J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

台風の後「ママコノシリヌグイ」

2018年10月26日 | 花を愛でる
九月末に台風24号の直撃を受けた本州ですが、その影響、爪痕が結構残っていて台風24号が通り過ぎて2日後武蔵野市「都立野川公園」自然観察園に行きました。
その時気になっていた「ママコノシリヌグイ」と云う植物写真を撮ろうと思いましたが、台風が持ち込んだ潮風のせいで「ママコノシリヌグイ」が全滅状態なのが判りました。
他の植物もかなりやられていて自然観察園では太い柳の木が根元から倒れていて、そのすさまじさが判りました。(昨日も埼玉県の武蔵丘陵森林公園へ行きましたが少し荒れていました)
この時自然観察園内は立ち入り禁止でしたが知らずに入り、係に方に注意されましたが写真を撮った後なので助かりました。(もう少し厳重に扉を閉めてほしいな!)

タイトルは2年前に撮影した物で開花したての花、一輪の花の大きさは2~3mm位の大きさでとても小さい、風で揺れない時マクロレンズで手持ち撮影でした。





この写真は台風が来る前2018年9月28日に撮影した物です。まだつぼみの状態でもう少しで開花する感じでした。


写真の様に茎に鋭いトゲが有り、素手で触るとかなり痛い。




2018年10月02日台風の通過二日後に撮った武蔵野市「都立野川公園」自然観察園の状況柳の木が何本か倒れて植物園のフェンスを破壊していました。(2018年10月28日写真・文追加修正 )



そして2018年10月02日台風の通過二日後の写真(トリミング済み)ほとんどが枯れた状態で写真に成らない物ばかりでした。


一緒に絡まっている「カラスウリ」の蔓に止まっていた「トノサマバッタ?」




この写真は2016年9月28日に撮影した物です。丁度上の方の写真の2年前の同じ日でした。
タイトルと同じ写真です。

秋の気配を追って 2016年09月29日

ママコノシリヌグイ
名前の由来
昔は、便所の落とし紙に、紙の代わりに葉っぱを使っていたことから、この逆トゲのあるママコノシイヌグイを「継子に使わせたらさぞ痛かろう」の意味であるというのが通説の様です。
なんと恐ろしい名前を付ける物だ。

1年草
原野や水辺に多い。全体に細毛がある。茎と葉をよく分枝、1〜2m位の長さに成る、トゲが逆に生えるので物にまといつく。葉は三角形または長三角形、長さ3〜6cm、鋭尖頭、薄質、緑色で紅色を帯び、裏面脈上に逆刺がある。葉柄は長く逆刺があり、葉鞘は短い、ふちは緑色腎形、幅1cm以下。花はやや頭状に数個が枝の先に集まる。花序の下には腺毛がある。花被は紅色、5深裂し、裂片は楕円形、長さ3mm、後に4〜5mmとなる。果実はふくれた3稜形、黒色で直径3mm。花期は5〜10月。(原色日本植物図鑑)
学名は、Persicaria senticosa
タデ科イヌタデ属
[花期] 5~10月
[草丈] つる状(1~2m)
[生活型] 1年草
[生育場所] 道端、林縁
[分布] 在来種 日本全土、朝鮮、中国、台湾、ロシア

バジルペーストを作ってみました

2018年10月23日 | 作る(料理・その他)
今年の春買った「バジル」が大きくなり、このまんまでは勿体ないので何か良い使い道は無いかと検討した結果「バジルペースト」を作る事にしました。
実は室内で育てたこの「バジル」の葉を刈るのは二回目、バジルは茎を切り詰めるとそこから枝を出しどんどん増えます。
一回目は葉を刈った後乾燥して砕き「乾燥バジル」にしました。しかしあまり香りが良くないので使わないまんま保存してあります。
タイトル写真が茂った「葉」を付けたバジル。室内で育てたので虫食いは無くきれいなので長く伸びた茎を途中から切り、葉を採りました。



二鉢買ったのですが、一つは外で育てたら虫が付き見るも無惨な形で、おまけに種も出来てしまい葉がほとんど無くなり今は半分枯れた状態です。


写真が採った葉で48g有りました。水洗いして乾燥している所です。
 レシピ
 ○ バジル48g
 ○ 塩 小さじ2/3(1/2位の方が丁度良い)
 ○ ナッツ類  約20g 
 ○ パルメザンチーズ  約20g
 ○ コショウ 少々
 ○ ニンニク  少々 (チューブの物を使いました)
 ○ オリーブオイル  100cc(g)

写真は使用した小型ミキサーとシリコン・ヘラ。
水気を切った葉をミキサーに詰め込みます。更に材料を全部詰め込みます。


ナッツはあらかじめすり鉢ですりました。



写真が細かくすり下ろした物です。



写真がミキサーで細かく砕いた物です。ミキサーに全部詰め込みますが、オリーブオイルを最後に入れて、ヘラで上から押しながらミキサーのスイッチを断続的に入れます。
細かくペースト状になるまで根気よくミキサーを断続的に回します。
写真のカップは200ccですので丁度良い感じでした。


写真ができあがったペーストをフリーザーパックに入れ冷凍します。
こうすると凍った物を使う分だけ欠いて使えるので便利です。
フリーザーパックは新しい物を使うと漏れが無い様なので良いと思います。
私はそれでも心配なので二重にしました。
こうすれば色も変化せず、薫り高いバジルペーストが使えます。なかなかおいしく出来ました。


八王子市「陣馬高原から高尾山縦走」

2018年10月12日 | ハイキング・山登り
この所数ヶ月にわたって山登りが出来なかった。今回の山行はリハビリを兼ねて足慣らしをする。
前日に天気が安定している事が判ったので2018年10月10日ハイキングに出掛ける事にした。このコースは若い頃トレーニングコースとして何回も歩いていますが悲しい事に当時の記憶は全く無い、今回歩いてみて距離は長いが比較的平坦な事に驚いた。

タイトル写真は影信山山頂から見た景色、八王子市街と思いますがごらんの様に雲が多く他の方角など富士山等の姿は全く見えませんでした。


「カシミール3Dマップより」
陣馬高原下~陣馬高原登山口~陣馬山~奈良子峠~明王峠~底沢峠~堂所山~白沢峠~影信山~小仏峠~城山~一丁平園地~高尾山~高尾山口駅
今回、終点高尾山から下りにリフトを使った。すでに膝が痛く下りを歩く事を避けたかった。


写真は陣馬高原バス停でこの時期ウイークデーは1時間に1本のバス便が発着しています。
この日八王子から乗車し終点陣馬高原下バス停に下車したハイカーは十数人。支度を済ませ私は5番目ぐらいのスタートでした。珍しく単独のハイカーがほとんど。(8:23分出発)


20分ぐらい「陣馬街道」(案下街道とも云う)に沿って歩くと「陣馬山」登山口に着きました。(8:43分)


沢に沿ってなだらかに登って行く。




植林帯の枝尾根を登って行く、次第に傾斜もきつくなる。



登山口から1時間ほど登ると「和田峠」方面への分岐道が出てきました。和田峠から「笹尾根縦走路」は2015年11月に行っています。今回の山行で東京都と神奈川県の県境の長い尾根を三頭山手前「西原峠」から「高尾山」までつなぎました。(9:47分)

 


この近辺は「ツリフネソウ」が群生していて沢山咲いていました



キクに似た花は多いのでよく判りませんが「ノコンギク」か「シロヨメナ」と思います。


ヤクシソウ



やがて稜線が見えると、陣馬山山頂もすぐです。登山口からこの辺りまでが一番キツく感じられます。写真の様に稜線に近くなると先日の台風24号の爪痕が現れてきます。


ノアザミ



稜線の分岐標識、右手はすぐ陣馬山(標高854.8m)の山頂です。高尾山への縦走路は左方向です。


陣馬山(標高854.8m)雲が多く展望は今一。少し休んで先を急ぎます。(10:02分)



尾根の縦走路は平坦な所が多く、歩行速度も上がりますが今回は久しぶりの山行で、膝も痛く思う様に速度も上がらず。後から登ってきた方にどんどん追い抜かれて行き、結局同じバス便で来たハイカーで一番最後になったのでは無いかと思います。何しろ登りが遅い!


縦走路は台風の影響か、何となく荒れ気味で。



縦走路は広葉樹林が多いのですが、時折檜の植林地も出てきます。



「関東ふれあいの道」標識が1km毎位に設置されていました。高尾山口まで14km!



明るい縦走路は平坦ですが、立派な木が根っこごと持ち上がっていました。



今年はキノコの当たり年みたいで様々なキノコが登山道脇に見られます。写真のキノコは「ホコリタケ」の様です。


クヌギの木が途中から折れて、登山道をふさいでいました。でもさすがにハイカーの多い場所すぐに迂回路が作られたようです。奥多摩のマイナーな山へ行くとこのように迅速な対応は無理と思い、今回このコースを選択したのでした。


写真は「奈良子峠」左手へ下ると「陣馬高原下」へ下ります。(10:41分)



「明王峠」写真中央左手方面へ行きます。(10:57分)




「明王峠」茶屋の裏手へ出ると大きな木が根元から倒れていました。更にその先も杉や檜の枝などが散乱してかなり荒れています。


営林署か管理組合の方がチェーンソーで倒木を裁断して整理していました。お疲れ様です。


すぐに「底沢峠」に到着。(11時05分)



やがて伐採された明るい場所に出ます。高尾山口まで約11.5km付近この先10分弱で「堂所山」へ着きます。


写真は「堂所山」(標高731m)のトラバース分岐点です。写真で此方へ歩いてくる方の方へ行きます。今回も可能な限りトラバースして行きます。(11:16分)


幾つかのピークが有り小さいピークは登りますが大きなピークは巻き道を使います。この写真も階段を嫌い左の巻き道を行きます。


関東ふれあいの道。丁度半分ぐらい来ました。




「影信山」(標高727.3m)到着。下の写真はアザミに泊まって休んでいるアサギマダラ。(12:12分)





「影信山」山頂から北東~東方向八王子の街。此所で30分程昼食休憩にします。にぎりめしにインスタントワンタン、途中シャリばてでにぎりめしを一つ食べた。


「影信山」から25分程歩いた所だろうか、かなり道がえぐれている場所があった。



写真は「小仏峠」(13:18分)この辺りは中央高速小仏トンネルの上辺りか?



いよいよ「城山」への登りに掛かる、此所の登りもキツいので左手の巻き道を使う、今回はかなりヘタレな感じですね~


途中の「サラシナショウマ」がヘタレを慰めてくれます。



「城山」をトラバースして「一丁平」「一丁平園地」への巻き道の分岐に出ます。
左方向へ行くと「日陰沢林道」です。右方向は「城山山頂」。写真真ん中の道を行きます。此所は木が伐採されていて北側の景色が良い。(13:46分)


「一丁平」の登山道が倒木でふさがれ迂回ルートに巻き道が使われています。



迂回ルート(巻き道)を振り返って撮った物です。




「一丁平園地」へ出ました。写真の○で囲んだ所に巻き道へ出る道があります。(14:08分)


セキヤノアキチョウジ



もみじ台もトラバースして「奥高尾」の入り口へ出ました。此所で休んでいたらTVの旅番組の撮影隊一行に逢い、デレクター或いは女優とおぼしき人にナメコ汁で有名な所は?と聞かれたので「城山」の方ですがここから40分から1時間かかりますよ、と云ったらびっくりしてました。(たぶん行かなかったと思う)オイオイもう少し調べたら!・・・・(10/13日追記)


高尾山山頂もトラバースして1・3・5号路の交差するトイレ脇に出てから高尾山薬王院に向けて歩きます。その途中写真の様な楠の大木が途中から折れて仕舞いチェーンソーで細かくされていました。台風24号のすさまじさが判ります。



参道も通行止めで迂回路に誘導されていましたが、写真の様に此所を注意して過ぎれば問題ないと思い通行禁止を無視しました。他の人たちもかなり無視でした。


高尾山ケーブルカー駅入り口の所から見た都心方面の景色(15:26分)



も~膝は痛いし太ももの筋肉も痛い、足の裏も痛い。今回久しぶりの山歩きで少し無理をした様です。下りケーブルカーは混んでいそうなのでリフトで降りる事にしました。運賃は同じですが待たずに乗れるし他人に気を遣う事も無いので、雨さえ降らなければリフトも良いです。かくて高尾山口駅発16時03分の特急新宿行きに乗り、今回は温泉へ行く元気も無く我が家へ直行します。

合計時間 7時間36分 内休憩トータル45分ほど
平面距離 16.67km 陣馬高原下登山開始地点から高尾山口駅まで
沿面距離 20.68km
  累積標高上り 3651m
 最高点標高  861m 誤差大 (地図では陣馬山が最高点標高854.8m)
 以上山旅データーロガーの記録 尚スマホの電源低下で「城山」から記録がまばらになり精度も落ちてしまいました。ヤマップの地図も同時に稼働しましたが此方の方がもっと精度低下が大きい模様。今回歩数計は使いませんでした。

   

九州「伊万里の里・長崎・雲仙」編アーカイブ・シリーズ(No9)

2018年10月06日 | アーカイブ集
アーカイブ・シリーズNo9は九州の旅となりました。2008年2月28日福岡空港でレンタカーを借りてから西九州自動車道・国道202号線に入る。この日「伊万里」へ行き伊万里の窯元などを見て回り、その後内陸の「武雄温泉」に宿泊します。
タイトル写真は翌日長崎に行き「グラバー邸」に行く時「スカイロード」と云うエレベーターに乗り、そこから長崎の街を撮した物です。長崎は坂の街「スカイロード」も坂を上がるための無料のエレベーターです。




この日は「唐津」へ「呼子」へ行くために「虹ノ松原」を通ります。数キロに渡り防風林の松原に沿った道を走ります。



「呼子」で昼食にします。店内に生け簀が張り巡らされ、そこにテーブル席が有る、といった感じの店で早速「イカ刺し」の食事にします。透き通ったイカ刺しは絶品でテーブルに来た時はまだ動いていました。イカには申し訳ないがおいしく食べました。アーメン!


  


昼食の後次に「伊万里」の里へ行きます。写真はそこの入り口の案内板が伊万里焼で作られていた物を撮った物です。


伊万里の中心街で沢山の工房が集中しています。伊万里焼と有田焼は同義語として扱われ伊万里焼の名称は「伊万里港」から船積みされた事から「伊万里焼」と云う名称になったとの事。


伊万里は旧鍋島藩の財政を賄う目的から伊万里焼の技法を門外不出の秘密にし、その為に険しい山岳地帯に囲まれた地域に限定し、出入りが厳しく制限されていたようだ。



「武雄温泉」に宿泊し、翌日は長崎を訪問する。写真は「長崎原爆資料館」入り口の写真。


「長崎原爆資料館」から長崎市の中心部方面を撮った物。



「長崎原爆資料館」を見た後、原爆投下の爆心地を訪問します。




上の写真は原爆投下の爆心地、写真の大きな柱は「浦上天主堂」の門柱で被爆した物を移築した物です。表面がいくらか溶けているのが判ります。奥に見える黒い御影石の建造物が爆心地の印です。


長崎平和公園内に「平和の泉」奥に有る「平和のブロンズ像」この写真は有名です。


再建された「浦上天主堂」正門。中も見学出来ます。



「浦上天主堂」前に建っているこの石像、左の石像は頭部が有りません、原爆の爆風で飛ばされ見つからなかったそうです。


  
「長崎・グラバー邸」  2008年04月03日



長崎市内は路面電車網が健在なので市電に乗り「グラバー邸」へ行きます。市電を降り写真の「スカイロード」(傾斜エレベーター・無料)に乗ります。


「スカイロード」を降りると長崎の街が見渡せます。長崎は坂の街、丘の斜面にへばり付く様に住宅街が広がります。タイトルと同じ写真です。



上の写真左手の方に長崎湾の入り江を挟み「三菱長崎造船所」が有り、自衛隊イージス艦「あしがら」が停泊していました。この時2日前に千葉県銚子沖で自衛隊イージス艦「あたご」と漁船が衝突、世間が大騒ぎでした。二枚とも「グラバー邸」から。


大浦天主堂




長崎の街を歩き回ります。上の写真は「オランダ坂」。下の写真は歴史文化博物館での長崎くんち「蛇踊り」の竜


今夜の宿泊はこの眼鏡橋の近くでした。



翌朝さらに長崎の街を巡ります。写真は「円山町」の交番。昔この一帯は遊郭で、今も飲み屋などが集まり歓楽街で交番も観光客を意識した粋な作りのようです。


「思案橋」と名前が有りますが今は川の流れは無く暗渠になっているそうです。歌謡曲の「思案橋ブルース」の題名になった所なので是非とも行ってみたかった所です。


この日は「雲仙」へ向かいます。その途中に寄った「千々石」(ちじわ)の岳棚田。此所は棚田百選に選ばれていて展望台も用意されている。


雲仙地獄にも寄ります。この日は「雲仙」に宿泊します。




翌朝は普賢岳周辺を見て回ります。写真は普賢岳と溶岩ドーム。溶岩ドームが崩壊して大火砕流となり四十数名の犠牲者が出た。この時も土石流防止の工事を行っていました。


写真は点線の部分が元の普賢岳の山頂部分、その噴火後が実線部分で溶岩ドームがかなり発達した。


雲仙普賢岳災害記念館にて。土石流と火砕流の被害に遭った家屋が残されている。



次に諫早湾干拓地、大村湾等をドライブで巡りその後レンタカーを返却。長崎空港から帰路に着きます。写真は途中に有った「玖島城跡」(くしまじょう)の 案内板、此所は城壁が有るだけで見るべき物があまりなく休憩した程度でした。

この後長崎空港で夕食を摂り長崎空港19時の出発便で帰路に着きました。
それにしても夜と雨の日の飛行機旅ほど面白味の無い物は無い。