 
明治新政府で要職を歴任した西郷隆盛(参議:西南戦争、明治22年(1889年)大日本帝国憲法発布に伴う大赦で贈正三位)、前原一誠(参議:秋月の乱、大正5年(1916年)贈従四位)、江藤新平(参議:佐賀の乱、大正5年(1916年)贈正四位)は、いずれも明治新政府への反乱者ですから当然祀ってありません(いずれも後日名誉回復していますが)。 
西郷と並ぶ維新3傑の大久保利通(暗殺)、木戸孝允(病死)、さらに、日清・日露戦争時の司令官であった乃木希典(自刃)、児玉源太郎(病死)、大山巌(病死)、東郷平八郎(病死)は、いずれも戦死でないので祀られていません。安重根に殺害された朝鮮総督(初代総理大臣)の伊藤博文も戦死でないので祀られていません。

このように靖国神社の祭神を見てくると、当初は明治新政府側の戦死者(軍人)を祀るということでしたが、明治8年に嘉永6年以降に対象を広げ、志半ばで斃れた長州を中心とする勤皇の志士を合祀するに至り、実質質的に『長州』の神社(守護神)に変質します。大村益次郎の銅像がこれを象徴しています。
日本国内で、アメリカのアーリントン国立墓地を引き合いに出し、「国家のために命を捧げた方を、生前の地位・身分に関係なく英霊として祀り、残されたものが参拝することは、どの国でもおこなっていること」とする意見が見られますが、靖国神社には旧幕府軍や明治政府への反乱者などは祀られていません。 アーリントン墓地は、北軍・南軍の区別なく戦死者として祭られています。これは決定的な違いです。

また、東郷平八郎など輝かしい軍功のある将軍たちでも戦没者以外は祀られていないことを考えると、第二次大戦後の東京裁判で刑死した7名(東条英機元首相、板垣征四郎元陸軍大将、土肥原賢二元陸軍大将、松井石根元陸軍大将、木村兵太郎元陸軍大将、武藤章元陸軍中将、広田弘毅元首相)、服役中に死亡した5名(小磯国昭元首相、平沼麒一郎元首相、梅津美治郎元陸軍大将、白鳥敏夫元駐伊大使、東郷茂徳元外相)、公判中病死した2名(永野修身元海軍元帥、松岡洋右元外相)の14名が「昭和時代の殉難者(法務死)」として靖国神社に祀られていますが、甚だ疑問です。 

“戦犯”として連合軍により逮捕され、東京裁判にかけられたものの、後日、日本国内的には「名誉回復」しているとの意見がありますが、前述のように“賊軍”の西郷なども名誉回復しているものの靖国へは祀られていません。しかも、「名誉回復」は日本国内でのものであり、「国際連合」が「戦勝国連合」であるように、国際的には、いまだに第二次大戦後の秩序が厳然として貫徹しています。 このような国際的な認識を考えると、日本国内での名誉回復を理由に靖国合祀を当然視することには違和感を覚えます。また、海外の戦地で連合軍に逮捕され処刑された場合はまだしも、日本本土で連合軍に逮捕され処刑された方については、靖国神社の歴史から祭神として祀ることは大きな疑問が残りますし、東郷重徳・広田弘毅・白鳥敏夫、平沼麒一郎、松岡洋右など『文官』は、祀られるべきではないと思います。

靖国神社参拝問題に終止符を打つために英知を絞る時期に来ているように思いますが、「英霊として祀られている」として純粋な気持ちで靖国神社に参拝する方も多いと思いますので、この方々の気持ちを損うことのないような配慮が必要です。 東京招魂社への合祀(分祀)の例をも参考に、祭神の「分祀」、祀られるべきではない方の「遷座」などは本当に不可能なのか否か、専門家や政治家で真剣に検討していただきたいと思います。 これらが不可能であれば、靖国とは別の国家に殉じた方の新たな鎮魂・慰霊の場を設けることを具体的に検討すべきです。 


(2014年2月21日 花熟里)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中韓両国と若者の意識の変化」

2014年02月17日 12時13分54秒 | ちょっと気になること
相変わらず、中国と韓国は領土、慰安婦、靖国などを絡ませ、反日攻撃をエスカレエートさせており、もはや簡単には修復できないような外交関係に陥っているようにも思えます。 両国の日本に対する侮辱的な言動がTVで報道されるたびに辟易しています。
去る10日付けの中国の新聞で、安倍総理がロシアのプーチン大統領訪問時に秋田犬に触っている写真の見出しが、「安倍総理が犬に愛想」というものだそうで、悪意を通り越して滑稽としか言いようがありません。外国の首脳の言動に対する礼節の無さにあきれるばかりです。

『秋田県知事がプーチン氏に贈呈した秋田犬を安倍氏が腰を曲げてなでる写真を掲載し、「(安倍氏が)犬に愛想を示した」などの見出しを付けて伝えた。 中国で「犬」という言葉は侮辱的な意味で使われることもある』  (MSNニュース::2月10日)

">

東京都知事選挙で、航空自衛隊幕僚長経験者の田母神氏が61万票を獲得しましたが、朝日新聞は、「従来の保守層よりも過激な傾向があり、愛国的なネットユーザーたちである“ネット保守”が支持し、20代の24%が田母神氏に投票した」と、お得意のレッテル貼りで批判調で論じています。  中韓両国が日本への批判を強めれば強めるだけ、良心的な日本国民、中でも純粋な若者の心に日本人としての誇りが芽生え、中韓両国への反感が増していくように思えますが、朝日新聞好みの学者・文化人は、「日本人らしい」とか、「日本人としての誇り」という言葉が発せられると、「いつか来た道」と声を張り上げるます。戦後暫くの間もてはやされた『進歩的文化人』という甘い幻想からいつまでも逃れられない人々にも困ったものです。 羽生結弦君のインタビュー会見での純粋な言葉を、彼らはどのような思いで聴いたのでしょうか。

<見事金メダルを獲得した羽生結弦君のインタビューでの発言>
『日本のフィギュアスケート男子シングルで初めて、こうやって金メダルを取ることができて本当にうれしいなと思います。また同時に、日本人として、日本国民として最高の舞台でたくさんの応援をいただいて、その中で最終的には金メダルという素晴らしい評価をいただいたことを誇りに思います。これからも日本国民として恥じない、五輪金メダリストらしい、日本人らしい人間になれるように努力していきたいと思いました。』

<朝日新聞:2月11日「時時刻刻」>
「9日投開票の東京都知事選で、田母神俊雄氏(65)が60万票余りを獲得した。支援者らは、従来の保守層よりも過激な傾向があり、愛国的なネットユーザーたちである「ネット保守」が予想を超える善戦を生んだと沸き立つ。これまで実態が見えなかった新たな保守層が、田母神氏の「基礎票」になって現れた、との見方もある
年齢別では、20代では、田母神氏に投票したのは24%に上り、舛添氏の36%に次いで2位だった。30代でも田母神氏は17%で、細川護熙氏の15%を上回った。男女別では、田母神氏に投票した割合は、男性が女性の1・7倍に上った。」

<MSNニュース:2月11日 「正論」 屋山太郎>
「田母神氏はネット上の人気では8割を占めていたという。元航空幕僚長ながら、慰安婦やら「南京虐殺」やらの虚構を暴いて更迭された。戦後派には抵抗を持つ人が多いが、若い世代は何の偏見も持たない。戦後約70年で2世代が更新されて、3代目の純粋日本人が誕生してきたという思いだ。」


(2014年2月17日 花熟里) 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「作曲家:新垣隆氏と障碍者:佐村河内守氏」

2014年02月14日 15時57分04秒 | ちょっと気になること
ソチ・オリンピックも佳境に入ってきました。 男子フィギュアで羽生結弦君が待望の金を獲得しました。他の日本人のメダルは銀2個 (平野歩夢君:スノーボードハーフパイプ、 渡部暁斗君:ノルディックスキー複合)、銅1個 (平岡卓君:スノーボードハーフパイプ)となっています。 

さて、私は、フィギュアで使用される楽曲にはあまり関心がなく、高橋大輔君がショートプログラム(SP)で使用していた楽曲が、佐村河内守氏の作曲とされていた「ヴァイオリンのためのソナチネ」であるのも全く知りませんでした。 高橋大輔君は、オリンピック直前の佐村河内守氏の突然の騒動に巻き込まれてしまい、精神的に大変動揺したのだろうと思いますし、ケガなどでコンディションが万全でなかったことを考えると、6位入賞はすばらしいことだと思います。

「ヴァイオリンのためのソナチネ」という新垣隆氏の楽曲は、素人的にはなかなかすばらしい曲と思いました。 新垣隆氏が非常勤講師を勤める桐朋学園大学では、8,000人以上の学生・関係者が新垣隆氏の退職反対の署名を行っていると報じられています。学生に慕われるすばらしい教育者であり、音楽家である証でもあります。新垣隆氏には今後とも教育者・作曲家として活躍していただきたいと思います。

私は、今回の騒動が報道された当初、「佐村河内守」を「さむら かわちのかみ」と読んで、変わったペンネームだと思いました。全く知らなかったのです。
佐村河内守氏が被爆2世でしかも全聾であるということと、神がかり的な風貌もあいまって、楽曲自体のすばらしさを超えて佐村河内守氏の評価が一人歩きしてしまったようで、佐村河内守氏を崇めてきたマスメディアや音楽界などの関係者の責任重大です。新垣氏隆氏が告白した後になって、佐村河内氏の耳が聞こえていたと疑っていたなどとTVで話す有名人を見かけますが、絶頂期のときならまだしも、今さらと思ってしまいます。

障碍者にたいして、世間では過剰な配慮をし腫れ物に触るように接します。マスメディアはこの傾向が特に強いように感じます。 あたかも、障碍者側に立つことが「正」且つ「善」であるかのような報道姿勢が目立ちます。 私自身軽度の障害者ですが、弱者であることをことさら強調する障害者を見かけるときがあります。 障碍者自身も反省すべき点があります。 障碍以外は、障碍者といえども普通の人間です。 心正しい人もいれば、心がねじけている人もいます。 障碍で不自由な面は配慮するにしても、障碍以外では一般の人と同様に接するべきと思います。

(2014年2月15日  花熟里)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「雪が積もっている中で神社の例祭」

2014年02月12日 12時23分35秒 | 風物
「道端の神社・仏様 (6)」

畑の中に鎮座している「上組稲荷神社」は、周囲の農家数軒でお守りしているようで、予ねてはお参りする人を見ることはありませんが、昨日(2月11日)、神社の周囲の畑が雪で真っ白になっている中、「正一位 稲荷大明神」と記された幟が立てられ、例祭が行われているのを見かけました。 農家の方5~6名が集まって焚き火で暖をとっていました。










なお、この「上組稲荷神社」は、「道端の神様・仏様(2)」(2010年7月20日)でアップしています。

「道端の神様・仏様 5」(2014年2月3日)
http://blog.goo.ne.jp/kira2bapak

「道端の神様・仏様 4」(2013年11月11日)
http://blog.goo.ne.jp/kira2bapak


「道端の神様・仏様 3」(2010年9月25日)
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=2327f5e8b2b9b546e6bd4addbae55239


「道端の神様・仏様 2」(2010年7月20日)
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=d9ff357a92d01c06ec1d5ca2141015d0


「道端の神様・仏様 1」 (2010年5月5日)
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=55d95112c09783d5f979242860f5f874

(2014年2月12日 花熟里)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする