長野市の主力の蕎麦屋さんは、旧戸隠地区か、善光寺門前となる。
どちらも、蕎麦売り切れ仕舞いのお店が多く、夕食として蕎麦を食べたくてもかなわないお店が多い。
国道沿いのお店ならば、日曜日でも早めの時刻なら大丈夫だろうと思って訪れた。
日曜日の18時半過ぎに訪れたが、それなりにお客は居て、すぐ先の駐車場にも楽に車を止められた。
せいろだけでは軽すぎるので、天婦羅も付けた。それが、天汁だけではなく塩まで別に出す細かい心配り。当たりだった。
江戸の人々が善光寺参りをし、そのついでに門前の蕎麦屋で精進落としをした。
江戸人はその時代の勝手な好みを善光寺門前のお店に押し付け、その結果長野市の蕎麦屋さんの打つ蕎麦は固め、細打ちの田舎蕎麦とは懸け離れた姿である。
その影響は、現在の国道18号線近くまでは残っているが、千曲川を渡ると希薄になる。地元に残る、太くて柔らかい蕎麦が主流になるようだ。
わだやさんは、長野市の典型的なスタイルを残すお店だと思う。そして、日曜日の少し遅めでも食べられるのがよい。
蕎麦は特別な食にならないほうが、面白い。
どちらも、蕎麦売り切れ仕舞いのお店が多く、夕食として蕎麦を食べたくてもかなわないお店が多い。
国道沿いのお店ならば、日曜日でも早めの時刻なら大丈夫だろうと思って訪れた。
日曜日の18時半過ぎに訪れたが、それなりにお客は居て、すぐ先の駐車場にも楽に車を止められた。
せいろだけでは軽すぎるので、天婦羅も付けた。それが、天汁だけではなく塩まで別に出す細かい心配り。当たりだった。
江戸の人々が善光寺参りをし、そのついでに門前の蕎麦屋で精進落としをした。
江戸人はその時代の勝手な好みを善光寺門前のお店に押し付け、その結果長野市の蕎麦屋さんの打つ蕎麦は固め、細打ちの田舎蕎麦とは懸け離れた姿である。
その影響は、現在の国道18号線近くまでは残っているが、千曲川を渡ると希薄になる。地元に残る、太くて柔らかい蕎麦が主流になるようだ。
わだやさんは、長野市の典型的なスタイルを残すお店だと思う。そして、日曜日の少し遅めでも食べられるのがよい。
蕎麦は特別な食にならないほうが、面白い。
入ったことはありません。
蕎麦アンテナが低く、
申し訳なく思います。
場所は、国道406号を県庁側から東に進み、信越線(今は第3セクターですが)をくぐり抜け、最初の大きな十字路を通り越した直ぐの右手です。
日曜日もやっているし、駐車場完備なので助かるお店です。
間食のような存在だったものが
今では、こだわりが目立つ料理に
なぜなんでしょうね?
飲食に関して、屋台での気楽な感覚が失われ、贅を凝らした室内での饗応が基本になった所が、展開点のように感じています。
江戸の夜鳴き蕎麦、天秤棒を担いで客に供したのは、今で言えばアウトドア感覚に満ちた、野趣が失われないものだったのでは、と思います。