J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

2018年08月30日 | アーカイブ集
2006年3月5日羽田発7時40分発の飛行機に乗り山口県宇部空港に向けてのフライト、この日は天気が良く羽田を飛び立った飛行機は東京湾上空を大きく旋回して相模湾沿いの上空を一路宇部空港に向けて飛行する、羽田の空路は「横田空域」と云って米軍管制空域が壁の様に立ちはだかり自由に飛行出来ず西方面へ行く飛行機の針路を妨げている。その為急上昇で高度を稼がないと成らない。富士山の上空に達する頃には5000m位まで上昇する。

タイトル写真は富士山上空から。飛行機からの写真はいずれも修正をして見やすく調整してあります。

今回の記事は当時、写真の枚数が多い事から10回に分けて記事を連載しています。当時の記事URLにリンクしてありますので当時の記事を参考にしながらご覧頂けると、全体像が判ると思います。

   ①「羽田発 午前7時40分」 2006年03月08日

東京湾上空を西に機首を向けた機内から撮影して行きます。写真は「横浜港」あたりでしょうか? 現在の横浜港と若干違うと思います。飛行機はこれから「三浦半島」上空を通過して行きます。


横浜港を超えると眼下に三浦半島を通過する様子が見えます。この写真は鎌倉由比ヶ浜あたりでしょうか?



タイトル写真と同じですが、飛行機は伊豆半島の上空辺りでしょうか?「大沢崩れ」がよく見えます。





富士山上空あたりから南アルプスの山々がよく見えるように成りました。




写真は宇部空港に待機していた「ツアーバス」このバスに乗って新幹線「新山口駅」へ電車組のツアー客を拾い「津和野」から観光を始めます。



新幹線「新山口駅」



津和野の町を観光した後「松下村塾」へ向かいます。



松陰神社本殿




萩市内の「明倫館」左に少し見えているのが明倫館小学校2006年時点では小学校として使用していた。この写真はバスの車窓から撮った物です。



この写真は確か「木戸孝允」(桂小五郎)が小学生時代(11歳)に書いた「書」です(和田の性を書いている事から8歳かも)。赤い字で先生の添削があります。この「書」を見た時本当にびっくりしました! 学習・教育・才能とは何か、今の教育と何が違うのか?・・・・


萩の町で「木戸孝允」と「高杉晋作」は近所同士でした。



写真は「木戸孝允」の生家



こちらは「高杉晋作」生家





写真は長門市仙崎にある「みすず通り」「金子みすず記念館」近くにあった食堂の壁



写真はタイトルに使用した物と同じですが、「みすずこうぼう」の「もりいいさむ」氏はライブ活動は続けているのだろうか? リンクが切れているので今はどうしているか不明です。



写真は「秋芳洞」内部



秋芳洞の出口付近



秋芳洞の出口






秋芳洞から下関へ行き、そこでツアーの昼食兼自由時間に「下関市立しものせき水族館 海響館」の見学に向かいます。その後船で「門司港」に渡ります。(行程5分ほど)
写真は「門司駅」タイトルに使用した物ですが。此方はモノクロに編集しました。


小雨に煙る門司駅前。下関の町も見学していますがどういう訳か写真がありませんでした。



門司駅の構内。 昔の雰囲気が良く残っている感じです。



此方は待合室 モノクロに編集しました。



門司駅から戻り今度は「赤間神宮」に立ち寄ります。



写真は「赤間神宮」ですが、あいにくの雨であまり写真は撮らずツアーガイドさんに急かされるように「宇部空港」へ戻り宇部空港で夕食を採り午後19時20分発の羽田行きに乗りました。
とにかくこの回ののツアーは忙しくばたばたしながらあっという間に終わった感じです。/face_en/}

アーカイブ・シリーズ(No2)「高ボッチ高原」と「松本城」

2018年08月27日 | アーカイブ集
アーカイブ・シリーズ第二弾となりますが、この所身体の不調で出掛けて写真を撮る事も出来ず、この機会に古い写真をBlog記事に載せる事にしましたが、当時の記憶も曖昧になりがちで、細かいコメントを書く事ができませんがご理解の程宜しくお願いいたします。

「高ボッチ草競馬」 2005年08月11日

このタイトル写真は「高ボッチ高原」草競馬会場センターに建つ飾り付けです。



年に一度の楽しみです。一家そろって応援でしょうか?






草競馬は近くで観戦出来るので迫力満点です。






疾走する馬にまたがる騎手の表情が真剣そのものだったのが印象的でした。




この写真は次の日松本城見学でした。








2006年08月06日この日も暑い日だった事を記憶しています。


アーカイブ・シリーズ(No1)「小淵沢・高森地区」編

2018年08月25日 | アーカイブ集
このBlogを初めて13年程に成りますが当時ブログの使い方も判らず。ようやく写真がアップ出来るように成ったばかりでした。それも一枚位の写真だけ。それが一般的Blogの感じでした。このBlog以前にほかのブログを一年以上続けていましたがgooブログに切り替えました。しかし主体的に記事を載せていたのは某SNSの方でした。

当初の記事は簡単な文章で、写真を載せても一枚だけ、写真を記載する気もあまり無く、簡単な記事でした。
そんな当時のデジカメの写真を掘り起こしたいと思い「アーカイブ集」として、当時記載出来なかった写真を載せてみたいと思います。

何回ものパソコンのアクシデントにも関わらず。無事に記録が残っている写真を検索しながら主な写真を選んで載せてゆきます。当時記載した記事にもインデックスを付けてゆきたいと思います。

    参考記事【しだれ桜】2006年05月04日 | 花を愛でる ←当時の記事

タイトル写真は「高森観音堂」



この写真は当時のBlog記事タイトルに使用した物です。




糸桜系の「しだれ桜」で寿命は長くこの木の樹齢は約250年は超えていそうです。






確かこの観音堂の中には小さな手作りの人形が沢山飾ってありました。
(当時の記事中リンクのなどが切れています)


ノートパソコンHDをSSDに交換する。

2018年08月20日 | 修理・制作(工作)
使用中のノートパソコンのキーボードが壊れたらしい。「らしい」と言うのは、故障の切っ掛けから考え、起きている故障現象がキーボードに寄る物なんて考えもしなかったので、ソフトの不具合と思い込み、クリンインストールを数回繰り返す失態を演じてしまった。

Netや検索画面等で文字を入れようとすると決まった数字が自動的に入力されて仕舞い文字が入力出来なく成ってしまったのだ。以前からソフト的な不具合があったのでその関連と思い込んだ、結局どうにもならず修理に持ち込んだ。
Keyboardを交換する事になり3週間ほど掛かった。タイトル写真はノートパソコンの裏側を開けてハードディスクを取りだす所。(16,000円程掛かった)



修理に出す前にノートパソコンをクリンインストールして置きシステムだけ入れて置きました。この作業もキーボードが壊れているので大変でしたが何とか出来ました。その最中の画面です。



3週間程修理期間の後、HD(ハードディスク)の寿命も近い事からこの際SSD(ソリッド・ステート・ドライブ)に交換すべく買い求めました。

インテルSSD545sシリーズ(250GB)

修理から戻ったノートPCに別HDドライブ作成保存してあったシステムイメージをHD、C:ドライブにインストールし直し復活させます。(2018-08-21加筆修正)
その後HDをSSDに交換します。
PCをひっくり返すと写真のようにHDを格納している蓋が見えるので赤丸で囲んだ2本のネジを外し蓋を取ります。
私の場合健全な状態のシステムイメージを保存してありましたのでSSDは別のデスクトップPCであらかじめフォーマットしておきました。その他の場合はリカバリーデスクを使用してSSDのフォーマットから始める事になると思います。



写真のようにHD本体が現れますので赤丸の所をマイナスドライバーで軽くこじります。



簡単に外れますので、取りだします。




次にSSDのコネクターの向きを併せて見ます。




しかしHD本体とSSDは厚みが若干違いますのでテイッシュを上下に挟み動かないようにします。(キットで無いためスペーサーの付属はなし)




以前に保存したHD・C:ドライブのシステムイメージを新しく交換したSSDにそのまんま構築しようとしたら無理のようです。



写真ようなメッセージが出て仕舞い無理なようです。そこで次の手としてC:ドライブのシステムを丸ごとコピーする事にします。




しかし通常の方法では丸ごとコピーは難しく、MiniTool Partition Wizard Ver10.2と言うHD操作用の多機能なソフト(日本語版)をインストールして使いました無料です。

しかし写真赤丸で囲んだようにHDの容量は465.7GBもあります。一方SSDの容量は250GBしかありません、元々このまんまコピーする事は出来なかったのです。
そこで良く調べると「Windows.old」と言うファイルが400GB程HDを占領しているのが判りました。そこでこのファイルを削除します。そのやり方は下記のURLを参照して下さい。

Windows.old の削除


その結果C:ドライブのHDの容量は「63.5GB」まで小さくなりました。これで楽にまるまるコピー出来ます。




MiniTool Partition Wizard Ver10.2を使用する為一端付け替えたHDを元に戻し、今度はノートPCに外付けHDアダプターを取り付けそこにSSDを差し込みコピーを開始します。
元々HDには「MiniTool Partition Wizard Ver10.2」がインストールされていました。



順調にコピーが始まりましたが・・・・・




突然写真のような画面になり数時間たっても変化しなくなり真夜中まで動かしていましたが、一寝入りした後、見ても変わらなかったので仕方なく打ち切りのリセットをしました。

夜が明けて次の朝、再度Partition Wizard を立ち上げやり直した所あっさりと1時間ほどでコピーが完了しました。どうやらUSBコネクター等の接触不良などでエラーが出たようです。



コピーが完了したSSDとHDを再度交換してPCの電源スイッチを入れた所、何の問題もなく立ち上がり、それもかなり早い!
写真は確認のため、HD管理画面を立ち上げ確認した所でSSDがC:ドライブとして認識されている事が判ります。



以前の正常なHDシステムを丸ごとコピーされた事を色々なソフトを立ち上げ確認し、不具合がない事を確かめ、このシステムイメージを上書き保存します。そのバックアップ写真です。
これを書いている今現在システムは正常に動いています。

それにしても、パソコンは直りましたが今度は自分の身体が再度故障し、今度は腰痛の為一週間程動けなくなり、今日何とか椅子に座れるように成り、休みながらこれを書き上げました。
一難去って又一難、歳を感じる今日この頃です。




岩手県「厳美渓・毛越寺・小岩井農場」を回る

2018年08月05日 | ドライブ・旅行
7月後半三日間にわたりタイトルのように岩手県内を回る旅に出た。今回は東北新幹線を使い「一関駅」で降り、其処からレンタカーで各地を廻ることにした。
久々のブログ記事ですが、先月は様々な事が重なりBlog記事を書く事が難しかった。
その経過は記事の最後に書きますのでご覧頂ければ幸いです。

タイトル写真は「厳美渓」天工橋下流から上流側を撮った物。誰でもカメラを向ける場所で、河原に降りる事が出来ないため何の変哲もない写真です。
東北新幹線「一関」駅でレンタカーを借り、最初に来たのが「厳美渓」です。ここに来たのは3回目位でしょうか!
厳美渓「天工橋」の袂にある有料の駐車場に車を止め下流方面の遊歩道を歩きます。

【参考記事】 
宮城県仙台~厳美渓、気仙沼・・・ 「2009年11月08日 | ツアー旅行」
 

東京駅発10時36分発盛岡行き「やまびこ」号に乗ります。宇都宮駅で息子夫婦と待ち合わせ大人5人子供と幼児で計7人、一関駅で降りてレンタカーを借り2泊3日の旅の始まりです。



写真は一関駅ホーム、東北新幹線は大宮を過ぎた辺りから時速280km位にスピードを上げます。窓の外を見ると早い早い、13時10分「一関」到着



「一関」駅の改札を出る時、JR東北本線上を電気機関車に引かれた貨物列車が通り、見慣れない機関車でしたので撮ってみました。



写真は一関駅西口、レンタカー店は東口で、簡単に東口に行く事も出来ず。結局レンタカー屋さんに迎えに来て頂きました。



この写真は天工橋へ戻り其処から上流方面を撮りました。画面左手に東屋がありますが此処で休憩しながら団子を食します。



この写真が有名な団子屋さんで、東屋近くに料金を入れる籠が有りその中にお金を入れ、備え付けの板と小槌が有り、それを叩くとロープが引かれ折り返し団子の入った籠が戻ってきます。
この日ベトナム人らしい集団が私達の後から来て、団体として予め注文していたらしく国旗が付いている籠が降りてくるのを見ておもしろがっていました。



次に「毛越寺」(もうつうじ)へ行きます。写真は「拝観券発行所」此処を入りすぐ左手に「宝物館」がありますが、今回は子連れなのでスルーします。



「毛越寺」本堂。写真右手が「大泉が池」になります。




本堂・「本尊・薬師如来」(平安時代作)脇士・日光・月光両菩薩を安置




「大泉が池」この立ち位置は「南大門跡」で昔、池の右手に橋が架かっていた、この池は海を表現していると言う事です。



「大門跡」の立ち位置から右手方面を撮ります。




写真奥に見えるのは「開山堂」、此から池ノ端を反時計回りで歩いて行きます。




途中に在った蓮池にて




「開山堂」毛越寺開山慈覺大師を祀るお堂




「嘉祥寺跡」二代目基衡公~三代目秀衡公が完成させた。今では土台の石が残るのみ。その他「講堂跡」「金堂円隆寺跡」「経楼跡」「鐘楼跡」と続きます。



「遣水」(やりみず)山水を池に取り入れる為の水路、谷川を流れ下り更に蛇行しながらゆったりと平野を流れる川の姿を表現。



「常行堂」現在の物は亨保17年(1732年)に再建された物。この右隣に鐘楼も在りました。



「大泉が池」を一回りして、本日の日程は此で修了。平泉町から花巻市へ移動します。
平泉の「中尊寺」等は一回行っていますので今回はスルーします。



花巻市「大沢温泉」山水閣に連泊します。写真はこの日の夕食。病み上がりなのでメニュウ全部食べきれず、ドクターストップにもかかわらずちょろっとお酒など少し飲みました。



翌日は子供達のために小岩井農場で1日過ごす事にしました。写真は駐車場から入場ゲートを撮りました。



最初はシープドッグによる羊の追い込みイベントを見学します。なにせ広大な敷地なので歩くだけでも大変でした。



小岩井農場では子供中心に動き回ります。この写真は農場内をトラクターで廻るトラクタートレインです。45分間ほど掛かります。



写真向こうに見えるのは蒸気機関車D-51と客車3両、入り口近くに在りますが側で見ると迫力が在ります。



農場内植林地、広大な敷地に植林地も多く世代交代の植林もされています。




牧草地では北海道の畑を思わせる景色が広がります。




農道脇に咲いていた「ウバユリ」この花は丁度満開でしたが、その他にも蕾の物も沢山有りました。
この後しばらく農場で遊んで、花巻市の宿に戻ります。



この日の夕食メニュー。
・アナゴの煮こごり・スモークサーモンサラダ・竹の子つみれ清仕立て・お造り、鯛、平目、炙り蛸、帆立貝、白牡丹海老・鮑の柔らか煮・前沢牛しゃぶしゃぶ・カサゴ煮おろし・山菜味噌汁・香の物三点盛り・水菓子、メロン、パパイヤ、苺ケーキ。お酒少々



翌日は遠野市を流れる宮森川にかかるJR釜石線の橋梁「めがね橋」を見に行きます。
花巻市からめがね橋へ行くのにカーナビの案内通り来たため一般道(県道)に案内され、
「田瀬湖」と言うダム湖経由で走行したため大幅に時間を食いました。



JR釜石線の前身「岩手軽便鉄道」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルとなった鉄道で、この橋梁は夜間ライトアップされています。



この日最終日の最後の見学場所「盛岡手作り村」へ立ち寄ります。この日16時50分盛岡発の新幹線に乗らなくてはならないので、残念ながら此処での体験工房での体験は諦め、ザッと見学するだけにしました。



盛岡駅に早めに到着、此処でレンタカーを返却、盛岡駅でレンタカーを返却した途端土砂降りの雨にたたられましたがレンタカー屋さんのお兄さんが困った私達を見て駅のホームまで車で送ってくれました、感謝です。
「盛岡手作り村」では食事をする所が無く、結局盛岡駅前で遅い昼食となり「盛岡冷麺」を食べました。



その後おみやげなどを買うためデパート内をウロウロし。16時50分発の新幹線で帰ります。途中仙台駅にて息子夫婦と別れ帰路に着きました。


『編集後記』
日頃アクセス戴いている読者諸氏のお許しを願い経過説明をいたします。若干個人的な事を書きます。
先月初旬から使用中のディスクトップパソコンの調子が悪く、クリンインストールを行い数日間掛けてし直しました。ディスクトップPCは音楽用に使用して居る物ですが何だかんだでDATAを若干消失して仕舞い落ちこんでいる所です。
しかしそれだけにと止まらず。今度はメインで使用しているノートパソコンの調子が悪く、原因究明のために結果的に何回もクリンインストールをくり返す事になり。あげくに自力ではどうにもならず修理に出す事になりました。その際調べた結果キーボードが故障した様です。(ノートPCはBlog記事を作るのに使用して居るPCです。此を書いているのは別のPCです)

それと同時に本人自身の身体も故障してしまい、一週間の緊急入院となり、此も青天の霹靂で自覚症状のないまんま主治医の診断を受け翌日紹介状を持ち病院で内視鏡検査を受けた所即入院となりました。(大事に至らず良かったのですが・・・・・)
お陰でこのシーズン山に行く事は諦めなければ成らないようです。
今回の三日間の旅行は以前から家族旅行として計画していたのと病院から退院できたので可能となりましたが、身体の方は経過観察の感じで来月又診察を受ける事になっています。矢張り何があってもおかしくない年齢です。。。。。。。

一ヶ月余り更新できず。お詫びします。