J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

小諸市「布引観音・布引山釈尊寺」を訪ねる

2022年07月30日 | ウオーキング
小諸城趾「懐古園」で昼食の後、懐古園を出て数キロ離れた千曲川沿いの「布引観音・布引山釈尊寺」に移動する。駐車場から千曲川沿いの崖の上に作られた観音堂まで急傾斜の登山道を歩く、県道40号こぶし街道沿いから登る道はつづら折りになって居て岩と階段が不連続に続く。観音堂までは30分程、手前の観音堂直下には「仁王門」が有り、以前はここから観音堂まで登ったようです。




前回の小諸城趾「懐古園」を見る。では「島崎藤村記念館」を見て回ったのを記載忘れでしたので改めて写真を載せておきます。

    ①小諸市小諸城趾「懐古園」を見る2022年07月27日




地図を見ると等高線が詰っていて断崖の在る事が判る、初めは沢沿いに登って行く途中に細い滝や沢が続く。
ここの駐車場で息子家族と待ち合せた。駐車場には5・6台が停まっていてトイレもある。
別のコースも有る様で今回登る反対側から車で崖の上に来られるようです。





この写真の手前が駐車場になって居て、写真が布引観音の入口となって居ます。
ここの正式名称は天台宗布引山釈尊寺。信濃三十三観音霊場の第29番札所。神亀元年(724)行基による開基と伝えられ本堂、仁王門、護摩堂、客殿、大師堂、聖徳太子堂、愛染堂などが建てられている。





駐車場脇に「布引観音」の由来の解説版が設置してありました。
「要約 伝説によると、昔この地に住む強欲で信心の薄い老婆が千曲川で布をさらしていたところ、どこからか牛が現れ、その布を角にひっかけて走り出した。老婆がそれを追い、やっと追いついたところが善光寺だったという。その後、御仏の光を仰ぎ見て、牛が観音様の化身であったと老婆は知り改心する。」





さていよいよ急な登りを行きます。最初は大きな九十九折になって居ますが次第に布引渓谷沿いの急な登りになります。





木彫のお地蔵様が岩屋に安置されていました。





急峻な沢と崖で写真の様な滝?が落ちています。流れが細いので迫力は無いですが数カ所こうした滝があります。





幾つか番号が書かれた看板の中で「牛岩」と看板に書かれ、牛の姿が現れて云々・・・・牛の姿には見えないのですが・・・ただ「牛に引かれて善光寺参り」の伝説の地と言う事なので!





不動滝!・・・・・・





20分程登ると「仁王門」に到着。前出の様に観音堂直下で以前はここから登ったようですが、今は道も不鮮明で通行は不可となっているようです。





この「仁王門」脇から見上げると観音堂が見えます。垂直の断崖に作られ、よくぞこの様な場所に作った物だと感心する事しきり!
 






布引観音・釈尊寺本堂と社務所





本堂の前から観音堂を撮る。(タイトル写真)



後から気がつきましたが写真中心付近赤丸で囲みましたが、仏像の顔に見えませんか?



拡大ズームするとこんな感じでした。





本堂から観音堂へ垂直の断崖に設けられた道を行きます。この御堂は「白山社社殿」室町時代初期の建築との事。昭和34年(1959年)に修復され 長野県宝に認定されているとの事です。





道沿いにお地蔵様や御堂が所々に出て来ます。





岩をくりぬいたトンネル。






六道地蔵尊や御堂





観音堂手前から釈尊寺本堂方面








観音堂内部は。扉の円穴からカメラのレンズを入れて撮影。天井には天井絵が描かれていました。座像はミイラみたいで何だかな~!





釈尊寺へ戻って再度観音堂を撮る





社務所前を通り過ぎ車道を上った所でお寺の駐車場の上に懸崖造りの御堂がありました。車道を行くと「風穴」が有るようですが可也歩く様なので戻ります。 






本殿前で息子家族と合流5歳と10歳の孫も元気に自力で登ってきました。





しばらく休憩してから下山開始! 「馬頭観音」





「善光寺穴」この穴は善光寺に通じている?との事





降りは結構早く歩ける・・・・
この日はここで観光は終了。 息子家族とも合流したので此より戸倉上山田温泉へ直行します。





宿は「玉の湯」各部屋が離屋形式で、各部屋に源泉掛流しの露天風呂付き24時間入浴できる、本日のお客は私達を入れて3組程(キャンセルが多かったのかな?)ここに連泊する、翌日は戸隠神社奥社まで行く予定。 写真は夕食のごく一部、量が多く完全に食べきる事が出来ず少し余らせてしまった!
写真下の方に「献立表」が写っていますが記述は割愛。












小諸市小諸城趾「懐古園」を見る

2022年07月27日 | 見学様々(屋内・屋外)
コロナ禍である物の、久々の泊り掛けの宿泊旅行に出掛けた。
テレビ等では観光地など可也人手があり混雑している様な報道ですが、実際の所それ程各地の観光地に人が繰出した様には見えない。
現地に到着してやはり多くの人が旅行などを控えている感じがする、混雑しているのはごく一部の有名観光地ぐらいか?
と言う事で今回小諸市の小諸城趾観光から始り長野県「善光寺」迄足を伸しました。
タイトル写真は小諸城趾「天守台跡」から西北方向を撮った物です。西方向には八ヶ岳などが見えるらしいのですが雲が掛りハッキリと判りませんでした。

写真のRAW現像と編集で丸一日係ってしまった。写真の枚数が多く、どうやらPCの性能が悪い事がネックになって居ます。困ったもんだ!




駐車場から「三の門」へ出る前に設置したあった案内版をトリミングした地図です。
朝自宅を7時30分頃出発して10時40分頃現着しました。土曜日ですが若干の渋滞で済みました。
小諸駅JR線を挟んで反対側へは行きませんでした。地図の文字が小さく読みにくいですがご勘弁を。




JR小諸駅ホームから跨線橋を渡るとこの写真の所へ出る、写真の道を下って行くと「三の門」へ出る。



懐古園の変額が架かっていますが此がお城の「三の門」。「大手門」はJR線の反対側の大手門公園となっています。丁度お城の敷地をJR線が分断する形になっています。




「徴古館」公園事務所兼資料館となっています。





入場料を払い「二の丸跡」の、のずら積の石垣に沿って入場します。





鍵の手に曲ると「二の丸跡」に出ます写真の階段を登り広くなった場所をグルリと廻ります。




「二の丸跡」。そこから北東方向でしょうか、浅間山山系が見えますがこの時雲に隠れて仕舞いました。





「黒門橋」この橋を渡って「懐古神社」へ向かいます。





「懐古神社」の鳥居が見えてきました。鳥居の手前を左に入ると「鏡石」の池に出ます。




池には噴水があり、立派な錦鯉が泳いでいました。





池を過ぎると石垣の上に出て「天守台跡」へ行く事が出来ます。この石垣を行くと突き当りが「天守台跡」桜並木になっており見晴しも良い。




ここが天守台、広さが100坪位でしょうか?そんなにないかな?





タイトルの写真





浅間山方面ですが相変らず雲が多めです。





天守台から南方面です。木が大きくなって見晴しが効きません。昔天守が有った時は木がそれ程多くなく且つ小さかったのだろうと思います。




天守台から戻り「富士見展望台」へ来ました。写真に書込みを入れましたが、雲が多く富士山は無理のようです。




この城は自然の深い谷地形を利用していて、浅間山の噴火物が積もった火山灰土の台地が浸食され、深い谷で区切られた「田切地形」山本勘助が造ったと伝えられる中世の城らしい。詳しくは「小諸城趾」でNet検索して下さい。




次に隣の動物園に行きます。その内のフラミンゴ





フクロウは三羽ほど居ました。1羽は怪我で動けなくなった野生の鳥でリハビリ中でした。細かい網が邪魔でしたがなんとか気にならない程度に撮影できました。
その他にライオンや猿、羊等々居ました。




最後に右手に「地獄谷」左手に「千曲川」に挟まれた「水の手展望台」へ行きます。
千曲川を見おろす高台です。写真の上の方(下流方向)に有る「布引観音」へ午後から行きます。





小諸近辺は「そば処」美味しい手打そばが沢山有ります。懐古園の中にあるソバ屋さんで昼食にします。大盛を注文しましたが量が多すぎで息子に分けました。地方の方が量的に多い店が多く都内は逆に値が張る割に量が少ない、江戸切りソバは繊細で上品ですが・・・・
昼食の後、小諸城趾から数キロ離れた「布引観音」へ向います。











当ブログ開設から6201日目

2022年07月06日 | その他随筆

写真は2005年3月に北海道の旅行で撮影したもの、この写真自体は当Blogに記載した物では無く、当時別のBlogに記事を書いていました。今では当時の記録が残っていなくてどのような記事を書いたか記憶も定かではありません。 当ブログ記事の初めの書込みは下記の内容。当時は写真が思う様に記載できなかった記憶があります。それで文書主体の記事になった記憶があります。

    第一回目の記事 森の精霊  2005年06月18日 | その他随筆

【古木というのは一つの言い方だ、樹齢何百年と生きて来て運良く人の目に止まり地理的 条件等で御神木とあがめられる木も有る。 樹齢数百年程にも成る木は、一種独特の雰囲気を持っている、そんな「木」にまつわる 経験を書く。】

そんな書出しで始っています。 当ブログ開設から本日で6201日目17年目です。トータル閲覧数1042710PV トータル訪問数525499UUとなっています。余り熱心に更新していないので期間が長い割に数値的にはたいした事が無い感じです。記憶では2005年06月18日以前に開設していましたがトラブルなどで閲覧数などリセットしています。熱心なブロガー諸氏のアクセス数に比してお話にはなりません。

 

 

当時次第に某SNSの方に力を入れる様に成り其方の日記に書込みが多くありました。当時は音楽関係が主な内容でした。ライブなどもやっていて仲間も某SNS中心でした。某SNSの最初の書込みは2006年4月7日に川柳を書いていました。そんな中で音楽活動中の写真一コマです。 その間に画像データの消失などが有り大事なデーターを可也失いました。 上記写真はNikon E5700で撮った物、コンデジと少し違い画質が良かった、当時のデジタル一眼レフは高価でアマチュアにはなかなか手が出にくい感じでした。

この所様々な事情で引きこもりがちでブログ記事のネタ切れです。 そんな中で昔を思い返してみました。訪問して下さった方々に改めてお礼を申します。 「訪問ありがとうございます」

4回目のCOVID-19ワクチン接種も終りましたが、それでも余り都心の人混みには行く気になれず電車も敬遠しがちです。ハイキングなどの仲間もちりぢりで単独で山行せざるを得ないので気楽に出掛けるのも迷います。アクテビティーも下降気味で困ったもんです。

 注 「2022/07/13 セキュリティー・プライバシー重視の為若干本文を修正しました」