J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

年の始まりは日本橋七福神廻り

2018年01月05日 | 街歩き
都内各所に「七福神廻り」がありますが今年の初廻りは2018年1月3日日本橋七福神廻りからになりました。某SNSのイベントが行われ参加した物です。
参加者は男女合わせて13人。

 日本橋七福神廻り巡拝地図

  日本橋七福神廻り

日本橋七福神廻りは1km四方位の所にコンパクトに集約されていて居ますので、一通り廻っても時間距離とも大して掛からず歩きやすい。
上の地図は最寄りの駅や各神社に置いてありますので、歩き始めに手に入れると良いと思います。

タイトル写真は。「柳橋」の上から神田川上流を見た所、屋形船が係留され夜になると隅田川から東京湾に掛けて賑やかに船上で宴会が行われるのでしょうか!



日本橋七福神廻りに付いては、沢山のNet情報やBlog記事が有りますので、今回詳しい事は省き簡単な感想に留めます。
此の写真の神社は「七福神廻り」からは外れているので人が全く居ませんでした。同じ「弁財天」なのに・・・・・・「元徳稲荷神社」



此方の写真は「小網神社」(福禄寿)ですが、猛烈な混み具合で、結局私達一行はお参りせずに次の「椙森神社」(すぎのもり)へ行く事になりました。



写真は「小網神社」のお参りに並ぶ人達で200m以上行列していました。




「日本橋七福神廻り」は短時間で廻ってしまったので、此処から「隅田川」へ出て浅草へ向けて歩きます。
写真は神田川に架かる「柳橋」昔は花街の入り口となった所ですが今は当時の面影も無い様です。



柳の木と佃煮屋さん、何となく柳橋の雰囲気を感じさせます。




さて隅田川の河原?(テラス)に出て川沿いに浅草まで歩きます。




写真は「両国橋」鉄橋を渡ると「両国駅」で目の前が国技館、この翌日、日貴の岩の暴力事件に付いての臨時評議委員会が開かれ処分が発表されたようです。(日にちを1日後に訂正)



この日は風が強く体感温度も可成り低く寒い。カモも寒そうに泳いでます・・・・・




この辺りまで来るとスカイツリーが良く見える様に成ります。




やがて見慣れた景色が展開される様になります。




「吾妻橋」で隅田川と別れ、浅草の繁華街へ突入。

この後浅草寺は激混みで、遠くからお参りします。そのあと浅草の中心街から少し離れて13人全員が入れるお店で反省会、2次会まで開催、呑んで食べて今日のシメでした。

この日出発駅「人形町」から「入谷付近」まで。 
 約 6時間
 歩行距離 約9km
 自宅からドアーtoドアー 18,119歩

イベント参加者の皆様お付き合い有り難う御座いました。
読者の皆様もお付き合い有り難う御座いました。 


箱根旧街道を歩く「元箱根から湯元迄」

2017年07月11日 | 街歩き
タイトル写真はバス停元箱根港から旧街道を30分程歩いた所、二つの「二子山」の裾野の縁を緩やかな登りが続く、石畳は湿って所々苔むしていて滑らないように気をつけて歩く。
今回のハイキングは何時もの某SNSのイベント開催に参加し、本格的に箱根旧街道を歩く、男女合わせて5人のパーティーで歩きます。
この日は外気温33度を越す猛暑で天気は良いが暑さで体力的にはきつい感じでした。




写真はバスの終点元箱根港。箱根登山鉄道「箱根湯元」駅9時30分集合、全員揃った所で、駅バス停から元箱根港行きのバスに乗る。芦ノ湖湖畔の「元箱根」から旧街道を歩く場合、始めは登りだが、全般的に下り道となるので楽な道程になる。この終点のバス停から国道1号線を小田原方面へ向けて歩き出す。




5分程歩くと江戸時代の関所を復元した関所を見ながら温泉卵などを食べる、関所跡見学は入場料が掛かるのでスルーする。昔は箱根関所跡は此処とは別の場所に建てられていた。




国道1号線をさらに進む、アスファルトの照り返しが暑い!





やがて7~8分歩くと旧街道杉並木の入り口が見えてきた。ここを右手に入る、杉並木の中はひんやりと涼しい。樹齢何百年かの杉並木が続く。




直径2m程もありそうな杉の並木道で江戸時代に旅人を日差しから守るために植えられたといわれる杉並木だ、この大木の道を数百mほど歩く。




杉並木の間にはガクアジサイなどが咲いていた。この時期他の花木はあまり目立たない。




芦ノ湖畔越しに富士山がかろうじて見えました、夏型の気圧配置なので水蒸気の多い天気で蒸し暑くガスって富士も霞んでいます。




足元には「タマアジサイ」の蕾が開くのを待つように咲いていました。





旧道は一旦国道1号線に出ます。この先は時折旧東海道により旧街道が分断されています。写真は湖畔沿いの道ですが、これから山間部に入って行きます。




元箱根の商店街中心部手前から旧東海道(県道732号線)へ通じる道に入ると、山間部への旧街道入り口が見えてきます。この辺りは国道1号線と旧東海道、町の生活道など道が複雑な感じですが、注意すれば案内表示が在るので大丈夫と思います。




箱根旧街道入り口にあった案内板。
ここから「須雲川」(すくもがわ)近くまでは緩やかな登りが続きます。




程なく街中の道をまたぐ階段が出てきます。階段を向こう側へ降りるといよいよ石畳の登り道になります。




写真のような苔むした石畳の道を緩やかに上って行きます。判りやすい所に石の道標が設置されています。




写真は「権現坂」看板には、小田原から登って来る旅人が難所を通過して初めて一休みするのがこの場所。と言うようなことが書いてあります。




更に5分ほど登ります。近くの「お玉ガ池」へ行く道と交差します。
東京千代田区の「お玉ガ池」と此処の「お玉ガ池」は直接関連はない模様ですが、ただ「お玉」と言う娘の名前が共通で江戸の「お玉」は池に身を投げ、箱根の「お玉」は関所破りで処刑されたとか。




道は「二子山」の裾野を回り込むように次第に下ります。道も石畳が切れて普通の山道の様な所が出てきます。




上の写真から10分程歩くと植林帯が出てきて枝打の最中か立ち入り禁止のロープが張ってありました。




旧道はやがて旧東海道を横切ります。この辺りから旧東海道によって道が所々分断されます。




旧東海道を歩くとアスファルトの照り返しで非常に暑いのですが、旧街道へ入るととても涼しく、時折吹く風が汗を飛ばしてくれる。




「ガクウツギ」もしくは「ノリウツギ」花弁が3つと4つのものが入り混じっているので素人には判別が難しい。




12時でちょうど「甘酒茶屋」に到着、此処は丁度旧東海道と旧街道が接する所で、旧東海道を車で来た人達が沢山いました。ここで昼食にします。写真は参加メンバー記念写真。他のメンバーは此処で甘酒を飲みましたが、私はどうも・・・・




「甘酒茶屋」から5分ほど歩くと再度旧東海道へ出ます。写真は振り向いて撮った所ですが、この先旧東海道の自動車道を歩く事が多くなります。




旧東海道なので車の通行はそれほど多くないのですが日差しと照り返しが暑い!





歩道が切れている所は山側に階段が付けられたりしています。ここを降りたら道を横断して再度旧道に入ります。




写真は旧東海道から旧道に入ると「猿滑り坂」と名の付いた場所を下ります。小田原から登るとここら辺がかなりの難所続きと成るようです。この付近から旧東海道は通称七曲と言われる九十九折の道になり、そこを旧街道は串刺しのような形で道がついています。自動車道が無い時代はかなりの難所なのが想像できます。(2017年7月12日加筆修正)




畑宿へ向けて階段と急坂で標高を急激に下げてゆきます。湯元から逆コースを来る人も結構多い感じでしたが、私達は下るので比較的楽です。




急で長い階段





しばらく旧東海道を歩きます。





途中に在った「もみじイチゴの木」





「もみじイチゴの木」の実を取るメンバー。食べてみたが苦味が多少あるものの非常に甘い。




やがて道は再度旧街道へ入ります。





この辺りはすでに「須雲川」に沿って街道があり「畑宿」も近い。





10分程歩くと「畑宿」に着いた。ここで畑宿寄木会館へ立ち寄り見学します。




集落を貫く旧東海道を100mほど歩くと旧道への入り口が見えてきました。




道は「須雲川」に向けて下ります。





「須雲川」に流れ落ちる支流を渡ります。





再度旧東海道へ出て、須雲川自然遊歩道(一部旧街道)を歩きます。





一部旧街道には江戸時代そのまんまの石畳が部分的に残り、所々に出てきます。




やがて須雲川本流を渡り右岸の道を下ります。写真の右手は発電所のダムになっていて放流時などは上流につり橋がありそこを渉る様になっています。




須雲川に沿って付けられた道は緩やかに下り、やがて旧東海道に出れば、そこは奥湯元の温泉街。もう少しがんばる。ゴールは近い!




写真中央やや右上の「天山湯治郷」(一休)へ行き温泉へ入ります。元箱根から約10kmの道程を歩きました。小田原方面から上る場合はかなり大変なことが判りました。(2017年7月12日加筆修正)

しかしこの辺りの日帰り温泉も料金が高い!1300円も取られた、設備も値段の割りに良くない、シャンプーも無くシャワーも無い洗い場が多い。しかし泉質はよく久しぶりに熱い温泉へ入る事が出来た。ここで湯上りにメンバーのK氏が保冷剤に入れて一日持ち歩いていたビールを頂いた。何とも旨かった!Kさんありがとう!




温泉に入った後、ここから路線バスに乗り出発した「箱根湯本」へ出ます。その後箱根登山鉄道へ乗り「小田原」行きます。用事で早めに帰るM女史を除いて、ここで反省会!写真はビールセットを注文。何時もながらビールが旨い!

参加の皆様ありがとうございました。お疲れ様でした!


横浜港「大さん橋」を行く

2017年03月04日 | 街歩き
タイトル写真は横浜「大さん橋」から見た「みなとみらい21」地区。此の風景写真は様々な所で使用されている様で、見慣れている方も多いかと思います。
夜になると「観覧車」のイルミネーションが目立ち、それはそれで又都会の風景になります。
今回予定では山梨方面へハイキングに出掛ける予定でしたが、前日の雨で登山道がどうなっているか判らないのと山方面は意外と雲が多そうなので予定変更でした。

先週はこの「みなとみらい21」地区パシフィコ横浜で開催された「CP+(シーピープラス)2017」へ行きカメラの最新情報を仕入れてきましたが、今週は予てより行きたいと思っていた「大さん橋」へ出掛けてきました。



今回歩いた横浜港の地図です。青矢印線と黒い文字で書き込みを入れました。
大桟橋や山下埠頭へ行くのはン十年ぶり、スッカリ昔の面影が無くなり、近代的都市と変化して居ました。昔は良く遊びに行っていましたがその当時の面影の変化に寂しさを感じるだけです。当時は地下鉄の「みなとみらい線」も在りませんでしたが今回は「日本大通り駅」を利用しました。




写真は「日本大通り駅」から地上に出て5分ほど歩くと「大さん橋」に着きます。そこから対岸の赤れんが倉庫群の外れに位置する「海上保安庁基地」に停泊中の警備艇。



現在の「大さん橋」は2002年出来たようですが、俗称「くじらのせなか」と云われているようですが、屋上はウッドデッキ仕上げに成って居て階段が無く地下1階、地上2階の建物で上下階に行くにはエレベーターを使うようです。
道路から坂を登るように屋上に行けます。屋上が展望台、送迎デッキとも成って居るようです。



この日丁度左バースに「飛鳥2」が停泊していました。右バースには「らべんだー」が停泊、此の船はフェリーのようです。
両船とも大きい船で「飛鳥2」は5万トン、「らべんだー丸」は1万4千トン余り、その後ろに数百トンクラスの船が停泊していましたが、おもちゃのように見えました。



写真は「赤レンガ倉庫」とみなとみらい。




写真は「くじらのせなか」から「飛鳥2」の勇姿(クリックで拡大)




写真は右バースに停泊中の「らべんだー」後数時間後には出港するようでした。(クリックで拡大)




横浜港出口方面の「ベイブリッジ」




山下埠頭に係留されている「氷川丸」・・・・・・懐かしい。




「飛鳥2」




「飛鳥2」と「みなとみらい」パノラマ写真




色々歩き回り時間となったので、昼食に「大さん橋」の付け根にある立ち食いそば屋さんに入りカレーライスを食べた380円・・・・安いな~。。。。。。
「大さん橋」内にレストランなどもあるが一人で入るのも面白くないし、メニューも高いし
近くにも食事が出来る所も在るが、歩き回るのも疲れた!
そんな訳で、立ち食いそば屋さんも中々良い、案の定混んでいて売り切れが多かった!
付近で仕事をして居る人達の重要な昼食の場だ!
この立ち食いそば屋さんの他に、ビルの奥にもう一軒定食屋さんが在った。




八王子七福神めぐり

2016年01月06日 | 街歩き
タイトル写真は最後に立ち寄った「吉祥天」が有る「吉祥院」からの南側の景色。
小高い丘の上にあり丘全体が「吉祥院」の寺領のような感じでした。普通「吉祥天」は七福神には入りませんが八王子の「八」から八副神とする事と言う事です。
まず、京王線八王子駅へ行き、JR八王子駅北口迄歩き、そこから出発としました。歩く距離は5~6キロ位と思いますが殆ど平地の町歩きで旧街道などには昔からのお店があり立ち寄るのも面白い。



写真は駅などに置いてあるパンフレットですが、同じ物(看板)が最初に寄った「伝法院」に有ったのでその画像撮り、歩いた経路を黄色い矢印で入れてみました。
帰りにJR西八王子駅近くの甲州街道へ出た所で路線バスに乗り京王八王子駅で終了としました。



写真はJR八王子駅北口、ここから出発します。正面の道を真っ直ぐ行きます。出発時間は11時33分。



三崎町の信号を通過します。




三崎町の信号を通過してから数分で左折し富士見通りに出る、更に進みやがて国道16号線に出ます。更に16号線突っ切り真っ直ぐ行きます。



写真の真宮病院の所を右折すると50m程先に「伝法院」の門にのぼり旗がはためいています。




写真は正門から中を撮った本堂です。「恵比寿天」は参道の左手にあります。




写真は「伝法院」で今回御朱印は専用の「八王子七福神めぐり」色紙を買い求めます。順番は何処のお寺から初めても良い様に各お寺に色紙や御朱印帳があります。



写真が「恵比寿天」(商売繁盛の神様)




次に「伝法院」を出て富士見通りを戻り気味に横断しすぐに路地を入ると正面に「本立寺」の正門が見えます。



写真は「本立寺」正門




写真は本堂で中に毘沙門天の「像」(開運勝利の神様)が安置されていました。




お寺を出て更に進むと再度国道16号線に出ます。写真は「金剛院」前の交差点。




写真は「金剛院」の本堂。




本堂の左手脇に「福寿堂」が有り中に福禄寿(福寿無量の神様)が安置されています。招福と立身出世を司る。いずれも真新しいお堂で、八王子七福神めぐりの為に建立された様な感じですね!



本堂の脇には「マニ車」の様な石造りの物がありました。
「オン アボキャ ペイロシヤ ノウ マカポタラ マニ バンドゥマ シンバラ バラバリタヤ ウン」と唱えながらこの車を回すと「光明真言」と言う長い真言を一遍唱える事に成るとか!



次に再度国道へ出て八王子消防署方面へ行くこの信号を右折する。




そのまんま八王子消防署を通り過ぎ10分程歩くと「心松院」に着くここは「布袋尊」(家庭円満の神様)が安置されている。中国の高層で七福神の中で唯一実在した人物。



「心松院」正門





写真は「心松院」の本堂「布袋尊」はこの本堂の地下に安置されている。




写真は地下の「布袋尊」像と、その他の販売所




次に県道32号線を北に向かって歩く、JR線をくぐり国道20号線を突っ切り15分程歩くと「善龍寺」へ出る、ここは「走大黒天」(健康増進の神様)インド出身の神様



「善龍寺」正門




写真は「善龍寺」本堂。隣には「善能寺」が有る、間違えやすいのか車の駐車に気を付けて下さいとの注意書きが・・・・・・



写真は本堂内部の拝殿。「走大黒天」は左側の隅にある。






「善龍寺」を出て甲州街道へ戻る。昼食時なので途中のそば屋さん(中清グループ)へ入った。手打ち蕎麦で安くて非常に美味しかった、それに量も十分で手打ちそば屋さんには珍しく安くて美味しい良心的な店だ!写真はだいぶ食べた後慌てて撮ったので少し少なめ。



Google地図が使用出来なく成った為リンク不能です。




そば屋さんを出た後甲州街道を大月方面へ行く、途中「こんにゃく専門店」に立ち寄り幾つかのこんにゃくと牛すじの煮込みを買い求めた。



甲州街道追分を左方面へ入ると「銀杏並木」に成る5分程歩くと街道反対側に「了法寺」が見える、写真は本堂、ここは「新護弁財天」(良縁成就の神様)音楽芸能の神でもある。





写真は「新護弁財天」どういう訳か「シロ蛇」が沢山!縁起物の様だ。




更に甲州街道を進みJR西八王子駅入り口で右に折れ10分程歩くと「宗洛院」ここは「寿老尊」が安置されている。



山門をくぐると本堂が真正面に見える。その左手にお堂がある。




写真はお堂の中、「寿老尊」と地蔵尊が仲良く安置されている。




「宗洛院」を出て道を左手方向へ行く、すると「南浅川」の土手にぶつかる、土手へ出て左方向へ少し進み写真の橋を渡る。



橋を渡った後更に左へ歩くと小さな沢に架かる「ながふさ橋」に出る、写真の道を右手方面へ歩く。




写真は「吉祥院」ここは8番目に当たる「吉祥天」が有る。「吉祥院」は小高い丘の中腹に在りお墓が丘の上にある、その中間に「吉祥天」が祀ってある。



参道を遡って行くと中腹から写真の様な景色が見られる。西八王子の町が見渡せる様になり遠く山並みも見える。この時間生憎雲が下がり初め、あっという間に山並みが隠れてしまった。タイトルと同じ写真。




写真は一番上に設置されていたトトロの彫刻で、どなたかが奉納された物のようです。後から調べて判明しましたが、住職と出入りの石材やさんと相談の結果子供達の為に設置したそうです。2016/01/11 訂正及び修正




写真は「吉祥天」(福徳自在の神様)インド出身の幸福と美の神様。

この後甲州街道西八王子迄戻り、八王子まで歩くつもりで居ましたが足裏も痛くなり、足の痙りも酷くなり始めたので、バスに乗る事にしました。
バスで京王八王子まで行き帰路に着きました。