J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

「檜原村人里(へんぼり)バス停」

2008年04月25日 | ドライブ・旅行
此処、人里(へんぼりと読む)は武蔵五日市からは都道33号線経由で都道206号線
を奥多摩方面へ向かう途中にある。
或いは中央高速上野原インターで降りて上野原ーあきる野線(都道33号線)を登り
武甲トンネルを越えてから檜原街道に入る事も出来る(東京方面からは此方が早い)

この「しだれ桜」は各地で有名なしだれ桜と同じエドヒガン系の桜で、樹齢はそれ程
でもないと思うが、其れでも幹の直径は50㎝程有るだろうか!
すぐ側のもう一本のしだれ桜も幹の直径が30㎝程で、兄弟の様に仲良く咲いている。

道路側から見ると一本の桜の様に見え立派な景観を作っている。
秋川に流れ落ちる支流の中に育って居るが長い年月にも耐えて育って居る、此の辺
りは開発の手も入らず自然環境が安定しているからこそだ!

人里バス停の素朴な姿の写真も載せたい所だが、都内とは云え素朴な田舎の風景
は忘れがたい。
奥多摩は東京都の重要な水源地帯と成って居るため、今後も開発を慎重に行って
欲しい物だ。
この先奥多摩湖の手前に「都民の森」が有り三頭山ハイキングコースの入り口にも
成って居て、実はこの日ドライブの目的は「都民の森」だったのですが、その場所に
付いては又別の機会に譲ります。


「長野県・高遠城址公園」

2008年04月17日 | ドライブ・旅行
高遠城址公園は、長野県伊那市、諏訪湖から伊那谷を天竜川に沿って下って
伊那市から東方面へ入った山間の街「高遠」に在ります。
一方甲府盆地から国道152号線、杖突峠を越えて、最初の大きな街が高遠でも
あります。
この日は中央高速道、諏訪インターで降りて、少し戻り気味に国道152号線から
杖突峠を越え、高遠の街に入りました。
快晴にも関わらず遠景が黄砂が掛かった様にガスって、南アルプス、中央アルプス
連山がくっきりと見えず、おそらく写真撮影は無理と思って、シャッターを切ることは
有りませんでした。

高遠の街が近づくにつれサクラの木も「コヒガンザクラ」が多く見られる様になります
コヒガンザクラはソメイヨシノと多少違い花びらは小振りで、色も濃く淡いピンク色で
す。高遠城址内のサクラは殆ど此のコヒガンザクラで、中に1本ほど「イト桜系」の
大木が有り、此の木の樹齢は可成りの年数の様でした。

パンフレットによると1500本程の桜が有るそうで、みごとな景色です。
元々「桜」が有った訳では無い様で、明治以降旧藩士等によって植えられてきた様
で「高遠のコヒガンザクラ樹林」として長野県の天然記念物に指定されています。
高遠城址も「国指定史跡」となっています。

話は少し変わりますが。この高遠城の最後の城主が内藤氏で、江戸屋敷が今の
東京新宿に有った事から、内藤新宿と云われ、東京都新宿区では今も高遠町と
交流が有るそうです。 
時代小説などで「内藤新宿」と云う呼び名が良く出てきますが、なーるほど!と
思った物です。



「長崎・グラバー邸」

2008年04月03日 | ツアー旅行
グラバー園には約8棟程の木造洋風建築住宅が移築されたりしている、いずれも
「外国人居留地」に建てられていた住宅を移築した物です。
その内グラバー邸は江戸時代末期に建てられ、日本最古の「木造洋風建築」とし
て国の重要文化財に指定されています。
話は多少脱線するが。
このグラバー邸の庭園から海を隔てて向かい側に、三菱重工長崎造船所があり
この時丁度イージス艦が停泊していた、船体の番号から「あしがら」と思われ丁度
同じ兄弟艦の「あたご」が、マグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故を起こした直後
で在った為、なにかしら不思議な思いに駆られたものだ。

話を戻すと、此のトーマス・ブレーク・グラバー氏の妻「ツル」はオペラ「マダム・バタフ
ライ」、「蝶々婦人」のモデルに成ったと言われています。
そして「邸」内にはヒロイン蝶々婦人を演じたオペラ歌手(三浦環)の像と共に、彼女
の遺品などが展示されています。

グラバー邸へは、長崎市内を走る市電に乗り「石橋」(終点)と言う市電の停留所で降
りて、スカイロードと云う無料の斜行式エレベータに乗ると楽だ。
長崎は坂だらけ・・・・・・町全体が丘の斜面に発展して行った為、平坦地が少なく東京
の様に自転車で気楽に走り回る、と云う事が難しい。その為か、余り自転車を見か
けなかった。
一度高い所まで、上がってしまえば帰りは旨く観光ルートを選べば、上り坂を歩かなく
ても済みそうだ。

九州「伊万里の里・長崎・雲仙」編アーカイブ・シリーズ(No9)