J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

北海道・知床・羅臼ー網走・流氷を見る旅

2015年02月28日 | ツアー旅行
タイトルの写真は2日目夕方「岩尾別温泉」手前の「プユニ岬」からの夕陽です。
今回の旅は久々のツアー旅行で「知床羅臼 網走2つの流氷クルーズと幻想的冬景色白い感動の大自然北海道3日間」と長いタイトルのツアー旅行でした。
東京羽田発8:00のJAL1145便釧路行きで羽田を離陸する時は雨模様でしたが、釧路空港は曇りで天候はまあまでした。
釧路着9:35分ですぐに迎えのバスに乗り「阿寒国際ツルセンター」に立ち寄り、次に「屈斜路湖」へ行き白鳥を見に行きます。


写真は釧路空港を出てバス駐車場方面へ歩いた所にあるアイヌの守護神「コタン・コロ・カムイ」(シマフクロウ)のモニュメント。他にも丹頂などのモニュメントもありました。


写真は「国際ツルセンター」にて撮った物で、可成りの数のツルが居ました、写真右端の方に幼鳥も写っています。


同じく飛来した「オオハクチョウ」の群れで、カメラをを構えたら丁度降りてきました。



次に「国際ツルセンター」からバス移動で1時間程「川湯温泉」で昼食、昼食後バス移動で「屈斜路湖」へ白鳥に逢いに行きます。北海道ツアー旅行ではバス移動が基本でバス乗車時間がやたらと長い今回は「網走観光交通」と言う会社でした。


天候は羽田を飛び立つ時と打って変わり太陽が出るように成ってきました。



「屈斜路湖」で白鳥を見た後次に「摩周湖」へ向かいます。
霧の摩周湖・・・・・全く何にも見えません。前回来た時も霧で何も見えず。
この辺りから大型バスが何台も駐車場で一緒に成ります。それも中国語が飛び交っています。。。。そう言えば2月24日まで中国は「春節」で一週間程休暇に入るようだ。
今回至る所で遭遇しそのパワーに圧倒されどうしでした。


写真は摩周湖の水面が全く見えない中でも「霧氷」だけでも撮っておこうとモノクロの光の中で撮りました。この日はこれから「阿寒湖温泉」で泊まり予定。


写真は「阿寒湖畔」の街「アイヌコタン」アイヌ民俗資料館や土産屋などが集まった所で残念ながらアイヌ民俗資料館は休館中でした。


写真は宿泊したホテル前のメインストリートに並ぶお土産屋。夕闇が迫り明かりが灯った所。



お土産屋や湖を見学した後にこのお店で「アマンカムイ」(アマンカムイとは食べ物の神様)の彫り物を買い求めた。大きい物が良いのだが可成り高価なので小さい物を買った。
お店のご主人の話では38年間「アマンカムイ」を彫り続けていると言う話でした、その場で私らが買った「アマンカムイ」の木彫りに名前と日付を彫って頂きました。


写真は翌日の朝食!朝夕バイキング形式の食事でこの写真は私のです。純和食でウインナーは息子に食べて貰いました、今回はご飯をセーブして控え目にしましたが、どうも塩分過剰のメニューに成りがちです。又、夕食のバイキング形式は酒飲みのに取っては面倒くさい。写真も撮りませんでした。


写真はホテルの前に広がる「阿寒湖」。昨夜はこの写真右手の方で観光客相手の「阿寒湖氷上フェスティバル」をやっていて打ち上げ花火などの催しが在りましたが、息子とカミさんが見に行きましたが私は面倒なので引きこもっていました。


写真はホテルのロビーに有ったスタンプでアイヌの紋様をイメージした物と思いますが面白いので押してみました。二十数種類程有りそのうちの一部を押してみました。一枚は私二枚目は息子が押しましたが多少ダブっています。


その「阿寒湖氷上フェスティバル」会場の写真でホテルから撮りました。この日はこれから知床半島「羅臼町」へ行き「流氷バードウオッチングクルーズ船」に乗ります。


羅臼港から48人乗りの小型船で流氷帯に入り「オジロワシ・オオワシ」が飛来している場所に行きます。小さい船なので砕氷能力は無いので緩んだ流氷の隙間をゆっくり行きます。
そこで撮った写真で船長の説明を聞きながら1時間程のクルーズです。
船の後部に有名なカメラマン(名前は失念)が乗っていて巨大な望遠レンズと三脚、カメラを備え付けて居ました。
そこで私が撮った「オオワシ」の写真です。200mmのズームレンズですが何とか見られる写真が取れました。


群がる「オオワシ」と「オジロワシ」。見ているとクルーズ船が魚を撒くので餌取りに寄ってくるようで、その他にカモメ数種、カラス、ウミウ等が集まる。餌を撒くとカラスとカモメがすぐ来るがオオワシとオジロワシは悠然とした物で暫くして餌の所へ行く、そうすると大きさで負ける鳥たちは逃げて行くがカラスだけは逃げない。


写真はカモメ。カモメも割と大きいがオオワシやオジロワシには負ける。



この写真は少しトリミングしましたが仲良くオオワシとオジロワシが留まっている所です。


こちらの写真は「オジロワシ」



写真は流氷の水面下を撮った所で、海上に出ている大きさより海面下は3倍の大きさが沈んでいる。船が流氷に当たると可成りのショックが来る。


写真は羅臼から見える「国後島」で羅臼から26km程の距離、「国後島」は知床半島よりもずっと大きいのが良く解る。これだけよく見えるのはこの時期には少ないそうだ。


写真で見えている雪を被った白い左側の高い山は「国後島羅臼岳」(チャチャヌプリ(爺爺岳))知床半島も「羅臼岳」で同じ名前らしい。


こちらの写真が「知床連山の羅臼岳」(左の高い山、標高1,661m)標高の割に3.000mクラスの山容で流石北海道の山


悠然と飛ぶオオワシ。



羅臼港の流氷と羅臼岳。常に霞が漂い中々スッキリした写真を撮るタイミングが難しい。



写真は羅臼港に停泊中の海上保安庁の巡視船で国内に2艇しか無い砕氷能力を持った警備艇でその内の1艇がここに配備されている。(クルーズ船船長談)


この日は知床半島羅臼側から反対側のウトロ温泉の宿泊ですが国道334号線知床峠が通行禁止の為一端標津町(しべつちょう)まで戻り国道244号線経由で北側オホーツク海側に出ます。
その後国道334号線を北上してウトロ温泉へ行きます。
その途中で撮った「斜里岳」です。斜里岳は知床半島の付け根に位置し標高1,547mでアイヌ語でオンネプリ(年老いた山)と呼ばれていた。美しい山です。


写真は途中昼食に「ウニ割り体験」で自分で割ったウニを昼食に食べます。そのウニ割りの方法を指導している所です。


写真は昼食の海鮮丼と自分で採りだしたウニと私と息子の写真!



斜里町へ出てオホーツク海を眺めながら国道334号線を北上。オシンコシンの滝をバスの車窓から眺め「プユニ岬」へ行きます。
そこからの夕陽で網走方面を撮った所です。


国道334号線は「プユニ岬」から少し行った所で通行止めで半島先端の知床岬に行く道はありません、突き当たりを右方向へ国道334号線で知床峠へ行けますが今は通行止め。半島を横断する事は出来ません。又知床半島は先端まで道路は無く簡単には行けないのです。
そこで引き返します。
写真は丁度オホーツク海に太陽が沈む直前に「プユニ岬」を通りかかり太陽が見えるようになりました。絶好のシャッターチャンスです。ラッキー!!
この日はこれで本日の日程は終わり。すぐ近くの「ウトロ温泉」で宿泊です。


写真は翌朝ホテルの窓から見たオホーツク海で小さな港がホテルの前に広がります。
流氷は沖の方へ流れていて遠くに帯状に見えます。手前に残った流氷の流れも可成り速い。


本日の日程は「釧網本線北浜駅」から「ノロッコ号」列車に乗り「網走駅」まで行きます。
北浜駅はオホーツク海に最も近い駅という事です。写真はその「釧網本線北浜駅」から「網走駅」方面を撮った所です。


目の前に広がるオホーツク海の流氷は沖合を右手方向に流れています。



写真は「ノロッコ号」のディーゼル機関車、6両編成(内一両がストーブ列車)が1日数本「釧路駅」「網走駅」間を往復しているようです。


北本駅から15分程で網走駅に着きます。ここで待機していたバスに乗車、網走市内から「オホーツク流氷館」の見学に行きます。そこの展望台から撮った「網走刑務所」の全景です。
川と高い塀に囲まれた刑務所を脱走するのは難しそう。健さんもここから「網走刑務所」を眺めたカモですネ。


写真は上の写真と同じ場所からカメラを左にパンすると「網走湖」です。全面結氷して居て真っ白です。


「オホーツク流氷館」を見学した後、少し国道を戻り「オホーツク海鮮市場」で昼食です。
ツアー添乗員が手配した昼食は止めにして別行動とし、私と息子は昼食にラーメンを食べましたが、カミさんは海鮮丼を食べていました・・・・よく食べるな!!
食事の後ぶらぶらしていたら「ノロッコ号」が通りかかりその勇姿を撮影する事が出来ました。丁度私達が乗った列車が釧路から折り返して来たようです。

海鮮市場のここでも中国語が飛び交い活きタラバガニの大きい物を大名買い、そのカニを食堂で生食するのですが大きな活きたタラバガニを持ち写真を撮るのに大騒ぎです。カニの値段が一パイ数万円以上・・・!何ハイも売れているようで外国人様々な感じです。私達日本人ツアー客は隅の方でため息交じりで眺めていました。。。。。。。。!


次に網走港から「砕氷船オーロラ号」に乗り流氷を追いかけてオホーツク海に出港します。
1時間程のクルーズですが知床半島北側のオホーツク海には流氷が余り在りません。沖合数キロの所に帯状に流氷がありそこに突っ込んで行きます。


写真がその様子です。ご覧のように流氷が帯状に漂っている中を進んで行きます。何だか冴えませんが「砕氷船オーロラ号」に乗るのは今回で2度目で、前に乗った時はモット流氷が多かったのですが10kmも沖合まで行きました。


次にバス移動で又戻り「ウトロ岬」(能取岬)に行きます。ここは無機質に灯台があるだけで何も無くただ、ただ冷たく強いが吹いているだけですが北海道らしいと云えば云えます。


岬の突端から見た網走方面です。手前断崖下に流氷の残りがあります。足下は鹿の糞が至る所に有りよそ見して歩く事が出来ません。しかし景色はとても良い所です。


「ウトロ岬」(能取岬)の看板。広い平原にこの看板がぽつんと立っているのが印象的です。



今回の旅はこれで終了。写真は途中バスガイドさんの話によりますと写真の景色は何かのTVコマーッシャルで使われた景色だそうで、わざわざバス運転手さんがバスを止めて撮影時間を作ってくれました。
雪原に確か7本の木が立っているだけですが北海道の風景・・・・と言った感じです。
道路脇から撮影した物で雪原に立ち入る事も出来無いので思うように撮れませんでしたが・・・・この後「女満別空港」から羽田へ直行します。

時間的に余裕が有り飛行機は20:20分発羽田行きです。羽田着は22:15分着で遅いのですが羽田まで車で来ているので帰りの交通機関の時間を気にする事も無く気楽です。

先週この辺り女満別は吹雪で大荒れだったそうですがこの日は時折雪がちらつく程度でした。
「女満別空港」は小さなローカル空港ですが夕食もここで摂ります。空港外に食べる所が2軒程、空港内も2軒しかなく外へ行くのも面倒で。お土産屋を見て回った後、店が空いてきた所を見計らって入りました。
帰りの飛行機も乗車率が満席に近いようで混雑を避け、早めの保安検査を受けて中に入ります。羽田の保安検査は厳しいのですが、ここ女満別空港はそれ程厳格でも無いようです。ナゼッテ!
何時も羽田では引っ掛かり右往左往するのですがここは2回目ですがストレートで通過できました。

自宅に戻ったのは24:00時近くでしたが、何事も無く無事帰着でホッとしました。























アイゼン用スノープレートを自作する

2015年02月25日 | 修理・制作(工作)
タイトルの写真は取り付け完成した左右のアイゼン写真です。
このアイゼンは三十数年前程に使用して居た物で、友人の所に行った切りに成っていて最近戻ってきました。メーカーは「HOPE」材質は今となっては不明。(たぶんクロモリ)
古いので前爪が下向きで厳冬期の急斜面を登る事は殆ど無いので、最近のアイゼンの様に前爪が突き出ている必要は無い。私のような登山スタイルにはこの方がかえって使い勝手が良い。
片方の重さを計測したら433g(締め具共)在った。10本爪アイゼンならこんな物だろう。
最近のアイゼンは雪玉付着防止プレートが付いているのが当たり前だが三十数年前はそれが無く雪が結構付着した事を覚えている。

そこで今の市販品の専用品ではそのまんま取り付けは無理。「エキスパートオブジャパン」からアイゼン用スノープレートキットST22と云うのが発売されているが数千円もするので何だか勿体ないので自分で試作する事にした。


上の写真は制作に使用する「材料」と「工具」
色々と検討したが近所のDIY店で手に入る「材料」として「塩化ビニール板」が物理特性も良さそうなので0.5mm厚の物を使用する事にした。
完成後検討したら1mm厚の方が良い可能性が在り検討の余地在り!
材質として更に良いのは「ナフロンシート」要するにテフロンの事(両方とも製品名)ですが、これは少し高価ですが通販で手に入るようです。
止め金具は「アルミ板0.3mm」を使いました、塩ビ板とアルミ板両方で数百円で買えます。
ただ今回特殊工具としてリベッターを使いましたが、かえって3mm程のネジとスプリングワッシャーの組み合わせの方が良いかも知れません。その他に電動ドリル等の工具。
プレートの材質としてはスノープレートキットST22場合は「酢酸ビニル1mm厚」を使用して居るようです。しかし一般に手に入る材質で酢酸ビニルは無理のようです。


写真はアイゼンの雪面側の写真です。



こちらは靴底側です。



まず、アイゼンの前部とかかと部分の型紙を作ります。



次にアルミ板を、この場合幅10mm×50mmの大きさに切断して両端に3.25mmのタップドリルで穴を空けます。その前にバリを取り綺麗にヤスリなどを掛け仕上げます。0.3mm厚なので普通の裁ちバサミで楽に切れますが私は一応金属も切れるハサミを使いました。


型紙と切り出した塩化ビニールです。これも普通のハサミで切りました。



写真は穴を空けたアルミ板の止め金具。片方前部分5枚踵部分3枚計16枚(折り返して使います)この辺りの作業は経験値で判断するしかないようです。


試しにアルミ取り付け金具を付けた所です。



写真は靴底面からプレートを見たところでリベットの向きに注意!



写真は踵部分で雪面側から撮った物です



写真は雪面側から見た前部分でリベットの出っ張りが目立ちます5mmほど突出して居てます。この部分の締め付け面積が小さいので岩などで変形破損する恐れがあり不安が在ります。
又、塩ビも0.5mm厚なので岩場で壊れる可能性も有り、実際に使用してみないと何とも言えません。
ま~壊れても命に関わるような事も無いと思いますので大丈夫と思いますが・・・・・・
かえって、3mmのネジとスプリングワッシャーで締め付けた方が良い感じで作業・時間・手間を考えた場合ネジ止めの方が合理的な感じがします。

作業時間準備も入れて数時間で完成しました。
実際に使用してみて検討しないとこれで良いかどうか解りません、この記事を見てご自分で作る方は自己責任で試してみて下さい。
今シーズンで使う機会が在れば試してみますが・・・・・・冬山はそう簡単には行けそうも無いですね!

奥多摩「御前山」を清八新道から登る

2015年02月13日 | ハイキング・山登り
タイトルの写真は奥多摩湖半を20分程歩いた所から小河内ダム方面を撮った物です。
昭文社の「山と高原地図」では「清八新道」は破線ルートと成っていて今回は手前、入り江奥のショートカットルートから登ります。
このルートは小河内峠に出るルートで三頭山~月夜見山~御前山縦走路の稜線へ出ます。

奥多摩湖駅8:25分集合、女性4名男性7名計11名の大人数ですが久々のSNS コミュイベント参加で単独で今回の様な積雪の在る山登りは不安も有る為良い機会です。


今回歩いた地図で、歩いたルートを黒い矢印で示しました。2012年3月に御前山大ブナ尾根を登った時


写真は奥多摩湖半から「御前山」を撮った所で丁度逆光で山頂が隠れてしまっていますが快晴の良い天気で天候も安定しているようです。


小河内ダムの堰堤を歩き、対岸右手の道を行きます。「サス沢山」方面は左から即登山道になりますが清八新道は小河内ダム作業用林道入り口の扉を開けて行きます。


湖の地形に沿って歩いて行きます。斜面北側ですので日当たりの悪い所は可成りの雪が残っています。


写真は1時間弱歩いた所で登山口に着きました。この手前にも「サス沢山」の上部に至る登り口が在りました。


この登山道はあまり利用されていない様で踏み跡がやや不鮮明です。矢張り破線ルートなので中上級者向きなのかなと思います。


写真の様な分岐標識がこの後も出てきますが、どちらへ行っても「奥多摩湖」?作業道の様な感じです。下山で使う場合は最初に出てくる分岐表示右手方面に下山する方が良い感じです。


写真はいよいよ急登が出てきました。積雪は深い所で30センチ程でしょうか。この写真の所を直登した踏み跡が在りましたが、私達は右手トラバース気味の道を行きますが結局ジグザグにすこし登るだけの道でした。


結局最後の方では急斜面を直登する事になります。



この急斜面を登る事40分。雪も次第に深くなり、この時点ではアイゼンを未だ装着していないのでスリップして登りにくく足に結構負担が掛かる。


写真は漸く「月夜見山」方面からの稜線に出た所、此処で小休止。左方向小河内峠方面を撮った所ですが、ご覧の様にトレースは全くないので半ばラッセル気味に歩く事になります。
この時点で時間は11時43分。


写真は「小河内峠」。上の写真から15分程緩やかに登った所です。



更に進みますが、この時点で先程の急斜面を登ったツケが来てメンバー一人が足の痙攣で遂に動けなくなり停滞、隊長のS氏などの手当を受けて何とか歩き始めますが辛そうです。


メンバーの一番の若手K氏にザックを二つ背負って貰い更に先頭を歩いて貰います。
その後を故障者には痛みを我慢して頂き空身で自分のペースでゆっくり歩いて貰います。

このザックの二つ背負い方はS隊長が遭難救助訓練で学んだ方法です。
隊列も体力の弱い者が二番目に歩き先頭をベテラン等経験豊富な者が歩きペース配分を決めます。そして最後尾に矢張りベテランを配置するのが普通です。
そう言う私は何時も二番目を歩きます・・・・ナゼッテ?大体何時も私が一番の高齢者で登りでの歩行速度が遅いのです。今回の様に痙攣を起こすのも他人事では無く、何時私がなってもおかしくないのです。現実に下り道後半では危うく痙攣を起こしそうでした。
写真の場所はやせ尾根で風が吹いて悪天候の時は歩くのが辛い所です。


写真は「惣岳山」山頂。写真正面が「サス沢山」方面からの道です。此処からはトレースも付いていて雪道も締まっていて歩きやすくなります。


写真はこの辺りまで来て故障者の痙攣も薬が効いて治まって来たらしくザックを元に戻します。写真正面は「御前山」メンバーの故障が明らかになった時コース変更を色々検討しましたが結局下山時に負担の掛からないコースと言う事で「御前山」~「栃寄沢」~「境橋」コースになりました。この時点で13:12分。


写真は「御前山」山頂手前から撮った「富士山」。時間は既に14:30分を過ぎていて富士山もガスで霞んでしまっています。


遂に「御前山」山頂到着です。上の写真の場所から1分も掛かりませんが・・・・・
此処でゆっくりして居る訳には行きませんので通過します。
この先10分程下り「避難小屋」で遅い昼食にします。


30分程昼食タイムを取り写真の様に深目の雪の中を下ります。この「栃寄沢」方面からの下りは体験の森と言う事で分岐が幾つも在りますが途中から沢沿いの登山道は倒木で通行止めとなっていて結局「境橋」までダラダラと林道を歩く事になりました。


写真は林道と「栃寄沢登山道」の合流点で「登山道」は通行止めになっていました。前回この道を通った時この先人家の在る所でカモシカと遭遇しました。
この後20分程でバス停に着きますが、本数が少なく次のバスまで30分待ち、S隊長の判断で奥多摩駅迄歩く事に・・・・・・でも結局バスが来そうな時間のバス停で乗車する事に・・・・日没前にバスに乗れました。


奥多摩駅手前でバスを下車して「あかべこ」で反省会及び入浴!
先ずはビールやサワーでみな無事下山に乾杯!!!

でも我が家まで帰るにはたっぷりと2時間かかる。飲み会には少し遠いな~!
今回お付き合い頂いた皆さん有り難う御座いました。
又、主催者のS隊長お疲れ様でした。



埼玉県秩父郡「宝登山神社」と「ロウバイ園」

2015年02月04日 | 花を愛でる
タイトル写真は帰りにロープウェーから長瀞の町を撮った物、今回はハイキングでは無くカミさんと一緒の為、軟弱にもドライブと温泉に浸かる為の「宝登山とロウバイ園見学」にしました。
この日に行く事は前の週から計画していましたが、当日の朝NHK-TVニュースで「宝登山のロウバイ」が満開になったとのニュースが流れたため、ロウバイ見学の人が殺到した様でロープウェー駅係員の方が驚いていました。通常火曜日は1週間の中でも客が少ないそうだ。


写真はそのロープウェー駅の改札口で未だ午前中なのでそれ程乗客は並んでいないが、帰りには既に長蛇の列となっていた。


「宝登山ロープウェー駅」に来る前、神社の駐車場に車を止めてからお参りをします。
他の駐車場は有料ですが、神社の参拝客は無料のようでハイキングの格好の私達に山登りの方は遠慮して貰っているとガードマンさんに云われましたが、お参りに来ましたと言ったら駐車させてくれました。
丁度「宝登山神社」で節分の神事があり蟇目(ひきめ)神事が行われたらしく私達が神楽殿の前に着いた時神官が「舞」を奉納するというか「あめのうずめのみこと」に扮して舞うと言うのか、とにかく神楽殿で行事が行われていて、この「あめのうずめのみこと」の舞が終わり、節分の福豆が蒔かれました。神社で40分程神事を見てからロープウェー駅に行きます。


定員50人で私らの直ぐ後ろで一杯と成り何とか乗れました。山頂駅まで数分ですが「宝登山」のハイキングコースを歩けば数時間掛かるので超楽ちんです。前回2012年02月23日に行っています。


写真は「宝登山ロープウェー山頂駅」からの眺めで真ん中奥は「両神山」です。前回の時は「妙義山」と強引に決めつけていますが矢張り「両神山」が正解と思います。


写真は西側斜面に植えられている「梅」で未だ蕾も小さく開花までには間がありそうです。ロウバイが終わる頃「梅」の見頃となりそうです。


このロウバイは一番多く植えられている種類の様です。



このロウバイは数株在り「和蝋梅」と云う品種となっていました。



この品種は「満月蝋梅」と成っていました。



蝋梅と武甲山



西ロウバイ園はほぼ満開の状態でしたが、東ロウバイ園の方は植えてから年月が浅く木自体が育って居ないので写真の様に今一の感じでした。


東ロウバイ園から回り込んで「宝登山ロープウェー山頂駅」に戻る道に咲いていた「マンサク」です。可成りの本数植えてありました。


写真は上の写真の根本付近に咲いていた「福寿草」日当たりの良い所は結構開花していました。



マンサクと長瀞の町

この後ロープウェーで下山して「満願の湯」に立ち寄ります。
既に時間は13時を過ぎましたが第二の目的「温泉」に浸かりに行きます、そこで遅めの昼食にしますがこの「満願の湯」のすぐ隣に「町営温泉」が在り料金が500円「満願の湯」は800円どうなってんの?全く同じ源泉らしく湯量は豊富で源泉掛け流し・・・・・と言った所です。
この日「町営温泉」は定休日でしたが「町営温泉」自体は宣伝をして居る様子も無く町民だけと言う感じですが入浴料が500円は魅力です。

温泉に入った後、長瀞から来る時に見掛けた道の駅「みなの」に戻り地元の農産品を買って帰りました。