J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

森の精霊その2

2005年06月21日 | その他随筆
 引き続き
その時は、一緒に「かみさん」も同行していましたが、私がその大木に向かって見上
げている姿を見て不思議な感じを受けたのでは・・・・・(聞かないので不明)
でも以前の体験は話してあった。
で・・・かみさんと一緒にその大木を一緒に見上げながら、事情を話したら、かみさんも
納得してくれました。
そして又二人でその大木を見上げて居たのでした。
友人で山歩きをしている人にその話をしたら、やはり同じ様な経験をしていて、自分の
話を納得してくれたのでした。

現代人は機械文明の中に居て、機械の便利さを享受してきました、でも便利さを追求
した過程で、人間本来或いは生物としての感性その物を退化させて来たのでは無いか
と考えます。
人間も生物の1種族に過ぎません、しかし脳が発達したが故に文明を作り出しました、
それ故、他の生物と際だって違う発展を遂げました。
現代人はその事にうぬぼれ過ぎて居ないでしょうか、その為に自ら退化の道を選択した
様なモノですね(生物としての能力で文明ではない)。
「木」は生物の中では一番長寿なのでは無いかと思います、縄文杉は有名ですが、
其処まで生きられなくても、条件さえ合えば何年生きるのか・・・・・・
我々人間の寿命から見てもとてつもない長い時間生きる事が出来ます、樹齢200年程
の木が日本だけでも何本在ることか?・・・・
人間がぜいぜい生きていたとしても高々100年程、その間に「木々」は自分の生きるす
べを獲得するために必死に生きています。その結果獲得するのが自分を守るため、そし
てその集団を守る為の様々な防御システム、此処では具体的に検討するつもりは無い
ですが。
生物としての「木」の存在を主張していると感じるのです、「古木」になると、長い時間蓄
えた(未知の)エネルギーは人間の想像を超えるのでは無いかと思っています。
人間も古くなると「古狸」と言われ意外な能力を出します・・・・・・・チョット意味が違うか!
「古木」になると、なにがしかのオーラを発散するのでは?・・・・・科学では説明が付か
ないと思いますが、「木」が大自然と対峙して「生きる」、其処にじっとして動かず不動の
ままに、それ故に「木」としての存在を主張し無ければならないのでしょうね。
「木」も生命を持った生き物なのです。

  森の精霊 その1

森の精霊

2005年06月18日 | その他随筆
古木というのは一つの言い方だ、樹齢何百年と生きて来て運良く人の目に止まり地理的
条件等で御神木とあがめられる木も有る。
樹齢数百年程にも成る木は、一種独特の雰囲気を持っている、そんな「木」にまつわる
経験を書く。

 かれこれ10年程前だろうか、八ヶ岳の山中にて標高1300~1400m程だろうか、森
の中を一人歩いていて、やがて或る広場、其処は湧き水がでる水場だ。
長野県諏訪大社、御柱祭りの御神木を切り出す場所に近い。
其れまで、森の喧騒(都会の喧騒とは次元が違う)の中を歩いていたのだが、その場所
に一歩足を踏み入れた途端、ぱっと、その喧騒が消えた!・・・・・
何事かと思い、其れまでうつむき加減に歩いていた視線を上の方に向けたら、其処は
大木の林立する、人手の入らない古い森林だった、樹齢数百年以上の檜などが建ち並
び見事な林だった。
その喧騒が消えた瞬間、私は「木の精霊」達の会話のジャマをしたと思った。本当です!
私自身は神の存在とか、非科学的な事は一切信じない人間ですが、今でも「古木」のその
不思議な力を信じているのです。
山を歩いていて、その事を実感した事がもう一回在ります。
その時は、その大木に話し掛けられた気がしました、そしてその大木の側で、暫くたた
ずんで居たことがあります。

続きは次回に

森の精霊 その2