J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

九州「伊万里の里・長崎・雲仙」編アーカイブ・シリーズ(No9)

2018年10月06日 | アーカイブ集
アーカイブ・シリーズNo9は九州の旅となりました。2008年2月28日福岡空港でレンタカーを借りてから西九州自動車道・国道202号線に入る。この日「伊万里」へ行き伊万里の窯元などを見て回り、その後内陸の「武雄温泉」に宿泊します。
タイトル写真は翌日長崎に行き「グラバー邸」に行く時「スカイロード」と云うエレベーターに乗り、そこから長崎の街を撮した物です。長崎は坂の街「スカイロード」も坂を上がるための無料のエレベーターです。




この日は「唐津」へ「呼子」へ行くために「虹ノ松原」を通ります。数キロに渡り防風林の松原に沿った道を走ります。



「呼子」で昼食にします。店内に生け簀が張り巡らされ、そこにテーブル席が有る、といった感じの店で早速「イカ刺し」の食事にします。透き通ったイカ刺しは絶品でテーブルに来た時はまだ動いていました。イカには申し訳ないがおいしく食べました。アーメン!


  


昼食の後次に「伊万里」の里へ行きます。写真はそこの入り口の案内板が伊万里焼で作られていた物を撮った物です。


伊万里の中心街で沢山の工房が集中しています。伊万里焼と有田焼は同義語として扱われ伊万里焼の名称は「伊万里港」から船積みされた事から「伊万里焼」と云う名称になったとの事。


伊万里は旧鍋島藩の財政を賄う目的から伊万里焼の技法を門外不出の秘密にし、その為に険しい山岳地帯に囲まれた地域に限定し、出入りが厳しく制限されていたようだ。



「武雄温泉」に宿泊し、翌日は長崎を訪問する。写真は「長崎原爆資料館」入り口の写真。


「長崎原爆資料館」から長崎市の中心部方面を撮った物。



「長崎原爆資料館」を見た後、原爆投下の爆心地を訪問します。




上の写真は原爆投下の爆心地、写真の大きな柱は「浦上天主堂」の門柱で被爆した物を移築した物です。表面がいくらか溶けているのが判ります。奥に見える黒い御影石の建造物が爆心地の印です。


長崎平和公園内に「平和の泉」奥に有る「平和のブロンズ像」この写真は有名です。


再建された「浦上天主堂」正門。中も見学出来ます。



「浦上天主堂」前に建っているこの石像、左の石像は頭部が有りません、原爆の爆風で飛ばされ見つからなかったそうです。


  
「長崎・グラバー邸」  2008年04月03日



長崎市内は路面電車網が健在なので市電に乗り「グラバー邸」へ行きます。市電を降り写真の「スカイロード」(傾斜エレベーター・無料)に乗ります。


「スカイロード」を降りると長崎の街が見渡せます。長崎は坂の街、丘の斜面にへばり付く様に住宅街が広がります。タイトルと同じ写真です。



上の写真左手の方に長崎湾の入り江を挟み「三菱長崎造船所」が有り、自衛隊イージス艦「あしがら」が停泊していました。この時2日前に千葉県銚子沖で自衛隊イージス艦「あたご」と漁船が衝突、世間が大騒ぎでした。二枚とも「グラバー邸」から。


大浦天主堂




長崎の街を歩き回ります。上の写真は「オランダ坂」。下の写真は歴史文化博物館での長崎くんち「蛇踊り」の竜


今夜の宿泊はこの眼鏡橋の近くでした。



翌朝さらに長崎の街を巡ります。写真は「円山町」の交番。昔この一帯は遊郭で、今も飲み屋などが集まり歓楽街で交番も観光客を意識した粋な作りのようです。


「思案橋」と名前が有りますが今は川の流れは無く暗渠になっているそうです。歌謡曲の「思案橋ブルース」の題名になった所なので是非とも行ってみたかった所です。


この日は「雲仙」へ向かいます。その途中に寄った「千々石」(ちじわ)の岳棚田。此所は棚田百選に選ばれていて展望台も用意されている。


雲仙地獄にも寄ります。この日は「雲仙」に宿泊します。




翌朝は普賢岳周辺を見て回ります。写真は普賢岳と溶岩ドーム。溶岩ドームが崩壊して大火砕流となり四十数名の犠牲者が出た。この時も土石流防止の工事を行っていました。


写真は点線の部分が元の普賢岳の山頂部分、その噴火後が実線部分で溶岩ドームがかなり発達した。


雲仙普賢岳災害記念館にて。土石流と火砕流の被害に遭った家屋が残されている。



次に諫早湾干拓地、大村湾等をドライブで巡りその後レンタカーを返却。長崎空港から帰路に着きます。写真は途中に有った「玖島城跡」(くしまじょう)の 案内板、此所は城壁が有るだけで見るべき物があまりなく休憩した程度でした。

この後長崎空港で夕食を摂り長崎空港19時の出発便で帰路に着きました。
それにしても夜と雨の日の飛行機旅ほど面白味の無い物は無い。

埼玉県「日高市」高麗「巾着田(きんちゃくだ)」編アーカイブ・シリーズ(No8)

2018年09月27日 | アーカイブ集
季節柄丁度見頃と成った「ヒガンバナ」2008年9月25日にBlog記事にしていました。アーカイブ・シリーズ(No8)として写真を載せます。

埼玉県「日高市」高麗にある巾着田へ行った時の記録です。巾着田は「高麗川」が蛇行して丁度巾着袋の様に中州状成った所にあります。近くには「日和田山」がありハイキングコースに丁度良いのですが、まだ登った事はありません。
タイトル写真は白い彼岸花偶然背景が黒く写り花の白さが際立ってお気に入りの写真と成りました。

「巾着田(きんちゃくだ)」2008年09月25日


ヒガンバナは圧倒的に赤系が多い。しかし同じ赤でも個体差があり微妙に色合いが異なる。また撮影の際光りの当たり方でも発色が違ってくるのでおもしろい。



とにかく花の数は圧倒的に多く、迫力がある。シーズン中なので人も沢山いますが、それ程気にならない。


鮮やかな赤系



数は少ない物のタイトルと同じ白系も有りました






赤系の色が微妙に異なります。



巾着田、高麗川の河原で持参した昼食を採り休憩した後、隣のコスモス畑に行きます。


すぐそばに「日和田山」がそびえています。



黄色系のコスモスは見当たらず赤系と白系のコスモスがほとんどでした。






2008年9月時点では巾着田のヒガンバナを観た後、隣にコスモス畑が見頃でしたが現在の詳細は下記のアドレスで確認して下さい

日高「巾着田」花情報・花ごよみ ←巾着田HP URL

アーカイブ・シリーズ(No7)「広島県鞆の浦・尾道・厳島神社・山口県岩国」

2018年09月17日 | アーカイブ集
山陽新幹線福山駅に降り立ったのは2007年11月25日14時に近かった。この駅でレンタカーを借り、真っ先に「鞆の浦」(とものうら)へ行く。この日の宿泊場所でもある。

タイトル写真は「厳島神社回廊」。
この時間は丁度満潮の時間らしく、回廊の床近くまで潮が上がっていました。

この時の旅のBlog記事は6回シリーズに分けて6枚の写真をタイトルとしました。この時の写真の枚数は100枚以上ありますので、その中から記憶に残る写真を選んで、アーカイブ・シリーズBlog記事を綴って行きます。




このシリーズからカメラが変わりNikon-D-80に成ります。それまでのアーカイブ・シリーズに使用したカメラはNikon-E-5700です。
写真は新幹線「福山駅」秋も深くなり日が陰ってきています。


「鞆の浦港」ほんの小さな漁港と云った感じで、街自体も小さく山の際にへばり付くような町並みで江戸時代(1690年)朝鮮通信使が逗留したとは思えない静かな佇まいでした。


この案内地図を見ると狭い地域で1時間ほどで自転車で廻ってしまいました。



写真は参道から眺める「沼名前神社」(ぬなくま)本殿



神社境内に祭ってある、各神々の祠



写真は鞆の浦港外れから眺めた「弁天島」、ここは広島県福山市鞆町、新幹線「福山駅」から車で30分 程の所にある、小さな港町だがその昔は可成りの賑わいが在っ た様だ。


港から小さな半島を東に回り込むと2007年11月29日「鞆の浦」のBlog記事に有るように海岸山千手院福禅寺(平安時代天暦年間950年頃創建された真言宗のお寺で、その本堂に隣接して「対潮楼」がある。江戸時代(1690年)「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されている。写真は「対潮楼」から見える「弁天島」


昔懐かしいボンネットバス。観光用に運行しているようです。




翌日は又内陸へ向かい今度は「尾道」へ行きます。JR尾道駅から国道2号線に沿って在来線山陽本線が平行に走っているので、国道を歩くのも良し、尾道商店街を歩くのも良し1キロ程歩くと、千光寺公園へ行くロープウェーの乗り場に着く。写真は「尾道千光寺」へ上がるケーブルカーです。階段をあがると大変だし時間も掛かるのでケーブルカーを使います。


尾道の街と対岸の向島の町並み、写真には写っていませんが左手奥の方には「しまなみ海道」の橋が見えます。


「千光寺」本堂



「千光寺」は岩山の上に作られていますので巨岩の道を歩き、帰路は歩いて「文学のこみち」坂と階段を下ります。写真はその途中からの景色でしまなみ海道が見えます。


写真は「天寧寺」重要文化財で室町時代(1388年建立)三重の塔



「千光寺」を出て今度は「尾道」の町中を歩きます。写真は「山陽本線」を挟んで山側に傾斜している町並み、と云っても実際はお寺がほとんど、住宅街は海と山の間のほんの狭い地域に集中しています。なぜか寅さんの映画のシーンと共にこの景色が何時までも心に残っています。


尾道のアーケード街。この辺りは柑橘類の産地でもあり、ミカン等がとても安くおいしかった。
しかしバブル崩壊後日本経済は落ち込んだまんま回復せずどこの地方都市も同じような感じで人が少ない!



尾道商店街で「尾道ラーメン」を食べた後、次に広島市の中心部へ向かいます。写真は「広島平和公園」、此所の「平和橋」のたもとのホテルに宿泊します。


広島平和記念公園と云えば原爆ドームが真っ先に思い浮かぶ。 しかし場所も写真も余りにも有名な為、今更素人が解説する迄も無いと思います。


広島原爆ドーム。平和公園は「太田川と元安川」が分岐する「相生橋」の所から下流に向けて、中州になっています。その「相生橋」の袂に原爆ドームが有ります。写真はモノクロ仕上げ。


写真は翌朝ホテルの窓越しから「元安川」上流方向を眺めた所です。写真では小さくて判りませんが中程に原爆ドームが見えます。



朝一番で広島から国道2号線を南下し宮島口からフェリーに乗り「安芸の宮島」へ向かいます。写真はフェリーから撮った物です。

厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島」とも云われ日本三景 の一つ。日本全国に約500社ある厳島神社の 総本社と成っている。


フェリーを下り観光みやげ屋街を抜けます。島の縁に沿って歩くと野生の鹿が近寄ってきます。安芸の宮島は神社仏閣が沢山有りますが、代表的な「厳島神社」から見て回ります。
写真の様に各建物が回廊で繋がれていますのでこの回廊を巡ります。


上の写真は回廊から本殿を撮った物です。この写真は本殿前から海側の拝殿を撮ったもの。


大鳥居



能舞台



西回廊



安芸の宮島は神社仏閣が沢山有り山の斜面にへばり付くように建てられています。


ロープウェーに乗るために「紅葉谷駅」まで公園内を歩いて行きます。紅葉が真っ盛り曇り空にも関わらず鮮やかな色合いです。


ロープウェーからの景色、紅葉の盛りですが曇り空の為全体の発色が今一。



ロープウェー終点「獅子岩駅」で降りますが、あいにくの空模様なので遠く瀬戸内の景色を見る事は出来ず。この時は「弥山」(標高535m)の山頂を眺めてから又ロープウェーで降りた記憶があります。写真は帰りの道で撮った物です。



次に「千畳閣」を見学します。写真は「千畳閣」内部。
安芸の宮島「千畳閣」豊国神社(厳島神社末社)の本殿となっていて。豊臣秀吉と加藤清正が祀られている。


写真は2008年02月10日Blog記事タイトルに使用した物ですが。モノクロ仕上げにしました。


次に「五重塔」に行きます。いずれも国の重要文化財と成っています。高さ27.6m応永14年(1407年)建立、その他にも沢山の見所がありました。



次に岩国市へ行きます。写真の錦帯橋へ到着したのは午後4時近く。この日は錦帯橋の袂のホテルへ宿泊します。


写真は小高い所にそびえる「岩国城」、慶長13年(1608年)初代藩主吉川広家が築城、 現在の城は昭和37年に再建されたもの。この日はすでに夕方になり「錦帯橋」を渡り山城の麓の「吉香公園」を散策します。



錦帯橋橋桁の芸術的な木組み



写真は翌朝ホテルから撮った「錦帯橋」です。川の向こうに広がる家並みは、昔武家地だったようです。この日岩国から再び「広島」に戻り「広島城」を見学してから帰路に着きます。


写真は「広島城」。城を見学する前に広島名物「お好み焼き」で昼食にします。



「広島城」内堀越しからの景色。
これで今回の旅は終了。広島から新幹線で帰ります。

最後までご覧頂きありがとうございます。もう少しアーカイブ・シリーズは続きます。これからも宜しくご愛読いただけるとうれしいです。















アーカイブ・シリーズ(No6)「北海道・函館・中富良野」編

2018年09月13日 | アーカイブ集
タイトル写真は「トラピスチヌ修道院」からの景色。函館山が見える。ツアーの旅で羽田から飛行機で行く。一番最初に訪れたのは「トラピスチヌ修道院」。
2007年6月17日。割と遅い時間の飛行機でこの時、窓から撮った下界の写真が無い事から真ん中の席だったらしい。

トラピスチヌ修道院 2007年07月11日


「修道院」




「聖母マリア像」



函館の街を散策します。高台にある「函館ハリストス正教会」から港方面を撮った所です。割と急な坂道で、登りはきつそうです。


赤レンガ倉庫街へ行きます。


「夜景」函館にて 2007年07月08日




この日は函館に宿泊。夕食後夜景観賞で函館山からの夜景を見る。




翌日は「大沼公園」へ、「大沼公園」から見る「北海道駒ヶ岳」(標高1,131m)活動中の火山で現在は標高900m付近までしか行けないようです。


次に「洞爺湖」へ行きます。この写真はホテルのすぐ裏手にそびえる「有珠山」。


「洞爺湖」羊蹄山と中島



カルデラ湖越しに見える「羊蹄山」ズーミング及び画像修正済み




ハマナスがきれいでした。



写真はこの日宿泊したホテル、この時はピアノと云っていた。キロロ(ホテル内部)旧ピアノ


「中富良野町」 2007年07月18日



この日は「旭山動物園」から観光が始まりました。





季節柄「美瑛」の写真で見慣れた景色ではありませんがオフシーズンなのでこんなもんです。


「美瑛町深山峠」より、今となっては正確にわかりませんが「大雪山系」から「十勝岳山系」と思われます。


そして最後に中富良野町の「富田ファーム」へ立ち寄りラベンダーの香りを確かめ帰路に着きます。




アーカイブ・シリーズ(No5)「京都・金閣寺・三十三間堂・竜安寺・他」編

2018年09月08日 | アーカイブ集
2007年1月25日京都錦市場近くの宿に連泊したのですが、この日は金閣寺・三十三間堂・竜安寺・清水寺・八坂神社・祇園等を巡りこの旅を終えます。
前日に引き続き市内路面電車とバスを組み合わせ移動します。バスの一日乗車券を利用します。

タイトル写真は金閣寺「舎利殿」の屋根にある「鳳凰」。朝、真っ先に金閣寺「鹿苑寺」(ろくおんじ)へ行きます。バスを降り参道入り口から長い参道を歩きます。

 
「金閣寺」2007年02月11日 ドライブ・旅行

 


突き当たりに「総門」があり、ここから入り「拝観料」を払います。社務所、庫裡を見ながら「唐門」を潜ると庭園(鏡湖池)(きょうこち)越しに「舎利殿」(金閣)が見えてきます。




「鏡湖池」を中心とする庭園を回り込みます。





出来るだけ人が写らない様に撮影位置を探ります。




鹿苑寺境内を周り小高い位置にある夕佳亭(せっかてい)辺りからの遠景




次に「鹿苑寺境内」を出て隣にある「龍安寺」(りょうあんじ)へ歩いて行きます。写真は「鹿苑寺境内」



「龍安寺」境内。山門から「庫裡」に向かって鏡容池畔に沿い参道が続いている。秋の紅葉が美しい所だがこの時期は写真のように蕾みも堅い。









本来「龍安寺」山門から入れば「鏡容池」がすぐにありますがまず「石庭」から見学してから境内をゆっくり廻る事にしました。



次に「北野天満宮」にたち寄ります。ちょうど骨董市が開かれていましたので。根付けなどを買い求めました。この日は此所で神社仏閣巡りを終わりにして京都市内見学、買い物等で時を過ごす。宿は連泊します。



翌朝。写真は「三十三間堂」本堂(蓮華王院)(南面)。丈六千手観音坐像、1000体の等身大千手観音立像、風神・雷神像、二十八部衆像など多数の国宝、重文の文化財を見て回る。中でも千手観音立像は圧巻でした。無信心のくせに此所で「般若心経」の教本を買い求めました。



「三十三間堂」本堂(南面)上の写真から反対方向




裏側へ廻り(北面)写真右手の廊下が通し矢の「射場」となる




次に「清水寺」へ行く。写真は「仁王門」




写真は本堂の中の「大黒天」?





奥の院へ行き振り返り「本堂」を撮った物




次に八坂神社と「京都祇園」を巡ります。写真は「八坂神社祈祷所」1月末日近くに成ると八坂神社の人混みも無くなり静かでした。





八坂神社を参拝した後、すぐ目の前の四条通り「祇園」の街を散策します。写真をすべてモノクロにしました。
祇園を見学して、京都の旅を終えます。京都駅16:00頃の新幹線で帰路に着きます。















アーカイブ・シリーズ(No4)「京都・曼殊院・詩仙堂・銀閣寺」編

2018年09月03日 | アーカイブ集
アーカイブ・シリーズ第4弾 2007年1月24日京都市内を観光旅行で廻った。冬の京都は比較的観光客が少ない、当時は近頃のように外国人もそれ程多く無くシーズンオフで落ち着いて観光が出来た。京都市内を市電、バスを使い可能な限り回る事にした。

「銀閣寺」総門を入りよく手入れされた参道を歩く。やがてよく手入れされた庭園が見えてくる。
タイトル写真は庭園を回り込むように歩いて池「錦鏡池」(きんきょうち)越しに銀閣寺「観音殿」(銀閣)国宝指定を見た所です。

 

写真は「曼殊院」この寺院は秋の紅葉が有名のようですが冬の今は比較的静かです。




勅使門から建物内に入るとすぐに梅林が現れる、この時期梅の開花には少し早い様です。






各建物をつなぐ廊下伝いに歩くとそれぞれの角度から庭園を見る事が出来る、シーズンに成ると此所も混雑しそうです。静かに見学するにはシーズン外れが良さそうです。





詩仙堂も建物内から庭園などを見る事が出来る。



モノクロにしてみました。



詩仙堂を出て「哲学の道」を歩きます。



そして「銀閣寺」(東山慈照寺)へ。総門をくぐり参道を巡りながら歩く。写真は「観音殿」(銀閣)国宝



銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)




庭園を回り込んで行くと「東求堂」(とうぐどう)が見える。





此所の庭園は結構広い



遠景



庭園を一回りして戻り別の角度から撮る。

この日は此所で神社仏閣の見学を終了。京都錦市場近くにある旅館に行く事にして、錦市場などを巡りました。
翌日は金閣寺・三十三間堂・清水寺・八坂神社・祇園等を巡ります。






   

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

2018年08月30日 | アーカイブ集
2006年3月5日羽田発7時40分発の飛行機に乗り山口県宇部空港に向けてのフライト、この日は天気が良く羽田を飛び立った飛行機は東京湾上空を大きく旋回して相模湾沿いの上空を一路宇部空港に向けて飛行する、羽田の空路は「横田空域」と云って米軍管制空域が壁の様に立ちはだかり自由に飛行出来ず西方面へ行く飛行機の針路を妨げている。その為急上昇で高度を稼がないと成らない。富士山の上空に達する頃には5000m位まで上昇する。

タイトル写真は富士山上空から。飛行機からの写真はいずれも修正をして見やすく調整してあります。

今回の記事は当時、写真の枚数が多い事から10回に分けて記事を連載しています。当時の記事URLにリンクしてありますので当時の記事を参考にしながらご覧頂けると、全体像が判ると思います。

   ①「羽田発 午前7時40分」 2006年03月08日

東京湾上空を西に機首を向けた機内から撮影して行きます。写真は「横浜港」あたりでしょうか? 現在の横浜港と若干違うと思います。飛行機はこれから「三浦半島」上空を通過して行きます。


横浜港を超えると眼下に三浦半島を通過する様子が見えます。この写真は鎌倉由比ヶ浜あたりでしょうか?



タイトル写真と同じですが、飛行機は伊豆半島の上空辺りでしょうか?「大沢崩れ」がよく見えます。





富士山上空あたりから南アルプスの山々がよく見えるように成りました。




写真は宇部空港に待機していた「ツアーバス」このバスに乗って新幹線「新山口駅」へ電車組のツアー客を拾い「津和野」から観光を始めます。



新幹線「新山口駅」



津和野の町を観光した後「松下村塾」へ向かいます。



松陰神社本殿




萩市内の「明倫館」左に少し見えているのが明倫館小学校2006年時点では小学校として使用していた。この写真はバスの車窓から撮った物です。



この写真は確か「木戸孝允」(桂小五郎)が小学生時代(11歳)に書いた「書」です(和田の性を書いている事から8歳かも)。赤い字で先生の添削があります。この「書」を見た時本当にびっくりしました! 学習・教育・才能とは何か、今の教育と何が違うのか?・・・・


萩の町で「木戸孝允」と「高杉晋作」は近所同士でした。



写真は「木戸孝允」の生家



こちらは「高杉晋作」生家





写真は長門市仙崎にある「みすず通り」「金子みすず記念館」近くにあった食堂の壁



写真はタイトルに使用した物と同じですが、「みすずこうぼう」の「もりいいさむ」氏はライブ活動は続けているのだろうか? リンクが切れているので今はどうしているか不明です。



写真は「秋芳洞」内部



秋芳洞の出口付近



秋芳洞の出口






秋芳洞から下関へ行き、そこでツアーの昼食兼自由時間に「下関市立しものせき水族館 海響館」の見学に向かいます。その後船で「門司港」に渡ります。(行程5分ほど)
写真は「門司駅」タイトルに使用した物ですが。此方はモノクロに編集しました。


小雨に煙る門司駅前。下関の町も見学していますがどういう訳か写真がありませんでした。



門司駅の構内。 昔の雰囲気が良く残っている感じです。



此方は待合室 モノクロに編集しました。



門司駅から戻り今度は「赤間神宮」に立ち寄ります。



写真は「赤間神宮」ですが、あいにくの雨であまり写真は撮らずツアーガイドさんに急かされるように「宇部空港」へ戻り宇部空港で夕食を採り午後19時20分発の羽田行きに乗りました。
とにかくこの回ののツアーは忙しくばたばたしながらあっという間に終わった感じです。/face_en/}

アーカイブ・シリーズ(No2)「高ボッチ高原」と「松本城」

2018年08月27日 | アーカイブ集
アーカイブ・シリーズ第二弾となりますが、この所身体の不調で出掛けて写真を撮る事も出来ず、この機会に古い写真をBlog記事に載せる事にしましたが、当時の記憶も曖昧になりがちで、細かいコメントを書く事ができませんがご理解の程宜しくお願いいたします。

「高ボッチ草競馬」 2005年08月11日

このタイトル写真は「高ボッチ高原」草競馬会場センターに建つ飾り付けです。



年に一度の楽しみです。一家そろって応援でしょうか?






草競馬は近くで観戦出来るので迫力満点です。






疾走する馬にまたがる騎手の表情が真剣そのものだったのが印象的でした。




この写真は次の日松本城見学でした。








2006年08月06日この日も暑い日だった事を記憶しています。


アーカイブ・シリーズ(No1)「小淵沢・高森地区」編

2018年08月25日 | アーカイブ集
このBlogを初めて13年程に成りますが当時ブログの使い方も判らず。ようやく写真がアップ出来るように成ったばかりでした。それも一枚位の写真だけ。それが一般的Blogの感じでした。このBlog以前にほかのブログを一年以上続けていましたがgooブログに切り替えました。しかし主体的に記事を載せていたのは某SNSの方でした。

当初の記事は簡単な文章で、写真を載せても一枚だけ、写真を記載する気もあまり無く、簡単な記事でした。
そんな当時のデジカメの写真を掘り起こしたいと思い「アーカイブ集」として、当時記載出来なかった写真を載せてみたいと思います。

何回ものパソコンのアクシデントにも関わらず。無事に記録が残っている写真を検索しながら主な写真を選んで載せてゆきます。当時記載した記事にもインデックスを付けてゆきたいと思います。

    参考記事【しだれ桜】2006年05月04日 | 花を愛でる ←当時の記事

タイトル写真は「高森観音堂」



この写真は当時のBlog記事タイトルに使用した物です。




糸桜系の「しだれ桜」で寿命は長くこの木の樹齢は約250年は超えていそうです。






確かこの観音堂の中には小さな手作りの人形が沢山飾ってありました。
(当時の記事中リンクのなどが切れています)