三渓園の主要な建物の内部が公開された。
普段は立ち入ることのできない廊下から、直に内部を見る事ができる。また、振り返れば母屋から眺める視点で庭園を観賞できる。
これは、素晴らしいチャンスである。
臨春閣は紀州の徳川家が建てた別荘を大正時代に三渓園に移築した。
別荘の建物も実に結構なものだが、その襖絵は狩野派の作品が多く残されている。
内部は豪華な襖絵と、広々とした造りで、実に贅沢な姿である。
臨春閣は雁行する造りで、少し視線を変えるだけで、新たな風景が展開する。
原 三渓もそれなりの庭をしつらえたが、やはり17世紀半ばの紀州の建物は格が高く、現在の庭園よりも一枚上手に見える。
障子の桟の細工の見事さ、品の良さ。
見事だと思う。
普段は立ち入ることのできない廊下から、直に内部を見る事ができる。また、振り返れば母屋から眺める視点で庭園を観賞できる。
これは、素晴らしいチャンスである。
臨春閣は紀州の徳川家が建てた別荘を大正時代に三渓園に移築した。
別荘の建物も実に結構なものだが、その襖絵は狩野派の作品が多く残されている。
内部は豪華な襖絵と、広々とした造りで、実に贅沢な姿である。
臨春閣は雁行する造りで、少し視線を変えるだけで、新たな風景が展開する。
原 三渓もそれなりの庭をしつらえたが、やはり17世紀半ばの紀州の建物は格が高く、現在の庭園よりも一枚上手に見える。
障子の桟の細工の見事さ、品の良さ。
見事だと思う。
こちら
聚楽第の遺構かも、と言われたりもしましたが
近代では、紀州徳川家の別邸との説が有力だとか
写真で拝見する限り
庭園がチグハグに感じますけど(笑
障子の桟の組子の仕事は控え目ですが其処に美しさが。梅雨時ですから何か落ち着いたシットリ感がありますね。
池を造る都合があったからでしょうか、別邸を移築するのにこちらのように裏山が迫るような場所ではなく、もう少し広々とした所を選んだほうがよかったような気もします。
そして、庭に桃山の壮大な気風を伝える大きな石組などあれば、と思います。
障子の桟や、欄間に格式を感じました。
前の日まで雨続きで、そこにポカッと晴れ間が広がったような日でした。緑はたっぷりの水分を吸い、生き生きとしていました。
建物があるなら、
やはり建物内から眺める景色が
一番のポイントですね。
公開は定期的に行われているのでしょうか。
建物が、禅寺の方丈のように形が定まっていれば、工夫は庭園に手を伸ばすしかない、となるのでしょう(釈迦に説法すみませぬ)。その結果として生まれた緊張感は換えがたい深さを伴うのでは。
別荘建築は気持ちのよさが心情ですから、そこまで厳しいものを求めていなかった、と勝手に思います。
公開は毎年あるようですが、これだけ多くの建物を一挙に公開するのは5年ぶりだと思います。