花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「フォレスタの別れの磯千鳥」

2015年04月04日 13時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
月曜日のBS日テレ「こころの歌」(3月30日、昨年11月10日の再放送)で「別れの磯千鳥」が歌われました。 「別れの磯千鳥」は井上ひろしの歌で知られています。 一番を榛葉樹人さん、二番を内海万里子さん、三番は両者のデュエット。また、中安千晶さんと大野隆さんがハーモニーで支えています。 井上ひろしの歌はハワイアン調ですが、フォレスタの歌は軽快なポップス調で、上品に仕上がっています。 榛葉さん・内海さんの歌と中安さん・大野さんのハーモニーの素晴らしさは勿論ですが、曲のアレンジの素晴らしさにも感嘆しました。この絶品のアレンジで奏でる南雲さんのピアノ伴奏に聞き入ってしまいます。間奏の時、画面にアップで映し出される南雲さんの気持ちよさそうな表情がアレンジの素晴らしさを表しています。井上ひろしの歌とともに、フォレスタの「別れの磯千鳥」も大好きな曲になりました。

この歌の成り立ちの詳細は未だに不明のようです。 まず、作曲者のフランシス座波(座波嘉一、ハワイ生れの日系二世)が、昭和15(1940)年に作曲の勉強のためレイモンド服部(服部逸郎)を頼って来日しますが、翌昭和16(1941)年12月、太平洋戦争開戦直前の最後の船でハワイに戻ります(1949年に35歳で死亡)。帰国の際に、この「別れの磯千鳥」の楽譜を持っていたといわれていますので、作曲は1941年(昭和16年)と推測されています。 第二次大戦中、イタリア戦線に出兵した日系アメリカ人部隊(第442部隊)の兵士の間でよく歌われ、戦後もハワイ日系二世の間でよく歌われた、という記録があります。昭和27年(1952年)、近江俊郎がハワイ公演した時に持ち帰り、日本でレコーディングして知られるようになりました。
作詞者の副山たか子は、フランシス座波が日本に滞在した時のガールフレンド(?)で、フランシス座波との別れの気持ちを詩にしたもので、フランシス座波が帰国の船の中で曲をつけたとも言われています。 井上ひろしが、昭和53年(1961年)にリバイバルヒットさせ、この年の 第12回のNHK紅白で「別れの磯千鳥」を歌っています。


「別れの磯千鳥」
作詞:副山たか子
作曲:フランシス座波
唄 :近江俊郎(昭和27年)、井上ひろし(昭和53年)

(一)
逢うが別れの始めとは
知らぬ私じゃないけれど
切なく残るこの想い
知っているのは 磯千鳥

(ニ)
泣いてくれるな そよ風よ
望み抱いたあの人に
晴れの笑顔がなぜ哀し
沖のかもめの 涙声 

(三)
希望の船よ銅鑼の音に
いとしあなたの面影を
はるか彼方に消えてゆく
青い空には 黒けむり



(2015年4月4日 花熟里)

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