タクシン前首相を支持する市民(赤シャツ)と軍隊が、バンコク郊外外で衝突し
ていることが報道されています。 アピシット首相は妥協しないと明言していま
すので、タイの騒乱状況の行方はまだまだ不透明のようです。
タイでは数年前までは、政治的に不安定になると、国民から尊崇を受け、敬愛され
ていたブミポン国王が収拾に乗り出し、国王の鶴の一言ですべて収まり、アジアに
おいて政治的安定度No,1の国でしたが、国王が82歳と高齢であること、健康状態が
あまりよくないことなどもあいまって、めったに国民の前に出てくることも無くな
り、国民の精神的な尊崇の念も失って来ているのではないかと思われ、気がかりで
す。 東南アジア全体としてみると、タイの政治的な不安定は、他の国にもなんら
かの影響を及ぼす可能性がありますので、一日も早い収拾を願うばかりです。
私がインドネシアで体験した政変当時の駐在員の感情・思いをメモしていますので、
次に添付します。
(こころの友 インドネシア-6)
「インドネシア政変ーその2」
外国で暮らしてみて始めて日本という国を意識し、日本のすばらしさに気付くことが
多々あります。 世界のどの国でも自国の歴史、民族のすばらしさを小学校の時から
教え込んでいます。自分の生まれた国に愛着が持てないような人が、世界で相手にされ
るでしょうか?
さて、外国に行った場合、パスポートは命の次に大事と言われていますが、「日本の
パスポート」の威力を分っている人は少ないのではないでしょうか。 例えばインド
ネシアのパスポートだったらどうでしょうか? アメリカや欧州での入国はイスラ
ム・テロの関係で極めて厳しい審査を受けなければなりませんし、入国を拒否されか
ねません。また国によってはインドネシア人を不法入国防止の対象としている国も
あります。 現在世界中で日本が何んらかの規制を受けていること国は無いのでは
ないでしょうか? (国交のない国は別です)
我々のインドネシアの会社に最初の3年間はアメリカ人がいました。アメリカの兄弟
会社から出向で来ていたのです。 1998年のインドネシア政変の時、外国人は身
の危険を覚える事態となりました。 このアメリカ人が、私のところに来て、
「アメリカ大使館から国外退避通知があったがどうしたらよいか」と真剣な眼差しで
尋ねました。 私は「日本人はまだ大使館から連絡がないので、このまま留まるが、
君たちはアメリカ大使館の指示に従って、国外退避してもらいたい。 我々日本人と
行動を共にしても、パスポートが違うので手助けをすることは難しいので」と言い
ました。 彼らはその日の夜、軍用空港からアメリカの政府チャーター機でシンガ
ポールに退避しました。 日本大使館から、民間の航空機を利用して自費で国外退避
するようにとの連絡があったのは、それから1週間後のことです。 我々の会社では、
私のほか数名が保安要員としての残り、他は全員日本に帰国させました。
しかし当時政府が日本人緊急脱出に備えて自衛隊の派遣を決定し、ジャカルタ沖に
輸送艦を待機させようとしたところ、憲法違反との野党からの強硬な意見があり、
結局シンガポール沖に待機させることになりました。日本人救出に自衛隊を使うと
いう世論も盛り上がらず、インドネシアに駐在していた日本人は、国家から見捨てら
れたような感じで、残念に思うとともに寂しさを覚えました。 同時に自国民の生命
を守るよりも憲法の解釈のほうが大事という野党には反発を覚えました。 海外で
必死に働いている日本人、特に発展途上国で働く自国民の生命を守ることを国民的
な課題として認識していただきたいと思います。
なお、出国には当然パスポートが必要となりますが、我々の会社では滞在許可証と
就労許可証の切り替えのために、パスポートをインドネシアのイミグレーションに
提出しているものが2-3名いました。手元にパスポートがないのです。日本大使館
(領事館)に相談に行ってみると、同じような状況の日本人であふれていました。
ジャカルタだけで1万人以上の日本人がいるわけですので、かなりの数の人が
各種許可証の切り替えの時期に当たったのではないでしょうか。領事館では特別措置
としてイミグレーションと相談の上、「出国許可証」を発行してくれました。
出国時期はせまっていますし、数が多いので領事館の方々は処理するのに大変だった
ろうと思います。 しかも一人ひとりに丁寧に応対していただきました。これには
大変感謝しました。
手続きが終了して、大使館をでたところで、日本のテレビや新聞社の人が待ち構えて
いました。 「このような治安の悪い状況で大変ですね。何に一番こまっています
か?」などと、大使館関係者への不満を言わせるような誘導質問をしてくるので、
腹が立って、「大使館の方は本当に親切に対応していただきありがたいと思って
います。」とつっけんどんに答えると、サット私を離れて、他の人にインタビュー
しました。
この方のインタビューの様子は日本で放映されたそうです。日本のマスコミの報道を
鵜呑みにするのではなく、斜めに構えて報道内容に接するべきと身をもって体験しま
した。
(平成18年メモ)
(平成22年4月29日記 花熟里)