花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

情報端末と人間の機微な感情の伝達

2011年01月08日 12時34分04秒 | ちょっと気になること

去る12月20日付けの日経新聞に「情報端末から距離を」(月読寺住職 小池 龍之介氏)

という興味深い記事が掲載されました。


あるテレビ番組で、『携帯電話の登録名が700~800人で、携帯を片時も離さず、常にだれ

かと通信していないと不安を感じる』という大学生の実態が報道されました。

その昔、「テレビのくだらない番組が増えることに対して、国民の総白痴化運動が展開さ

れている」と警告したのは、故大宅壮一でした。 テレビの場合は画面に釘付けになり、

脳の思考が一時停止するような状態になったり、流される情報に思慮をめぐらすことな

く、ややもすると鵜呑みにすることが多いように見えます。 要するに、自分の頭(脳)を

使って深く考える力が衰える危険性を見越して大宅壮一は警鐘を鳴らしたのでしょうか。 


私は、毎朝起きたらラジオを聴きながらリハビリ体操をしています。 ラジオの場合は、

聞きながら何かが出来るし、ラジオから流れる情報に対して様々な想像をめぐらすことが

出来ます。 ラジオには根強い人気があるのがうなづけます。 


現在は情報端末があふれています。 会社の仕事もパソコンなしではできなくなりまし

た。 社内情報はすべてパソコンやケータイでの伝達になり、文書・資料もパソコンで作

成します。 漢字は変換で処理できるので、自分で書くことがほとんど無くなり、漢字が

読めても書けなくなりました。 私は、漢字にはそれなりに自身を持っていたのです

が。。。。。。。



各企業・官庁などはホームページを通じて情報を発信するようになり、個人はブログやツ

イッターで様々なことを発信しています。 今では、すっかり有名になった就适、求人・

求職もネット情報が主役になっています。

しかしこれらには、自分からアクセスしなければ情報を入手できません。 逆に言えば、

情報端末を利用しなければ、情報過疎になる恐れがあるともいえます。 

ホームページに掲載してあるとか、ブログに書き込んだとか、発信者の一方的な情報発信

が正当化されるようなケースが多くなりました。 社会的に影響が大きな場合に、特定の

アクセスする人だけが知りうる情報の伝達方法を正当化する現状に疑問を覚えます。



最近、秋葉忠利・広島市長が‘来る3月末で退任する’意向をネット動画投稿サイトの

「you tube」で公表しました。秋葉市長によれば、‘テレビの生出演なら検討する余地が

あるが、新聞やテレビ等での記者会見はしない’とのことです。  

また、小沢一郎・元民主党代表もネット動画サイト「ニコニコ動画」に登場して自説を披

歴しています。 小沢氏曰く、「ネットはありのままの情報を伝達してくれる。」  

今後、政治家などが一方通行の意思表示の場である動画を利用するケースが増えてくるよ

うに思います。

かつて、自由民主党の佐藤栄作・元総理大臣が退任にあたって、記者会見を開かず、一人

でMHK(のみ)のテレビカメラの前で淡々と退任の弁を語っている姿が放送されたのを思

い出します。 この時の理由も、‘マスコミ(特に新聞)を通じると、編集されて、正し

く意思が伝えられない’ということだったと記憶しています。


秋葉市長、小沢元民主党代表が、その進退や考え方を動画サイトだけで表明するのは、一

方通行の意思表示として、新しい動画投稿サイトの活用方法なのかもしれませんが、両氏

ともに社会的に影響の大きい公人であり、パソコンを見た限られた人だけが知りうる情報

提供の仕方には疑問が残ります。 佐藤元首相の場合も、テレビの前で一方的に所感を述

べるだけで終わりました。 .これら3名の方は自分の意思を直接に国民に伝えることが出

来て本望かもしれません。 然し、これに対する意見、質問等を受け付け、回答する場は

ありません。あくまでも一方通行の意思表示です。



現在、インターネットが多くの国民に普及してきていますが、インターネットを利用せ

ず、新聞、テレビ、ラジオ等の従来からのマスメディアだけに頼っている方も多いと思い

ます。 ネットでの意見・所信の表明を否定する気持ちはありませんが、選挙で選ばれて

いる政治家など公的存在の人には、マスメディアの前で退任会見を行い、質疑応答を行う

ことの重要性を是非認識していただきたいと思います。

国民の知る権利とは、一方的に情報を知らされることばかりではなく、知らされた情報に

対する疑問・意見などを述べることも含まれていると思います。



子供も外で友達と遊ぶことも少なく、家の中でテレビゲームに熱中している時間が多くな

っていることは以前から指摘されて来ました。 最近、ネットでの株式売買の模様がよく

報道されますし、ネットショッピングも手軽さからか、利用者が益々増えています。

社会とのつながりがネットだけという、情報端末だけで生活している人が相当な数になっ

ているのではないでしょうか。  人との接触の仕方が苦手な人が多くなってきているこ

と、自己中心的ですぐにカットなる人が多くなって来ているのも、情報端末の普及と関係

があるのかも知れません。 殺漠とした味気ない社会になってきています。



メールを送信した場合には相手が読んでいるかとか、返事が遅いなどと気になって仕方が

ありません。  就适している学生やメル友の登録が700~800人という現代の学生は、ケ

ータイを片時も離さずに、メールの確認をするそうです。 ネット中毒とでも言えそうな

現象が発生しています。



佐良直美氏が、12月26日のテレビ番組で、「動物の命の大切なことは、動物と直接振

れって、しぐさや表情からさざまななことを読み取ることにより体得できる。 人の場合

も、人と人とが直接会って話をすることで、様々な感情が伝わり、判断力が養われること

で、人としての成長が得られる。 パソコンや携帯は文字の世界だけであり、感情が伝わ

らない。 人間がだめになるのではないかと思う。 自分ではパソコンはやらない。」と

話していました。


この主張には共感を覚えます。 時にはパソコンやケータイから離れた時間を作るように

心がけるべきと思っています。


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(2010/12/20付 日本経済新聞)

(インタビュー領空侵犯)情報端末から距離を  人と「つながる」は錯覚      

月読寺住職 小池龍之介


 ――スマートフォン人気に異論をお持ちだとか。

「デジタルツールを通じて人と人がつながるといわれますが、それは錯覚です。ネット

空間の情報の海の中で誰もが共通して強い関心を抱くものがあります。それは『自分の所

在』です。自分が人からどう扱われているか、大事にしたいと思われているか……。すご

く気になるのです。皆から認められたいというのは、誰もが抱く気持ちですが、自分あて

のメッセージが生存に役立つ情報だと錯覚されています」


 ――ツイッターやメールですぐに返事が来ないと、寂しくなりますね。

「ネットで何か発信すると10秒後に答えが返ってきたりします。すると、あ、相手をして

もらえた。つながっているんだな、と感じます。その瞬間は気持ちがいい。ここに大きな

ワナがあります。うれしいと感じる脳内の作用に“慣れ”が生じるからです」    

「返事を早くもらえないと不安になり、不信感や怒りに襲われます。しかも次の反応が来

ても前ほどは気持ちよくない。何か足りない感じがして、もっと速く、もっと多く、とい

う循環に入り込みます」
 

――ネット疲れ、ネット中毒という言葉もあります。

「情報端末から得られるのは、主に記号情報です。会話する相手の顔や声はなく、文字や

アイコンだけです。人間の脳は、記号からイメージをバーチャルに再構成する性質を持っ

ています。言語は抽象度が高い伝達手段なので、受けとる側は情報を変形、加工しなけれ

ばならない。いくらでも連想ゲームを発展させることもできます。その作業を行うとき、

私たちの心はとても疲れるのです」


 ――ネットへの依存が高まると、どうなりますか。

「バーチャルな情報処理量が増え、心の負荷が高まり、心が現実からどんどん離れてしま

います。それでも、ちっぽけな快感を得ていないと安心できなくなり、絶えず情報端末に

アクセスするようになる。一瞬の快楽をもたらす脳内物質のドーパミンは、生物の生存に

役立っていますが、野放しにすると暴走します」


 ――とはいえ情報ツールは買い物などに便利です。

「ネット空間で本当に売られているものは何だと思いますか? 実は『自分』が商品にな

っているのです。誰かに見てもらえる。誰かとつながることが商品になっている。つなが

りが欲しいということは、裏を返せば、みんな寂しいということです。寂しさが商売のネ

タになっているといえるでしょう。情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚

を忘れ、言語だけであれこれ考える“脳内生活”になってしまいます」



<聞き手から>

思い当たるふしがある方は多いのではないか。メールやネットの掲示板は気にし始めると

気になって仕方がない。小池氏の著書や座禅道場の人気の裏側には、自分の心の在りかを

見失ったネット空間の迷子が大勢いるに違いない。高機能の情報端末に人間が振り回され

るのでは困る。寂しがっている場合ではない。(編集委員 太田泰彦)


 こいけ・りゅうのすけ 1978年生まれ。山口県出身。東大教養学部卒。東京・世田谷の

月読寺の住職。瞑想(めいそう)の修行を続ける一方、一般向けに座禅の指導をしてい

る。著書『考えない練習』などが反響を呼んだ。




(2011年1月8日 ☆きらきら星☆)
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